DEAD OR ALIVE
第九話  少女の涙の理由

ヘキサが一人格闘している中、スウェルはようやく残業を終えて帰宅していた。

「ただいま」

家の中は真っ暗で、誰かがいる気配もない。少しだけ期待していたが、やはりまだ彼女は帰っていないらしい。もういっそ廊下で寝てしまいたい気持ちを抱きながらも、それでは確実に風邪を引いてしまうと重たい足を引きずって部屋までの道のりを歩いた。
本当は、仮眠室で寝ようかとも考えた。わざわざ家に帰るよりもそちらの方が効率が良いし、今までも何度もそうした事があるからだ。ただふと、ためらう気持ちが生まれた。どうせなら家に帰ろう、と。 ヘキサが帰ってきたとしたら、家で迎えたいと思った。一緒に朝食を取りたかった。そして何より。この家で過ごせる時間は残り少ないかもしれないと、気付いたのだ。

なんとか部屋に辿り着いたスウェルは、灯りをつける事も服を脱ぐ事もなくそのままベッドにダイブする。軍服に皺がついてしまう、と頭の片隅に過ぎったが、眠気には抗えなかった。

どこかでだれかが、泣いている。
最初は性別も分からないような年頃の子どもの声。次は女の子の泣き声。赤ん坊が泣きじゃくるような泣き方は次第に落ち着いていき、最後にはいくつもの泣き声が重なって聞こえた。

――――なかないで。
頭を撫でようと伸ばした手は何も掴めず、無にとけていく。
――――泣かないで。
それだけを願うのに声は出ず、口は形だけを刻む。
――――そばにいるよ。どうかそれだけは、届いて。
そう強く願うと、何もなかったはずの空間にぼんやりと人の形が浮かび上がってくる。顔はよく見えなかったが、長い髪とスカートから察するに女の子のようだった。少女は音もなくはらはらと涙を流し、スウェルを見つめてくる。少女の唇が、ゆっくりと動いた。

うそつき。

今にも消えそうな儚さなのに、少女の茶色の瞳は強い輝きを持っていた。

「リーゼ……?」

目を開けたスウェルが真っ先に視界に入れたのは、もう見慣れた天井だった。ならば、今のは夢だったのだろう。内容はどうにも思い出せなかったが、胸が苦しくなるような、そんな夢だった気がする。見事に皺だらけになってしまったコートにアイロンをかけようと、ベッドから抜け出した。

**

「だ、大分片付いたわ……!」

服の袖をめくり、髪も結んだヘキサは、右手を額にあてて満足げに呟く。とは言ってもまだまだ散らかっているが、それでも充分に綺麗になった方だ。大体、掃除とは定期的にやるべきだ。溜め込んでしまうから、こんな事になる。日頃の習慣にしてしまえば、物が見つからないと困る事だって少ないだろうに。そんな風に考えてみて、ヘキサは自分の目的が変わっている事に気付いた。間違っても、掃除をするためにここへ来たのではない。

「ノエル、これ何よ」
「え? あ、それ日記なんだ。ちょっと前からつけてるのさー」
「……アンタって本当変わってるわよね」
「あ、ヘキサは三日坊主っぽいよね!」
「うるっさいわね!!」

褒めてなんかいないのに、あの時の彼は満面の笑顔だった。
四年前、スウェルを含む四人の審判をしたのは彼だった可能性がある。ノエルがもしも、この白黒の世界で日記を書き続けていたとしたら。それがまた形として残っているのなら。彼に近づく手段は、もうそれしかなかった。

「……にしても、汚すぎよ」

ここまで綺麗にした自分に拍手したいほどだ。しかし、一体どこにあるのだろうか。独特すぎるあのデザインは見ればすぐに分かるだろうと思っていたのだが。
ふう、と小さく息を吐き出す。前髪を掻き上げようとしたら、腕を積み重なっていた山にぶつけてしまう。すさまじい音を立てて、勢いよく崩れ落ちた。

「ああああもう!! あーもう嫌になってきた……。……あれ?」

床に散らばってしまったゴミの中から、ひょっこりと顔を出すのは一冊の本。埋もれてしまっているそれを慌てて掘り起こし、ぽんぱんと汚れをはたく。柔らかい緑色の表紙に赤で子どもの落書きのような絵が大きく描かれた、これは。

「みつけた……っ!!」

彼が残した、足跡だった。

「ばか、じゃないの、ノエル……!!」

本を持つ手に、自然と力が篭る。日記には、全てが書き記されてあった。ヘキサが失敗しただとか、食べ物が美味しかっただとか、どうでもいい事ばかりだったけれど、彼が掟を破る直前には彼の本音の数々が記されていたのだ。

「どうしてよ……っ!!」

全ての謎と違和感は、一つに繋がった。けれど。

「リーゼロッテをそんなに愛してたっていうの……!!」

本来変えてはならないの道筋を曲げてまで、パートナーを裏切ってまで、そうまでして。彼女を守りたかったというのか。

日記に書かれた真相は、ヘキサにとって衝撃的な事ばかりだった。四年前、本当は両親とともにスウェルも命を落とすはずだったのだという。けれどノエルは道筋を強引に変え、スウェルを生かした。全てはリーゼロッテのために。彼女がひとりぼっちになってしまわぬように。
かつては自分にも妹がいたのを、スウェルと遊ぶリーゼロッテを見て思い出したらしい。そして自分が死んだ事で彼女を置き去りにしてしまった過去も。
運命に抗った代償としてリーゼロッテも事故に巻き込まれてしまったが、元々生きる運命にあった彼女はそれでも生きている。何一つ知る事もなく、ノエルの魂とも呼べる石を持って。

「アンタ、どこまでお人よしなのよノエル……」

自分ではこれが精一杯だと、無念そうにそう綴られていた。自分が消えてしまうのだ、怖くなかったはずがない。戸惑いが全くなかったはずもない。なのに、彼の日記にはリーゼロッテへの愛情だけが溢れていた。

「ねえ、ヘキサは誰かを好きになったことってある?」
「はあ? 何よ、その無駄な質問」
「えー、無駄とか言っちゃうんだ。ひどいなあ。僕はヘキサ好きなのに」
「え、あ……?」
「あとねー、林檎も好きだしアップルパイなんかも最高だよね。ねこも好き! あとはー」
「……もういいわ」

照れた自分が馬鹿だった、とヘキサはさっさと仕事に戻る。だから知らなかった、彼がひどく真剣な顔をしていたなんて。

「たったひとり。本当に好きな人ができたら。きっと僕はその人に尽くせる気がするんだ」

ぽたぽたと零れ落ちる涙は日記の上に落ちていくが、染みになる事もなくすぐに乾いていく。まるで、始めから存在すらなかったかのように。

きっとヘキサは怒るだろうなあ
――――当たり前よ、あの時も今も怒ってるわよ
でもきっと悲しんでくれるんだよね ヘキサは優しかったから
――――アンタの方がずっと優しかったくせに
それでも僕は謝れない。自分が選んだ道が間違いだとは言いたくないんだ
――――そういうとこ、頑固よね 生前からそうだったの?
この日記は、もしかしたら僕と同じ道を辿るかもしれない。最初からなかった事になってしまうかもしれない。それでも最後はこの言葉で終わりたい。

ヘキサ、君は最高のパートナーだった。
――――あたしだって、そう思ってたのよ。もう伝えられなくなってしまったじゃないの。

「あたしにどうしろって言うのよ……」

ヘキサは座り込んだまま、起き上がる気力も湧かないでいた。ほんの一瞬でも、知らなければよかったと後悔する自分に吐き気がする。知ろうとして近づいたのは、間違いなく自分だというのに。自分が知らなければ彼の想いは誰にも届く事さえなく消えるだけだったのに。

「あたし、は……っ!!」

色んな映像が浮かんでは消えて、浮かんでは消えていく。沢山の声が重なって、誰の声なのかも何を言っているのかも聞き取れない。その中、はっきりと聞こえる少女の言葉があった。

"ありがとう、ヘキサさん"

……ちがうわ、リーゼロッテ。貴方がお礼を言う相手はあたしじゃないのよ。

「あ……っ時間!!」

朝には戻る、と言い残したのに、予想外に時間をかけてしまった。
審判者という存在を知り、世界の流れを知ったスウェルが自殺でもしてしまえば、定められた道筋が狂ってしまう。だからヘキサはずっとスウェルを"監視"していた。途中で彼は何の行動も起こさないと気付いたけれど、彼が何もかも承知の上で自分を許してくれたのも知っていたけれど。

戻らないといけない。

それは何のために? 彼の審判を続けるため? ノエルの想いを引き継ぐため? そんな事じゃない。

「あたしは「戻る」ってアイツに言ったんだもの」

どうせ最初から、答えは決まっているのだから。

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