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緋色の魔女
お師匠さまと弟子の日常

敵は当然の事、味方にさえ恐れられた一人の魔女がいる。百年前に隣国との間でおきた大戦において数多の兵をなぎ払い、終戦へと導いた存在だ。

魔女は他者を寄せ付けない圧倒的な力を持っていた。誰よりも強く、誰よりも人の命を奪った。誰よりも美しかった。血を連想させる魔女の瞳の色と、魔女の得意魔法が炎であった事から、彼女は畏怖と敬意を込めてこう呼ばれる。

緋色の魔女、と。

「きゃあああああ!」

うららかな午後。一人の少女のか弱い悲鳴が、深い森の奥にひっそりと建てられた家中に響き渡る。

「お師匠さま、エイレンティアさまっ! どうされました!?」
「せ、セオ……っ」

少女は大きな瞳を滲ませながら、ドアを壊しかねない勢いで現れた青年に状況を説明しようとする。しかしそれよりも早く察した青年は彼女を自分の背に庇い、腰から短剣を引き抜く。的を定め、勢いよく壁に向かって投げつけた。

見事までに心臓を貫かれた毒グモは、呆気なく絶命する。無表情で見届けた青年は短い詠唱を紡いで跡形もなく燃やした。短剣を抜くついでに修復魔法を使い、刺さった跡さえ消してみせる。そこに至るまで、所要時間はほんの僅か。流れるように完成された動きだった。

「お師匠さま、もう大丈夫ですよ」
「ほ、ほんとうですか……? もういないですか……?」
「私はお師匠さまに嘘をついた事などありませんよ?」
「い、いえっ。断じてセオを疑っているわけではないのです! た、ただ、まだいたらどうしようって思っただけで……っ」
「ふふ、分かっています。お師匠さまはお優しい方ですからね。ほら、いないでしょう?」

きっと穏やかに笑っているだろう青年の言葉を信じて、少女は彼の大きな背中からおそるおそる顔を出す。彼の言った通りそこには生き物がいた形跡もなく、少女はほっと胸を撫で下ろした。

「ありがとうございました、セオ。え、あれ、でもっ。セオ、もしかしてさっき炎魔法使ってましたです?」
「ええ。私が使うものですので、下級ですが」
「ご、ご、ごめんなさい……っ! 本当ならわたしが守らないといけませんのに! そうですよね、魔法使えばよかったんですっ。それなのにわたしったらそんなことにも気づかないでセオに手間をかけさせて……っ。あうう、お師匠さましっかくです……」

とうとう大粒の涙を零し始めた少女に、青年は困ったように眉を下げる。膝をついてしゃがみこむと、長い指で少女の涙を救い始めた。彼女が泣き止むまで、何度も、何度も。

「お師匠さま、エイレンティアさま。人には誰しも苦手なものがあります。お師匠様さまが苦手だったものが、たまたま私が平気だっただけですよ。逆の立場なら、お師匠さまは私を助けてくださるでしょう?」
「そ、それはもちろんです! 当たり前です!」
「ね、それでいいじゃないですか。ですからどうか泣き止んでください。貴方の涙を見るのは辛いんです」

辛い、と心底切実そうに言われ、少女は必死に心を落ち着かせる。健気なその姿はなんともいじらしく、青年は少女の頬を愛おしげにそっと撫で、互いに微笑みあった。

「丁度良い時間ですし、ティータイムにするのはどうでしょうか?」
「はいっ! 今日はですね、ラズルの実でパイを焼いてみたのです!」
「それでお師匠さまから甘い匂いがするのですね。楽しみです」

立ち上がった青年に手を差し出され、少女は極自然な仕草で彼の手を取る。まるで恋人のように、夫婦のように、兄妹のように、或いはその全てのように深い慈しみを持って、二人は歩き出した。

少女の名はエイレンティア・ルーン・アンブローズ。青年の名はセオドリーク・ルーン・オルブライト。国に認められた者だけが名乗る事を許される「ルーン」の名を与えられた魔女と魔法使いの正しい関係は、「師弟」であった。

◇◇◇

ああ、可愛い。本当に可愛い。既に何十回、何百回、何千回と繰り返した言葉を、セオドリークは今日もまた噛み締める。小さな口に甘いお菓子を含むエイレンティアは、それはもう目に入れても痛くないほどに愛らしい。時折不安げにこちらを見る彼女を安心させるように「とても美味しいです」と嘘偽りない心からの賛辞を述べれば、彼女はほのかに頬を染めて嬉しそうにはにかんでくれる。これを幸せと呼ばずして、何と呼ぶ? セオドリークはつい緩んでしまいそうになる自分の顔を引き締めながら、彼女のペースに合わせてゆっくりとパイを口に運んだ。

彼女とこうして一緒にいられるようになって、もう何十年が過ぎただろう。

闇を思わせる艶やかな黒髪は緩やかに波打っており、青いリボンによって高い位置で結ばれている。血を連想させる瞳は零れ落ちんばかりに大きく、いつも自信なさげにしているためか、恐ろしい印象など全く抱かせない。真珠のように白い肌も、すっと通った鼻も、形の良い桜色の唇も、彼女を「可憐な美少女」という枠に当てはめるだけだ。彼女が着れば清楚なワンピースに見える真っ白なローブと、魔女の証である中央に三日月を象った魔方陣のペンダントがなければ、貴族のお嬢様だと言っても疑う人はいないはずだ。

僅か十歳ほどのこの少女が「緋色の魔女」だとは、誰一人として信じないだろうが。

エイレンティア・ルーン・アンブローズ。彼女に攻撃魔法を使わせれば右に出るものはいないとまで言われる、優れた魔女。英雄と崇められ、百年経った今も語り継がれる、その人。

だが普段の彼女は非常に温厚的で、弟子であるセオドリークにも気遣いを持って接する。人を見下したり傲慢な態度を取る魔女や魔法使いが多い中、極めて珍しい性格の持ち主だった。とはいえ、人目を避けて森の奥にある今にも崩れ落ちそうな家で自給自足をしていた人である。それを考えればやはり戦場を生き残った逞しい女性と言うべきなのだが、とてもではないがそうは見えないのは彼女の外見と言動が原因だろう。

「あなた、ひどいけがですっ! あうう、わたし治癒魔法はほとんど使えないのです……っお家に帰って手当てしなければっ」

まだ幼い頃、親に捨てられた森で魔物に襲われ、生き倒れていたところを彼女に助けられたセオドリークでもしばらくの間半信半疑だったのだから。しかも実は当時でさえ六十歳を過ぎていただなんて、何の冗談かと思ったものだ。強い魔力を宿す者は総じて寿命が長いのだと説明されても、中々受け入れられるものではなかった。身を守るためにと魔法を教えられ、自分も彼女と同じように成長が遅いのを実感してからは、納得するしかなくなったけれど。

「今日も美味しかったです、お師匠さま」
「セオが淹れてくれる紅茶も美味しかったのですっ。どうやったらこの味が出るのか不思議なのです」
「ふふ、ちょっとしたコツがあるんですよ」
「コツ、ですか!? それはなんでしょうかっ」
「秘密ですよ、お師匠さま。バラしてしまったら私がお師匠さまのために出来る事が減ってしまいますから」

詳しく話してしまえば、ほぼ間違いなく、いや確実に自分のためにとお茶を淹れてくれるようになるだろう。彼女が自分のためにと何かしてくれるのは好きだが、セオドリークとしてはそれ以上に彼女に尽くしていたかった。昔彼女に命を救われた者として、弟子として、そして――――。

「……減ったほうがいいのです」
「お師匠さま?」
「い、いいえっ。なんでもないのです! お皿、片付けますっ」

貴方は一体何を悩んでいるのですか。その問いは、ばたばたとキッチンへ向かっていった彼女には届かなかった。

◇◇◇

セオドリーク・ルーン・オルブライトは実に良く出来た男性だとエイレンティアは常々思う。

赤い髪留めで一つに結ばれた白銀の長い髪、高級なサファイアを想像させる澄んだ青い瞳、優しげな目元、低すぎず高すぎない柔らかな声。幼い頃から戦場に身を置き、今は森に引きこもっているエイレンティアは外見の美醜には疎かったが、彼がとても整った顔をしているくらいは分かる。昔何度か会う機会のあった王族と並んでも見劣りしないほどだ。また彼は攻撃魔法が得意ではないといった理由で体を鍛えており、細身ながらも引き締まった体つきをしている。剣の腕はかつて騎士団でも高く評価されていたと聞く。それでいて頭は切れて更には家事炊事も完璧なのだから、文句のつけどころもないだろう。

彼との出会いを、忘れた日はない。全身傷だらけで倒れている少年を最初に見つけた時は、息絶えているのかと思ったものだ。それほどまでに酷い状態だった。埋葬してあげなくては、と少年の腕を掴もうとした時、彼が力なく身動ぎしたのが視界に映った。――この子は確かに生きてる、でもこのままじゃ危ない! そう判断したエイレンティアは迷わず転移魔法を使い、自宅に彼を招き入れて治療を施した。

しかしエイレンティアは攻撃魔法には長けていたが治癒魔法はさっぱりと言っていいほど使えなかったため、今度街に下りた時に売ろうと作っておいた薬の数々を躊躇なく少年に使い、三日三晩寝ずに傍にいて面倒を見た。献身的な看病のおかげで少年は無事命を取り留め、日常生活を送れるまでに回復したのである。

元気になれば街に送るつもりでいたのだが、身寄りのなかった彼はそれを拒んだため、それならばとエイレンティアは少年を最初で最後の弟子として迎えたのだった。

(……今思い出してみても、わたしも大胆な選択をしたものです。うう、まさかそのせいでセオを苦しめてしまうなんて)

セオドリークは素晴らしい弟子だった。始めこそ満足に読み書きも出来なかったものの、エイレンティアが教える内容を蕾が水を吸うように吸収していき、開花したのである。残念ながら攻撃魔法の才には恵まれなかったが、代わりに防御魔法や治癒魔法を使いこなした。自分と同じく国に仕えている今となっては「守護の魔法使い」と呼ばれ、尊敬もされている。いつまでもここに留まらせるのはもったいない逸材。それなのに彼が外に出て行こうとしないのは自分があまりに頼りないからだとエイレンティアは考えていた。

これといって取り柄もない自分。たかだか毒グモぐらいで泣いてしまう自分。だから彼は自分を心配して離れたくても離れられないのだ、師匠として、彼の保護者として、しっかりしなくては! それが最近の彼女の「悩みの正体」だった。彼にしてみれば、思わず溜息をつきたくなる見事な勘違いっぷりだったが。

「お師匠さま、少々お聞きしたい事が……」
「はうぁ!?」

考え事をしている最中に突然話しかけられ、驚いたエイレンティアは手にしていた皿を落としてしまう。ぱりんっ! と食器が割れる音がやけに大きく響いた。

「お怪我はありませんか、エイレンティア様!」
「だ、だいじょうぶ、ですっ。あああごめんなさいセオ……っ」
「いえ、私などに謝罪は必要はありませんよ。私が修復魔法をかけますからお師匠さまは休まれて……ああ、怪我をされていますね」

エイレンティアの人差し指に走る切り傷を見つけた彼は、「だ、大丈夫なのです!」と慌てながら訴える彼女の言葉は聞かなかった振りをして治癒魔法を唱える。

人差し指は淡い光で包まれ、光が消える頃には傷もすっかり癒えていた。

「あ、ありがとなのです。でもいくらわたしでもこのくらいの傷なら治せますのに……」
「駄目です。痕が残るかもしれないでしょう」

それはつまり、治癒魔法が下手すぎると貶してるも同然だ。決して間違ってはないとはいえ、エイレンティアが落ち込んでしまったのも仕方のない事だろう。彼女の白く儚い手を、セオドリークは自身の両手で包み込む。

「俺は貴方が大事なんだ、ティア。こんな俺でも貴方のためになれるのならこれ以上の幸福はない」

愛しい人に告白するかのような口調と声色で、彼は告げる。顔を真っ赤にしてうろたえるエイレンティアだったが、すぐに平静を取り戻し、ふわりと微笑んだ。

「わたしも貴方が大切なのですよ、セオ」

言っている内容こそ似通って聞こえるが、込められた想いはどこまでも交わっていない。だが、それに気付いているのはセオドリークだけだ。

「ティア……俺はそうじゃなくて、」
「それに、セオは色々なことをしてくれてます。お料理もお掃除も畑のお世話までしてもらって、何度お礼を言っても足りないのです。結界だって本来はわたしが張るべきものですのに、セオのおかげで今は国の使いの方しかこの森に入れません。ありがとう、セオ」

最愛の人にここまで純粋に感謝され、セオドリークが反論出来るわけもなかった。そんなセオドリークの心の中でだけ否定するなら、彼は決して聖人ではない。そもそも防御魔法に特化したのも永久にエイレンティアを守るためだし、昔は荒れていた性格を矯正して家事炊事に励んだのも、エイレンティアに自分は役に立つと知ってもらって傍に置いてもらいたかったからだ。

セオドリークにとって、エイレンティアが世界の全て。彼女がいてくれるなら後はどうでもいい。地位も名誉も何の価値もない。この箱庭で、いつまでも彼女とこうしていたい。その願いが、いつか叶えばいい。

「私には、身に余るお言葉です。ですが、ありがたく頂戴致します。……ありがとう、ございます。お師匠さま」
「はい!」

ああ今日もまた負けた……と肩を落としながらも、セオドリークは幸せで満たされていた。

訳有りの少女と、少女以上に曲者かもしれない青年のすれ違いの日々はまだまだ終わりを見せない。

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