「ごめんなさい」

この言葉は何度紡がれたのだろう。

「……うん。好きな人か彼氏、いるよね」
「――――――……ええ、」
「そっか。ありがとう」
「こちらこそ有難うございます」

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(どうして、自分なのだろう)
放課後の裏庭。相手が静かに去っていくのを見つめながら、美鈴はそんな事を思う。
自分に関心のない兄の事だ、恐らく同じような考えを持ってはいるだろうが、自分と兄の思いはまた性質の違うもの。それらは一見似ているようにも見え、しかし本質は全く異なる。どこまでいっても交わりはしない、二つの想い。
いっそ彼への想いも全て捨ててしまえれば、と。何度かそう思った事は、確かにあった。他の人を探した方がいいのだろうかとも思った。けれどその度そう考えた自分に虚しさを感じ、出来るはずもない、と最終的には同じところに辿りついてしまっていた。

簡単に捨てられる程のものなら、最初からこんな気持ちは抱かなかった。(愛しているのだから、心から)

傍にいてほしい人は遠すぎて、聞いて欲しい言葉はあまりに儚い。

「まーた告白されたの?」
「わっ!?」
「そんなに驚かれるとちょっと心外よ。美鈴には心に決めた人がいるっていうのに、彼も報われないわねえ」
「心に決めた人って……」
「違わなくないでしょ?」
「うん、まあそうなんだけど……うんごめんね何でもない」

否定したところで意味がないだろうと、それ以上は飲み込む事にする。影からひょっこりと姿を現したちはやは、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべていた。そのタイミングの良さはひょっとしてずっと見ていたのだろうか、と疑問に感じる程だったが、彼女はそんな事はしないだろうから、やはり完全な偶然なのだろう。
ちはやは哀れむように、男が去った方向を見つめる。美鈴はそんなちはやを見ていた。彼女に想い人が兄であると、伝えた事はない。しかし勘の良い彼女は途中で悟ったのか、時折、こうして口にする事がある。核心はつこうとしない彼女の優しさに甘えながらも、美鈴は否定も肯定もしないでいた。

「……美鈴さ、最近何かあった?」
「え?」
「何もないならいいんだけど。なんか今、遠く見てたから」

何もないならいいのよ、と彼女はくるりと背を向けて歩き出す。しばらくして後ろに誰もついてきていない事に気がついたのか、確かめるように振り返った。

「……美鈴?」
「なんでもない、何でもないよ……」
「――――ちょっとさ、話しない?」

「なんか天気崩れてきてるね」
「……うん」
「あたし傘持ってきてないんだけど、美鈴は?」
「私もない、かな」
「そっか、じゃあ降らないように祈らなきゃね」

二人は芝生に座り込むと空を見上げ、たわいない話を続けていく。主に話しているのはちはやで、美鈴は中身の篭っていない返事を返すばかりだったけれど。
ちはやがどれほど明るく話をしようとも美鈴は顔を上げようとはせず、ずっと俯いたままだった。そんな美鈴を見て、ちはやは優しい手つきで美鈴の頭を撫でる。驚いた美鈴がゆっくりと顔をあげると、ちはやは困ったように優しく微笑んでいた。その顔が、少し前出会った彼とあまりにも似ていて。

「ちはや?」
「多分アンタはさ、あたしがどうしたのって聞いたって喋りはしないのよ。自分の中で考えて、自分の中で解決してしまう子だもの。でも、今の美鈴は消えそうで怖い」

全ての音が途切れるような、衝撃だった。
そんな美鈴の表情を見てちはやは心を痛めながらも、途切れる事なく言葉を紡ぐ。今ここで言わなくては、彼女はもう戻ってこない気がしたのだ。
美鈴の胸の内にある思いは誰も踏み込めないほど確固たるもので、それでいてひどく脆い。美鈴が過去に一度「壊れた」経験を持つのはちはやは知らなかったが、今そうなってしまうともう二度と元通りにはならないだろうと、直感で悟っていた。

「……本当は、こんなこと言われるの嫌なんだって分かってる。でも美鈴、今幸せかな。心から笑えてるかな」

「俺は、本音を言ってる時の君も好きだよ。――――本当の意味で、幸せになって」

「わから、な……」
「美鈴?」
「わた、し、幸せだと思ってた。幸せなの。幸せなんだよ。でも皆わたしに幸せになってって言う。どうして、私、幸せなのに……!」

自分が何を喋っているのか、美鈴自身上手く把握出来ていなかった。胸の奥から溢れてくる言葉が、自分でも望まないうちに勝手に外へ出て行く。こわかった、何も見たくなかった、何も聞きたくなかった。今まで見ないようにしていた、遠ざけていた「不安」が段々と形になっていくのは恐怖でしかないのに、感情のセーブが出来ない。
このままではだめだよ、と心の中で誰かが叫ぶ。全てが、壊れてしまう。知りたくはなかったことを、知ってしまう。

それでも現実は、いつまで経っても現実でしかなかった。

「美鈴さ、本当は自分でちゃんと分かってるんじゃないかな。幸せって、そうやって言い聞かせるものじゃないと思うんだ」

――――――知りたくなんて、なかったのに。
幸せ、だった。ほんとうに、心から。彼の傍にいられるなら、どんな形でも良いと思っていた。彼がいつか誰かを選ぶ事になったとしても、それでいいと思った。だってそうすれば、いつまでも彼と自分の絆は壊れないのだから。
それがまさか、こんな形になるなんて想像もしていなかった。結局、自分だけがいつまでも取り残されたまま。
どれほど追いかけても距離が縮まらない。どれほど願っても届かない。本当は、隣を歩きたかった。出来るなら、一緒に笑いあいたかった。彼を変えるのは、自分でありたかった。できるなら、……ほんとうは。

「……っ、ごめん、私、帰るね」
「美鈴っ!」

それでも今の自分は、すぐに受け入れられるほど強くはない。

**

「雨……」

天気は完全に崩れ、ぽつぽつと、雨が降り出していた。もしかしたら、自分への天罰だったのだろうか。傘を買う事は出来たし、人を呼ぶ事も出来たけれど、今の自分には丁度良かったのかもしれない。そう思い、美鈴は行き先も定まらないままふらふらと歩いていた。
そんな時携帯が鳴っているのに気付き、ゆっくりと取り出すと画面を見る。予想通りちはやからのメールで、美鈴は中身を確認せずに携帯を閉じた。後で、きちんと謝らなくては。
それでも今は、今だけは。この雨に濡れる事を許してほしかった。

「あれ、美鈴?」
「…………あ……、」

誰にも、会いたくなかった。どこから湧いてくるのかさえ分からないどろどろとした感情を、ぶつけてしまいそうだったのだ。
その中でも特別会いたくなかった人の一人に会ってしまうとは、どうにも自分は運が悪いらしい。ひょんな事から知り合った彼女とは時折連絡を取り合う程度で、これといって何かがあるわけではない。ただその「ひょんなこと」の背景事情から、今この場においてもっとも最悪な出会いと言えた。
こちらの姿を確認した彼女は嬉しそうに近づいてきくる。いつもとの変わらないその笑顔が今は、痛い。

「あ、やっぱり美鈴だ! もしかして、と思ったんだけど」
「……奇遇、ね」
「ホント! あれ、美鈴傘ないの?」
「……ええ、急に降ってきたものだから、」
「じゃあこれ使って使って! 私すぐそこだし」
「え、」
「そういえば美鈴の家ってどこなんだろう……」

音が、耳に入らない。もう何も、考えたくない。
対等な立場で出会いたかった。そう思った。けれど、対等な立場にいる人を妬んだりする事は今までなかった。そうする事で彼が少しでも笑う事が出来るならそれでいいと、そう思っていた自分だって、間違いなく存在していたのだ。――――でも、ほんとうは。

「どうして、」
「え?」
「…………っあなたなんて、嫌いよ……!」

最初からあの人と対等な位置に並ぶ事が出来る、貴方が。
どうして貴方はあの人を想ってしまったの。どうして私はそれに気付いてしまったの。頑張ってね、といつもならちゃんと笑って背中を押せるのに、今は笑えないのよ。
彼女の手から傘が落ちる。そこまで確認して、美鈴は雨の中走り去った。これ以上彼女の顔を見ていれば、もっと酷い言葉を投げかけてしまっていたから。

雨が、降る。濡れた頬に少女は気付かないまま、ただ雨が降る。

人は生きながらにして何かを失っている

(貴方が嫌いなわけじゃない。ただ、全てが嫌になってしまうだけ)
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