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DEAD OR ALIVE
第十話  命の審判者

降り積もっていく雪を、ただ静かに見つめていた。いつか止むまで、いつかなかった事になるまで。

「おかえり、ヘキサ」
「ただいま」

朝は随分前に過ぎてしまっているのに、結局執務室に直接来たのに、彼は今度は「遅かったね」とは言わなかった。きっと気を遣ってくれていたのだろう。
ヘキサが何も言えないでいると、スウェルはふっ、と表情を緩めた。

「間に合ってよかった」
「え?」
「まあ、ヘキサが間に合わなかったら向こうに待ってもらうつもりだったけどね」

スウェルは茶目っけたっぷりに笑うと、どこかへ連絡しているようだった。訳が分からず、ヘキサは首を傾げるが、彼は始終にこにこしているだけで何を聞いても軽く流すだけだった。一体、彼は何を考えているのだろうか。そもそも彼の思考回路はどうなっているのだろう。ノエルも充分に変な人物だったが、彼はそれ以上だ。
それから少しして、こんこん、とノックの音が響く。スウェルが「どうぞ」と勧めれば、ゆっくりと扉が開かれた。

「わざわざ来て頂いてすみません」

入ってきたのは五十代ぐらいの、小太りで優しそうな中年男性だった。彼は人好きする笑みを浮かべ、スウェルと一言二言の会話を交わす。

「いえいえ。でも私もまさか軍本部にお呼ばれする日が来るとは思いませんでしたよ」
「とても腕が良いとお聞きしたもので。ですが中々時間が取れず、来て頂けて助かりました」

そんな二人をヘキサはぼうっと眺めていたが、会話が終わるとスウェルが小さく手招きしたため、不思議に思いながらも彼に近づく。

「……なによ?」

ヘキサの声は男性には聞こえないのだが、つい小声になってしまう。

「俺の隣にいてほしいんだよ。後、できれば笑顔で」
「はあ?」
「写真を撮ろうと、思ってね」
「……え?」

写真を、撮る? どうして、なんのために? そもそもどうして自分を呼ぶ? ヘキサが混乱している間にも、スウェルは男性に声をかける。

「あ、準備整いました」
「お一人で、ですか?」
「ふふ、心の恋人がいるんですよ」
「は、はあ……?」
「遠い地にいる彼女に、せめて写真だけでもと思いましてね。ほら、こういう仕事柄ですから、心配しているようで」
「ああ、そうでしたか」

(うっわ、明らかに引いてるじゃない)
もちろん完全にわざとなのだろうから、相手が哀れにさえなってくる。心の恋人とは、もしかしなくても、自分の事を指しているのだろうか。いつからあたしがアンタの恋人になった! ヘキサはつい突っ込みを入れそうになったものの、これ以上独り言を言わせるわけにもいかないだろうと、ぐっと堪えた。

相手も流石にプロなのだろう、すぐに困惑した表情を消し、真剣な顔で年季が入っているカメラに手をかける。

「ほら、ヘキサ。隣来て」
「え?」
「はい、こっち向いて静止してくださいねー」
「二人とも笑った写真を、撮りたいんだよ」
「ええええ?」
「はい、撮りまーす」

カシャッ、と独特の音を立てて、光が二人を照らす。決して写る事はない自分がその時どんな表情を浮かべていたのかは、誰にも分からない。ただ、泣きそうな顔になっていなければいいと、せめて幸せそうであればいいと、そんな事を願った。

「……アンタ、あんな事ばっかりするから変人呼ばわりされるのよ」

男性がいなくなった後、ヘキサは文句を彼にぶつける。残念ながら、効果は全くなかったけれど。

「おや、そうかい?」
「そうよ! 大体、あたしがいなくてもいいじゃないの!」
「ヘキサがいないと意味がないんだよ」
「でもあたしは」
「ヘキサ」

写らないでしょう、と言いかけて。彼の低い声で遮られてしまった。真っ直ぐな瞳と、ぶつかる。

「写真が出来上がったら、リーゼに届けてほしいんだよ」
「スウェル、アンタ……」
「君にしてみれば、俺はひどく残酷な事を言ってるだろうね。俺は君がどんな判断を下そうとも何も言わない。だからこれでお相子だ」
「でも……!」
「謝る必要もない。君は君の成すべき事をしなくては」

結局、スウェルは。全て承知の上で受け入れて許してくれていたのだ。生きる事を諦めているわけではない。死への恐怖がないわけでもない。それならば、うなされたりするはずがない。しかしそれでも、彼はいつだって気を遣ってくれた。奪う者である自分に、知り合いと変わらない態度を取ってくれていたひと。

無意識のうちに下にやってしまっていた目線を上げ、ヘキサは彼の顔を捉える。

「約束するわ。必ず」

**

「そう。命の審判者。ライフ・ジャッジメント。生死を決める、公平なる者」

ほんの少し前に彼に言った台詞が、頭に過ぎる。もう随分と遠い昔のように感じられた。実際はたった七日しか経っていないのだけれど。
命の審判者。それは広い視野を持ち、決して流されない公平なる者。私情を挟んで審判を覆す事は、最大の禁忌だ。そしてノエルはその禁忌を犯し、結果、本来ここにいないはずのスウェルは生きている。上の連中は審判に不正があったかもしれないと疑っていたのだろう。だから、今回スウェルの審判に時間をかけた。当時パートナーだったヘキサを選んだのは、彼らなりの皮肉だったのだろうか。

文字を書き込み、ぱたんと本を閉じる。

「――――審判終了」

あなたのこと嫌いじゃなかった、なんて。伝えていたらなんて返してくれたのかしら?

「出血が止まりません! 傷口が深すぎます……!」
「くそ……っ輸血を急げ!」
「それが……っ輸血用の血液がまだ届かなくて……っ!!」
「こんな時に何をやっているんだ!!」
「48……32……26……血圧まだ下がります!」
「生きろ! 生きるんだ!!」
「ゼロ……!」

**

「石は、もらっていくわね」

返事など、あるはずもないけれど。白い布がかけられた彼に、ゆっくりと手を伸ばして頭を撫でる。予想通り、さらさらとした感触が気持ちよかった。もっと早く、こうしていればよかったのかもしれない。あのとき手を伸ばしていれば、きっと。

エーベンスウェルト・エチェベリア。享年は27歳。突然の爆発から部下を庇い、急いで病院に搬送されたが搬送先で死亡。軍の規則に則り、二階級特進。……紙切れに記されるのは、たったそれだけだ。感傷に浸っていると、ふと気配が増え、目線だけをそちらにやる。自分と同じく人間ではない人物がそこにはいた。

「審判者ヘキサですね。審判ご苦労様です」

背中から白い羽を生やし、美しい金髪と海のように透き通った青い瞳を持つ相手は、何の感情も篭っていない事務的な声音でそう告げた。審判者がいつまでもいる事にいくらか驚いたような気はしたが、眉が少しも動く事はなかった。

「貴方もね。後は任せたわ」
「お任せ下さい」

天使は魂を籠におさめると、音もなく消える。

「さって、あたしも行きましょうかね」

やらなければいけない事は、まだ残っているのだから。さあ、この手で全てを終わらせましょうか。

「お兄ちゃん……?」

胸騒ぎがしたリーゼは、ナースコールを押そうと手を伸ばす。自由に動けさえすれば、すぐにでも駆けつけるのに。
けれど、それは結局押される事はなかった。

「リーゼロッテ」

ヘキサが、彼女の手を止めたからだ。

「ヘキサさん!? あの、お兄ちゃんは……っ! わたし、すごく嫌な予感がしてっあのっ」
「落ち着いて。私は貴方にこれをあげに来たのよ」

取り乱す彼女をなだめ、白くて華奢な手に一枚の写真を置く。現像するために力を使ってしまったけれど、誓約違反などもはや今更だ。

「あの、ヘキサさん。これは……」
「アイツの生きた証よ」
「ふふ、誰のこと考えてたのかな。お兄ちゃん、すごく幸せそうに笑ってる」

そう言ったリーゼも、本当に幸せそうな表情を浮かべていた。彼女が写真に見惚れている間に、ポケットから石を取り出す。――――これでようやく、欠けていたものは揃った。

「あれ? ヘキサさん?」

突然いなくなったヘキサを探すようにきょろきょろと辺りを見渡すリーゼ。そんな彼女目の前に右手をかざし、ヘキサは一言呟いた。

「貴方の兄が貴方を愛していた事。貴方は、それだけを知っていればいいのよ」

誰に気付かれる事もなく、ヘキサの指先が淡い光を発した。

「あれ……? わたし、今誰とお話してたんだろう……」
「リーゼちゃん! 貴方のお兄さんが……っ!!」
「……え?」

ばたばたと病室に入ってきた看護師が伝えると、リーゼの顔から血の気が引いていく。看護師に連れられて車椅子で部屋から出て行った彼女を見送ると、ヘキサも姿を消す。

もうこれ以上、ここに留まる必要はない。役目は、果たしたのだから。

「……貴方はなんて言うんでしょうね、ノエル」

いつもと変わらず辛気臭い地で、彼の石を握り締める。ヘキサが腰掛ける噴水は、ノエルとよく一緒に来た場所だった。ここから見える景色は変わらないのに、今はひとりきり。

彼はどうして、と怒るだろうか。ヘキサらしいね、と受け入れてくれるだろうか。そんな風に色々と考えていると、気配がひとつ増えた。

「あの、貴方がヘキサさんですか?」
「ええ、そうよ。ようこそ、新米審判者さん」

さらさらとした茶髪、ダークブラウンの瞳は、不安げに揺れている。目の前の人物は、彼なら絶対にしないだろう表情を浮かべていた。
背中にある白い羽と黒い羽が不釣合いだが、どうせすぐに慣れるだろう。ヘキサの言葉を待つ彼に向かって、ヘキサは優しく微笑んだ。

「貴方に名前をあげるわ、スウェル。――――良い名前でしょう?」

DEAD OR ALIVE

答えは、私だけが知っていればいい。
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