DEAD OR ALIVE
第五話  白に消えていく足跡

一日の仕事も終わり、さあ部屋から出ようか、というそんな時、スウェルはまた唐突に切り出した。

「ああそうだ、ヘキサ」
「何よ」
「私の後ろをついてくるの、やめてもらえないかな。どうせなら隣……更に言うなら歩いてくれると嬉しいよ」
「……はい?」

アンタ何が言いたいの、と眉を顰めるヘキサは気にせず、スウェルはにっこりと笑う。そのせいで、ヘキサは余計に理解出来なくなってしまった。
基本的にヘキサは、スウェルの右斜め後ろからついてきていた。彼を監視するためである。歩かずに飛んでいたのは、ただの癖だ。しかしどうやら、どちらもスウェルには不服であったらしい。

「折角だからね」

一体何が「折角」なのか、ヘキサが読み取る事はなかったけれど。

「やっぱり女性寄りなのか。今回は分かりやすいと思うけどね……。で、返事は?」
「まあ、そのくらいなら」

前半は聞き逃してしまったヘキサは、まあいいかと何気なく頷く。これ以降、スウェルの隣を歩くヘキサがいた。それを知っているのは、二人だけだけど。

そんな話をした後、スウェルは大量の食材を買い込んで、その日の夕飯を作った。次の日は早起きして二人分の弁当を作った。三日目はお互いにやっと慣れてきた。そうやって過ごした四日間は、あっという間だった。言葉にされない多くの想いを置き去りにしながら、それでも時間だけは平等に流れていったのである。
そうして迎えた、五日目。変わりなく大量の書類と格闘していたスウェルは、不意にぽつりと呟いた。

「今日、ヘキサに会ってほしい人がいるんだよ」

その声があまりにも真剣で、どこか憂いを帯びていて、ヘキサは思わず手を止めて彼の顔を凝視する。

「あたしに?」
「そう、君に。……ああ、両親に紹介しますーなんて話じゃないから緊張しなくていいよ。四年前に亡くなってるしね」

知ってる。ヘキサは一瞬そう言いかけて、すぐに口を噤んだ。その場面を見たわけでも、彼から聞いて知っているわけでもないからだ。
知っているんじゃない。過ぎ去った出来事として、知識として頭にあるだけ。その時の彼の心情がどんなものであったかなんて、知るはずもなければ況してやヘキサには想像すらつかない。紙切れに数行書かれた事実だけしか分からない自分が、どうしてそんな無責任な言葉を言えただろうか。

「……いいわよ」

だから、そう返すだけで精一杯だった。

「よかった。居たくなかったら、違う場所にいてもいいから」

そう言って微笑むスウェルの笑みはいつもより弱々しく見えて、ヘキサは嫌な予感を覚える。極力それを顔に出さないように注意して、書類に再び目線を落とした。けれどきっと、彼には全てお見通しだったのだろう。
この時、拒否していたら。何も知ろうとしなかったら。きっと何も知らないままでいた。何一つ変わりはしないまま、与えられた任務をこなすだけの日々を繰り返していたはずだ。それがどれだけ愚かな事なのか、疑問すらも抱かないまま。

彼が辿った足跡をひとつひとつ辿っていたのだと気付いたのは、ずっと後になってからだった。
あなたは、最期に何を想っていたのだろうか。

**

(既に逃げ出したい……)
足を踏み入れた時から感じていた独特の香りが、思考を奪っていく。ここは、ヘキサの苦手な場所の一つでもあった。この場所は、あまりにも自分と近すぎるのだ。

数え切れないほどの人々とすれ違う。誰のものかもわからない話し声が、いくつも混じる。笑い声、泣き声、切羽詰った声、どれもが、ヘキサを追い詰めていく。――――過程はどうであれ、止めを刺すのは自分達だ。

「……ヘキサ? 大丈夫かい?」

心配そうに声をかけられ、ヘキサは我に返る。

「平気よ。てかアンタ、外であたしに話しかけないの。傍から見たらぶつぶつ独り言呟いてる怪しい男でしかないわよ」
「はは、違いない」

(……コイツ、本当に人の目とか気にしないわね)
けらけらと笑う様子一つを取っても、他人からの評価について何か考えている風には見えない。どう反応したらいいのか困る相手を見て楽しんでいる節さえあるのだから、非常に性質の悪い人間だと言えるだろう。かなり良く言えば他人に流されず自分の意思を貫けるだけの強さを持っているのかもしれないが。

そうやってひそひそと話しをしていると、やがて彼はある部屋の前で立ち止まる。

「着いたよ」

ヘキサにそう声をかけて、こんこん、と扉を叩く。「どうぞー」という可愛らしい声が聞こえたのを確認してから、スウェルは慣れた動作で中へと入っていった。ヘキサも彼に続こうとしたが、ある物が彼女の思考と足を止めてしまう。

286号室 リーゼロッテ・エチェベリア
入り口に貼られたプレートに書かれている名前を、見間違えるわけもない。四年前から入院している、彼の最愛の妹だ。そして、ヘキサが書類上だけで知っている人物でもあった。

「最近来れなくてすまないね、リーゼ」
「ううん、お兄ちゃん暇を見つけては来てくれるじゃない。リヒトさんが言ってたよ、本当は凄く忙しいんだって」
「またアイツは俺に内緒でここに来たのか……。俺としては、毎日でも来たいんだけどね」

開いたままの扉から、兄妹の和やかな会話が聞こえてくる。
彼とよく似た色の髪と、大きな瞳。入院着なのだろう、ワンピースにも見えるピンク色のパジャマがよく似合う線の細い少女だ。点滴のために剥き出しになっている肌は、雪のように白い。確か今年で17歳になるのだと書類には記されていたはずだが、その割には随分と幼く映った。

いつまでもこうして観察していても仕方ない、とヘキサは覚悟を決めて病室へと足を踏み入れる。白で統一され、医薬品の匂いが充満する部屋は、いるだけで頭が痛くなりそうだ。その中で咲き誇っている花に、安堵さえ芽生える。

「あれ?」

スウェルが別のところに視線を移したためか、リーゼロッテもつられて兄と同じ場所を見る。何かに気付いたのか、少女は素朴な声をあげた。

「お姉ちゃん、もしかしてお兄ちゃんの彼女さん?」

その言葉がヘキサにどれだけの動揺を与えるのかなど知りもせず、少女は爆弾発言を落とした。現実に引き戻すには充分すぎるだけの衝撃を伴って。

「……一応確認するけど、あたしのこと、よね……?」
「うん!」
「まって待って待って……あたしちょっとついていけない……」
「現実逃避だね、ヘキサ」
「ヘキサさんって言うんですね! 初めまして、わたしはリーゼロッテっていいます」

屈託のない柔らかい笑みを浮かべて、彼女はそう名乗った。この容姿を見てなんとも思わないのか、とか。あまつさえよくも彼女だなんて誤解をしたものだ、とか。色々と突っ込みたい点はあったが、そもそも。

「アンタらは何であたしが視えるのよ……!!」

ヘキサ、性別不詳、年齢も不詳、外見年齢は26歳。赤い髪が特徴的な、見た目は死神の命の審判者。そんな彼女の心から搾り出された言葉は、二人の笑顔によって流されてしまった。

**

「ひょっとしたら――――とは考えていたんだが、まさか本当に視えるとはね」
「アンタ達、なんかどっか別の星の生まれなんじゃないの……」
「失礼だねえ」
「それくらいありえないのよ! ああもうこれじゃ干渉しまくりじゃない……いやでもあたしは悪くないわよね、何もしてないわよね。そうよ、うん。大体上の連中があたしに押し付けるから! 事件は会議室で起きてるんじゃないってのよ、事件は現場で起きてるのよ!」
「まーた勢いに任せて喋ってるね。リーゼ、何か飲むかい?」
「うんとね、オレンジジュース!」

混乱してひたすら喋り続けるヘキサを無視して、兄妹はのんびりとティータイム。ヘキサはしばらくして、ようやくその状況に気付いた。

「ちょっと、何まったりしてるのよ! どれだけ重要な事かわかってるの!?」
「そうは言っても、俺たちは困らないしね。ヘキサは何飲みたい?」
「あ、じゃあココア……ってそんな事はどうでもいいのよ!」
「はい、どうぞ。カルシウムが足りてないよ、ヘキサ」
「あ、にぼしありますよ! あとはえーと、ミルクかな?」
「どっちもいらないわっていうか何で病室ににぼしがあるのよ……」
「えへへ、すきなんです」

非常に残念ながら、あの兄にしてこの妹あり、だった。
頭痛が酷くなってくるのは、当然の話だろう。しかし笑顔で差し出されたにぼしを無視するのも良心が痛み、ヘキサは仕方なく手を伸ばす。――ああもう、本当に調子が狂う!

「おいしいですか? お兄ちゃんにこんなに素敵な彼女さんがいたなんて知らなかったな。お兄ちゃんったらそういう話ししてくれないから」
「妹に話すのは恥ずかしいものなんだよ、リーゼ」
「そうなの? だからリヒトさんが教えてくれるのかな」
「……アイツはここに何しに来てるんだか」

受け取ったにぼしをぼりぼりと食べながら、二人の会話をぼんやりと聞く。先ほども話題に上っていた「リヒト」とは、スウェルの親しい者リストの中に入っていた名前だ。スウェルの同期で、階級は彼の上が一段上。スウェルとは違い豪快な性格だが、何かと気が合うらしい。データを集めはしたが、今は遠征に出ているとかで、実際に目にした事はなかったけれど。この様子から察するに、妹とも仲が良いのだろう。

そうして食べ終えたヘキサは、はあ、と大きな溜息をつく。いい加減に、腹をくくるべきなのかもしれない。

「あたしはヘキサ。人間じゃないし、ましてやコイツの彼女だなんて誤解もいいところだわ。よろしくね、……リーゼロッテ」

命を司る者だとは、この場所ではどうしても口に出せなかった。

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