「ピアス、あけようかなあ」
「……へ?」

Blue Rose
追いかけたのは貴方との明日

ぽつり、と呟けば彼女は目を丸くし、手を止めてこちらを見た。そんな顔をするほどの内容だっただろうか、とは思いつつも、美鈴も紅茶の入ったティーカップをテーブルに置く。

「どうしたの、急に?」
「前からちょっと思ってたんだけどね。ちはや見てていいなあって」

見事に染められた明るい茶髪に、意思の強そうな瞳。すらりと伸びた手足。良くも悪くも物事にはっきりした性格であるために度々誤解を受けるちはやだが、友達思いなため人望は厚い。そんな彼女はいつも違うピアスをつけており、全てが彼女によく似合っている。一緒に買い物をする度、少し羨ましいと思っていたのだ。

「あーそっか。でも美鈴のご両親って許してくれるの? 体に傷をつけるなんて、って人もいるじゃない」
「……やっぱり無理かなあ」
「かわいいかわいい大事な娘だからねえ。あたしは勝手にあけたんだけど」
「怒られなかった?」
「お前らしいな、って一言。的を射すぎてつまらないわ」

その時のやり取りを思い出したのか、ちはやは退屈そうにため息をついた。

「美鈴なら何でも似合うんじゃない? まあちゃんと親に言った方がいいとは思うけどね」

美鈴の発言の意味を掴んですっきりしたのだろう、彼女は止めていた手を再開してケーキにフォークを刺す。この店で一番人気らしい――とメニューに赤字で大きく書いてあった――モンブラン。しかしどうにも彼女の味覚には合わなかったようで、先程からほとんど減っていない。食べようか? と尋ねてみると軽く頷いたのを確認して、自分が頼んでいたものを差し出す。

「ありがと」
「いえいえ」

手元にきたモンブランを一口含む。なるほど確かに、少々癖のある味かもしれない。だが中に大きな栗が一つ丸ごと入っているのは、中々に好ポイントだ。下のタルト生地もナッツが混ざっているのか香ばしいし、好きな人は好きなのだろう。一位というのも納得だった。季節を感じられるから、と頼む人も多いに違いない。

「あ、あと病院であけた方がいいわよ。自分であけるとかぶれたりした時が大変だしね」
「うん、そうする」
「もしあけたら何かプレゼントするわ。楽しみにしてて」
「ありがとう」

彼女の言い方からして、ピアスをあけたいと思った本当の理由に恐らく気づいていたはずだ。だが、彼女は追及しなかった。その事に感謝しながら、微笑み返す。

左右数の合わないピアス。それは――――

◇◇◇

「へ? ピアス?」

彼の反応は、先日の彼女と全く同じものだった。コーヒーを飲んでいた手を止めてこちらに視線を向けてくる彼に、はい、と返事をする。

今日は、久しぶりに会わないかと彼に誘われていつも会う喫茶店で待ち合わせをした。接客マナーが徹底されているのか、普段なら彼を相手にしても笑顔を崩さない店員が多いのだが、先程から妙に熱く見つめられている。もう慣れているとはいえ美鈴でさえ居心地の悪さを感じるのに、まるで気づいていない彼は改めてすごいと思った。連絡先を渡されたところで、スルーしてしまいそうだ。実際、今までも幾度となく悪気なしで流してきたのだろうけれど。

「急にどうした?」
「兄様、ちはやはご存知ですよね。彼女を見ていていいなあと。やっぱり私が言うのは意外でしたか?」
「ん、いや意外というか……あーやっぱ意外。あける予定?」
「どうしようかなあと思ってます」
「オレは別にいいと思うけど。でも父さんと母さんがなあ……母さんは大丈夫そうだけどなあ……」

どうだろうなあ、と本気で考え込んでいる彼の耳に光るいくつものピアス。左右数の違うそれは左の方が多く、右には一つしかあいていない。何か理由があってなのかと以前尋ねてみたが、なんとなくだと言っていたのをよく覚えている。
基本的に彼は我侭を言ったりはしない、聡明な人だった。大学の学費も自分で払うためにとバイトしていたし、あくまで推測ではあるものの、これまでの学費もいずれ両親に返すつもりでいるようだった。彼のそんな一線引いた態度に、両親が常々寂しがっていたのを美鈴は知っている。だから彼がピアスあけていいかな、と相談してきたとき、両親は喜んでいた。それほどまでに、彼の自己主張は珍しかったのだ。

「そういえばこの前あけてくれってピアッサー持って頼んできた奴もいたけど。でも美鈴はあけるならちゃんと病院な」
「ええ、それはもちろんです」
「どうしてもあけたいなら、オレも説得してみるから」

彼の優しさは、時として残酷だ。彼にしてみれば、何気ない日常を話しただけに過ぎない。妹を気遣っただけに過ぎない。けれど、美鈴にとっては胸を抉られるような話題だった。美鈴の知らないところで、彼の世界はどんどん広がっていっている。当たり前の事だと分かってはいても、いざ思い知らされると苦しかった。どこか悔しさも覚えながら、ありがとうございます、と礼を伝える。上手く笑えたのか、自分でも分からなかった。

「美鈴って、時々どこか遠くを見てるように笑うよね」

少し前に言われた言葉が、ふと頭によぎる。
優しさなどいらない。暖かさなどほしくない。誰にもふれてほしくはない。虚しさだけが、募っていくから。

「美鈴?」
「あ、どうかしましたか?」
「いや、黙り込んだから。もしかして気分でも悪い?」
「ごめんなさい、大丈夫ですよ。テキスト持って帰るの忘れてきちゃったなーって思い出しただけです」
「何そのどじ。気をつけないと」

ですよね、と冗談めかして笑えば、彼もつられたように笑う。そうしていれば何故か今度は彼が黙り込んでしまったので、じっと彼の顔を見つめた。……綺麗な顔だと、この場には似つかわしくない感想を抱いた。

「どうしましたか?」
「そういえば美鈴は何でオレに敬語使うのかな、と」
「敬語、ですか」

今更といえば、今更過ぎる質問だった。一度も聞かれる事なく、長い時間を過ごしてきたのだから。

「そうですね、癖……みたいなものでしょうか……」

本当の理由なんて、本人に教えられるはずもない。一歳上の兄に敬語を使う美鈴を、周囲はおかしな目で見る事が多かった。それでも美鈴はやめなかったし、両親も咎めはせず彼自身も何も言わなかった。きっと興味がないのだろうと思い、それならそれでいいのだと割り切っていた部分だった。――――それなのにどうして今頃、この人は核心をついてくるのだろう。

「癖、か……。外じゃそうでもないのに、オレにだけ敬語使うもんだから気になってて」
「知って、たんですか!?」
「そりゃ妹の事だし」

美鈴が驚くのも予想内だったのだろう、かざみは特に表情に変化を見せずにあっさりと答えた。何を当たり前の事を、と言いたげな態度に、美鈴は我に帰る。そう、そう、自分は彼にとって「妹」でしかないのだ。今も、そしてこれからも。
彼に敬語を使い続けたのは、そうまでしないと想いが溢れてしまいそうだったからだ。ごまかす事で自分を慰めていただけ。たったそれだけ。

続ける言葉が思いつかず、美鈴が俯いてしまった時、小さなバイブ音が耳に届いた。自分の携帯は音が鳴らないように設定してきたから、これは彼のものだ。かざみも自分の携帯が鳴っている事に気づいたのだろう、確かめるように画面を見ていたがピッと簡単な操作だけするとすぐにポケットに戻してしまった。

「電話だったんじゃないですか?」
「いいよ、どうせアイツだし」
「もしかして兄様、何も言わず出てきたんですか。心配していると思いますよ」
「アイツあほみたいに寝てたし。ったく……」
「じゃあそろそろ出ましょうか」

立ち上がろうとすると、彼は自然な動作で伝票を手に取った。結局、彼には何一つ適わない。

レジに向かっている途中、彼はふと振り返った。長い年月を共に過ごした中でもとびきりの、穏やかな笑みを浮かべて。

「美鈴、ありがとう」

彼は、こんな風に笑う人ではなかった。どこか痛々しさの残る顔で無理をしているような人だった。なのに、どうして。

「お墓、綺麗にしてくれただろ? オレだって随分早く行ったのにもう掃除してあったから、美鈴だって分かったよ。花もわざわざありがとう。二人もきっと喜んでる」

ああ彼は、やはり乗り越えてしまったのだ。自分を置いて、先に進んでしまったのだ。きゅ、と唇を噛み、歪んでしまいそうになる顔を引き締める。零れ落ちてしまいそうになる涙を必死に繋ぎ止める。

「いえ、お気になさらないでください」

悲しくなるだけのやさしさなんて、消えてなくなってしまえばいいのに。一瞬でもそう思ってしまった自分に、ひどく嫌気が差した。

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