DEAD OR ALIVE
第三話  カウントダウン・スタート

ヘキサは審判者の有り方、世界の仕組み、スウェルの今後について語った。それらはまるで子どもの空想のようで、けれど避けようもない現実だった。
そんな二人の間に再び訪れるのは沈黙や重苦しい空気……ではなかった。

「ヘキサは親切だね」
「……は?」

予想外すぎる返答をされ、ヘキサは素で聞き返してしまう。そんな彼女は気にせず、スウェルはぺらぺらと喋った。

「ある程度予想はついていたけれど、興味深い話が聞けたよ。で、俺の審判にかける時間ってどのくらい?」
「え、ええ……一週間って言われているけど」
「じゃあ一週間の間、よろしくお願いするよ」

はい、握手。
え、うん?
ヘキサは訳も分からぬまま、彼が差し出した手を取る。頭の中で思い描いていたよりもずっとごつごつとした、大きな手だった。彼自身が持つ穏やかな雰囲気とは異なり、これでは冗談でもピアノが趣味なんですーだなんて言えないだろう。これは、使い込まれた手だ。たったそれだけで、彼がどんな生活を送ってきたのか想像出来た気がした。
ヘキサは自分でも無意識のうちに握る力を強くする。それに反応して、返ってくる力も強くなった。(ん……返ってくる、力?)

「そんなに俺と手を繋いでいたいなんて、光栄だね」
「っ!」

つられて握手したまま、些かの時間が経過していた事にヘキサはようやく気付く。勢いよく手を離したものの遅かったようで、彼は愉快そうに笑みを零していた。
ダメだ、一緒にいたらペースを持っていかれる。そう判断したヘキサは翼をばたばたと羽ばたかせて彼から距離を置いた。

「おや、あからさまに逃げられると流石に傷つくよ」
「嘘おっしゃい! アンタさっきから楽しんでるでしょう!」
「ヘキサの反応が魅力的でつい、ね」
「アンタに恐怖とか絶望とか、この世への未練とか、ないのっ! あたしはアンタを殺すかもしれないのよ!?」

感情任せに叫んでしまった、数々の言葉。それらは、明らかに失言だった。――――しまった、言うんじゃなかった。ヘキサがそう後悔する頃には、もう取り返しがつかなかった。
目が合った時の彼のあまりにも冷めた表情に、ぞっとした。 まるで金縛りにでもあったかのように、体は一ミリも動かない。謝罪しようにも、声が掠れて音にはならない。先程までは取り繕っていただけで、恐らくはこれが彼の本質なのだろう。ヘキサは、彼の中の呼び起こしてはいけない部分に踏み込んでしまったのだ。
成す術もなく立ち尽くす彼女を見て、スウェルは軽く口角を上げる。

「それが世界の循環のようだし、俺がどうのこうの口出したところで意味はなさそうだしね。これでも軍人だから、軍に入った時に覚悟はしてるよ。それに、試した限りでは君は喜怒哀楽がきちんとある。善悪の区別もあるようだ」
「それが、なに、よ」
「俺が生きたい、と縋ったとして。君は悩むだろう? そうして罪悪感が生まれるだろう? その時点で、君が行う審判は公平なものではなくなる。それは」

一度区切り、スウェルは更に続けた。

「君が繰り返す「誓約」とやらに触れるのだろう?」

今にも泣き出しそうなのを堪え、ヘキサは唇を噛み締める。何の反論も、出来なかった。彼の言っている内容は、全てその通りだったからだ。
どうして、見抜かれてしまったのだろう。どうしてこんな風に気遣われているのだろう。これでは審判者失格だ。――こんなとき、あの人なら。どうしただろうか。

無言の肯定。多分彼女は、彼女自身が思っている以上に優しい人物なのだろう。スウェルは心の中でそんな感想を抱きながら、音もなくヘキサに近づく。そして彼女の肩をぽん、と叩いた。

「改めて、一週間よろしく頼むよ。俺の事はスウェルと呼んでくれればいいから」
「……わかったわ、スウェル」
「うん、よろしく。ヘキサ」

そうして、二人の奇妙な共同生活が始まった。

**

「一応客室もあるけれど、ヘキサはそこで寝るかい?」
「ここでいいわ」
「ん、俺と離れたくない? 寂しがり屋なんだね」
「どうしたらそんな解釈になるのよ! 元々そんなに睡眠はいらないの! それだけ!」
「けど寝ないにしても、この部屋にいるんだろう?」
「そ、それはそうだけど……っそれは仕方なくっ」

(うん、面白い)
彼女はなんともまあ、からがいのあるタイプだ。昔、それこそ名前すらも思い出せない誰かに悪趣味だと罵られたりもしたが、面白いものは面白いのだから仕方ないわけである。そういう発想も含めての言葉なのだろうけれど。
スウェルが予想した通り、ヘキサは顔を赤くしたまま非機嫌そうにソファに腰を落としていた。それがまた彼の興味を惹いたわけだが、彼女が気付いていたら全力で否定したかった事だろう。

しかし、彼女は本気でこのままソファで過ごすつもりなのだろうか。彼女が寝るつもりならベッドは譲るつもりだったのだが――流石の彼もレディファーストの精神くらいは持ち合わせている――この場合代わる必要はないだろう。スウェルはそう自己完結し、冷たいベッドに潜り込む。
(いや、あれは呆れられたんだったか。もしくは両方かもしれないね)
今まで何度言われたかなんて、数えても意味のない事の一つだ。

「じゃあ、俺は寝るよ。お休み、ヘキサ」
「ええ、おやすみ。……なによ、嬉しそうな顔して。気持ち悪いわね」
「誰かにお休みと声をかけてもらうのは、久しぶりだと思ってね」

なんだかとても心地よくて、自然と顔が綻ぶ。久しく忘れていた感覚だ。不可解そうに自分を見つめるヘキサには当然気付いていたが、それでもスウェルは不快そうにするでもなく、ただ穏やかに笑っていた。
そうしていくうちに襲ってきた睡魔に身を任せ、そっと瞳を閉じる。そんな彼を目にしたヘキサは、かすかに微笑んだ。

「お休みなさい、スウェル」

それはまるで母親のように暖かく、そして優しいものであった事を、彼は果たして知っていただろうか。

「……眠ると、幼く見えるのね」

それからしばらくして完全に眠ったスウェルを、じっと観察する。起きている時にしようものならきっとまた茶化されるだろうから、今だけ許された行為だった。
さらさらとした茶髪、温和な雰囲気とは反対に意思の強そうなダークブラウンの瞳。一度開けばろくな事を喋らない口は、呼吸のために薄く開かれているだけだ。これで寝相が悪かったりでもしたらからかいのネタになったのだが、どうやらそうでもないようで、ヘキサはほんの少しの悔しさを覚えた。

そんな時、彼の声がヘキサの耳に届く。それが尋常ではなかったため、ぼうっとしていたヘキサは慌てて視線を戻す。うなされて、いた。
ヘキサは反射的に手を伸ばしかけて、すぐに下ろす。そして黒と白の翼を羽ばたかせると、窓をするりと通り抜けて外へと出て行った。彼が起きないように細心の注意を払いながら。

触れていいはずが、ないのだ。うなされるような理由を作ったのは他ならない自分なのだから。

**

「おはよう、ヘキサ」
「おはよう」
「うん、いいね」
「は?」

目が覚めたスウェルは乱れた髪を手櫛で直しながら、満足げに笑う。そして思い出したように口を開いた。

「そうだ。朝食、食べるかい?」
「いらない」
「二人分なんて久しぶりだ。腕が鳴るよ」
「ちょっと、最初から聞かなくてよかったじゃないの!」
「朝からナイス突っ込みだね、ヘキサ」

(……ああ、何も変わらない)
夢だと疑っていたわけでもなければ、そう信じていたわけでもないが、どこか不思議な感覚だった。貴重な体験だな、とスウェルはカーテンを開ける。そうして差し込んできた眩しいまでの光で、朝が来たのだと悟るのだった。
今日もまた、一日が始まる。昨日までと何一つとして変わらないまま。

「ところでアンタ、料理出来るんでしょうね」
「実は下手でしたー、なんてオチはないから安心してくれていいよ。これでも自炊しているからね」

スウェルはキッチンの前、ヘキサはダイニングテーブルに場所を移す。彼女は何が好きだろうか、と考えながら、スウェルは冷蔵庫を開けた。そして中身を確かめる。
(ふむ、これは食材を買い足さなくてはいけないね)
中には飲み物しかない――なんて事はなく、寧ろ充分なまでの食材が揃っているのだが、当然ながら一人分の計算だ。これから一週間彼女と生活するのだから、二人分の食材を買わなくては。それはあまりにもささやかすぎる未来設計だったが、彼にとっては何より楽しみだった。

「……ちょっと、今なんか変な事考えてない?」
「そんなまさか。大事な問題だよ」
「ふうん……」
「聞きたいかい?」
「遠慮しておくわ」
「おや、それは残念」

残念、と口では言いつつも全くそうは思っていないだろう顔で、スウェルは持っていた卵を割った。

「はい、どうぞ」
「美味しそうなのが悔しい……」
「ああ、ヘキサは料理出来そうにないね」
「う、うるさいわね! 作る必要なんてないからよ!」

スウェルにしてみればただなんとなくの台詞だったのだが、どうやら図星らしい。以前「食べなくても平気」と宣言していたのだから、彼女にとってはする意味もないのだろうけれど。
恐ろしいものを作りそうだ、とそれは失礼な考えを巡らせながら、スウェルは食事を進める。
焼きトマトとベーコンを添えたふわふわのスクランブルエッグ、かぼちゃの甘みを生かしたポタージュ、季節のフルーツ、トーストは好みが分からなかったため、オレンジジャム、ブルーベリージャム、バターと三種類用意したが、彼女が選んだのはオレンジだった。明日はオレンジジュースでも出してみようか、とそんな事を計画しながら、カフェオレを口に含む。うん、我ながら美味しい。

スウェルがそんな風に過ごしていた時、ふとある物が目に留まった。

「……あれは、ヘキサが?」

既に見慣れたはずの花瓶に生けてあるのは、大きさも色もバラバラの沢山の花だった。当然ながらスウェルが生けたものではないし、花が勝手にやってきた、なんて可愛らしい事もありえない。とすれば、彼女しかいなかった。

「さ、さあね」

(……ヘキサ、君は嘘がつけないタイプだね)
否定しても、明らかにしどろもどろでは何の効果もない。それにおまけして目も泳いでいれば、もう疑う理由はなかった。それなのに、答えが出た今も視線を外せないでいるのは、どうしてだろうか。
今までどこか、義務感で買ってきていたところがあった。だからさほど関心もなかったし、眺めたりもしなかった。けれど今は、精一杯に咲き誇る様を美しいと、愛おしいとすら思う。

「ありがとう、ヘキサ」
「なんのことかしら」

きっと楽しい日々が送れるだろうと、彼は根拠もない確信を持った。