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緋色の魔女
積み上げられた砂の城、崩れ落ちる白の砂

アスール貝というものがある。暖かい季節、砂浜で稀に取れる貝だ。希少価値はないが、暗闇で青く幻想的に光る事から恋人に贈る男性が多い。この国の結界石が青なのに合わせて、「貴方を守ります」といった意味を込めるのである。

「せおっ」

急いでこちらに駆け寄ってくる彼女を見て頬を緩めつつ、自身も待ち合わせの噴水から離れて彼女との距離を縮める。

「うう……ごめんなさい、またわたしの方が遅かったのです」
「いえ、たまたま私の方が早かっただけですよ。それにお師匠さま、まだ待ち合わせの時間前です」

正確に言うのなら、丁度三分前だった。恐らく彼女はセオドリークを待たせないために五分、もしくは十分前行動を心がけていたのだろうが、叶ってない辺りが実に彼女らしい。なんて事を口に出せば落ち込んでしまうのは目に見えているので思うだけに留め、自然な動作で彼女が持っていた袋を受け取る。息を整えていたエイレンティアは少し遅れて気づき、「あっ!」と抗議の声を上げたが、セオドリークは微笑み返すだけだった。

「あ、ありがとうです。セオ」
「はい」

彼女の手を取り、彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩き出す。いつセオドリークに声をかけようか虎視眈々とチャンスを狙っていた女性達は、残念そうに散っていった。エイレンティアとセオドリークは二人だけの世界を作っており、とてもではないが声をかけられる雰囲気にはないからだ。

一ヶ月に一度の買い物の日。今日も二人は、いつも通りだった。

「そういえばお師匠さま、今年はアスール貝の輝きが例年より増しているそうですよ」
「わあっ、そうなのです?」
「よければ見に行きませんか。お師匠さま、そういったものお好きでしょう?」
「はいっ好きです!」

屈託なく笑って答えるエイレンティアに、その言葉を自分に向けてくれないだろうか、とセオドリークの心中に芽生える。その願い自体は、望めばすぐに叶うだろう。だがそれは本当に欲しいものとは違う。自分が彼女に恋焦がれているように、彼女にもそうであってほしい。彼女の隣にいるのはこれから先も自分一人でいい。――――これ以上を望む自分は、或いはひどく我侭なのかもしれないけれど。

「とっても楽しみですっ」
「私もです、お師匠さま」

それでもどうしようもない。簡単に捨てられるような想いならば、最初から抱いてないのだから。

◇◇◇

赤と青の二つの月が淡く照らす中、ざあざあと波の音が響く。わざわざ辺境の地を選んでいるのもあって周囲には人影もなく、エイレンティアは子供のようにはしゃぎながら砂浜を踏んだ。その度、彼女のポニーテールも揺れる。

「夜の海も素敵ですねっ」
「そうですね、今日は月も星もよく出ていますから」

やや間を開けて、やわらかな眼差しで彼女を見つめる。他のどんなものよりも、彼女の方が眩しく輝いていた。どんなに美しいものも、彼女を引き立てる飾りでしかない。

「このへんでいいでしょうか? セオもおいでっ」

にこにこと手を振る彼女は、きっと子供を誘っているようなものなんでしょうねえ、と苦い気持ちを覚えつつ、彼女の傍に座り込む。セオドリークもエイレンティアも汚れてもいいように軽装で来たため、服を気にかける必要はなかった。彼女の水着姿が見たかった気がしないでもなかったが。

「そういえば、セオがまだちっちゃかった頃にも海に遊びにきましたね」

エイレンティアは砂を掘り起こして貝を探しながら、懐かしそうに零す。

「覚えておりますよ、お師匠さま」

彼女との思い出を、セオドリークが忘れるわけもない。彼女と同じ行動を取りつつ、記憶を探った。

「子供が家に篭りっぱなしは良くないからと、連れてきてくださったんですよね」

あれは確か、セオドリークが七歳の時の話だ。彼女との暮らしも慣れてきた頃だった。エイレンティアは用がなければ外に出なかったため必然的にセオドリークもそうなり、その状況に気付いたエイレンティアが「このままじゃよくないのです!」と慌ててセオドリークを連れ出したのである。

「でも、もっと早く気づいていればよかったのです。わたしが小さい頃はずっと家にいるように言われて絵描いたりしてたから、それが普通なんだと思ってて……そんなわけはなかったなんて知らなくて」
「私は家にいるのも外に出るのも好きでしたよ。貴方と一緒ならどちらでもいいんです」

場所なんて関係なかった。彼女と一緒にいられるなら、それだけでよかった。あの頃はまだ、今よりずっと穏やかな気持ちだったけれど。

「むう……」
「お師匠さま?」

エイレンティアが不満そうに漏らしたため、セオドリークは思わず聞き返す。

「セオは、わたしにもっと怒るべきなのです!」
「私がお師匠さまに? 何故ですか?」

……怒られるような事ならいくつかありますが。過去に自分がした事はこの際棚に上げて、彼女に尋ねる。

「セオにはセオの自由があるのです。それはわたしが奪っていいものじゃない。なのに主張出来なくしてしまったのは、わたしの落ち度なのです……」

俯く彼女を見て、やはり責任感の強い人なのだと改めて実感する。何の力もない、死にかけた子供なんて放っておけばよかった。帰る場所なんてないと駄々をこねても突き放して孤児院にでも預ければよかった。彼女の名を使えば、容易に行えたはずだ。けれど彼女はどちらも選ばなかった。快く引き取って、実の息子のように弟のように愛情を注いでくれた。そして、今も。――まるでそれ以外の感情は知らないかのように、どこか頑なに。

「お師匠さま、私は……」

自分の人生も全ての幸福も貴方の隣にあるのだと、隣にしかないのだと、どうやったら伝わるのだろうか。誰に強制されるでもなく自分で道を選択したのだと、どうしたら信じてくれるのだろうか。そうやって思案していると、きら、と光るものが目に入った。

「……手を、出されてください」
「う? こうです?」

不思議そうに差し出された右手に、見つけたばかりのそれを握らせる。

「あ、これ……」

彼女がじっと見つめて確かめている隙に簡単な魔法をかければ、ぽつりぽつりと青い光が二人の周りに浮かび上がっていく。 小さな青はやがて他の色を飲み込み、星空の下、蝶々が舞うかのように、海の中、魚が踊るかのように、安らぎで包まれた空間を作り出す。

「わあ……!」
「本来アスール貝の光はほのかなものですが、周囲にある貝全ての光を集めてみました。少し、増幅させてはいますが」
「すごいすごいっ! セオの瞳とおんなじ色できれい!」

エイレンティアは大喜びで視線をあちこちにやりつつ、指でつついたりして遊ぶ。その姿がなんとも可愛らしくて、あっさりと放たれた言葉があまりにも強烈で、セオドリークを惹きつけて止まない。

「あの時も、そう仰っていましたね」
「あのとき?」
「私の瞳の色と似て綺麗だからと、お師匠さまはそう言って貝を下さいました。誉めてもらえたようで、私にはとても嬉しい贈り物だったんですよ」

ですからお返しです、と付け加えれば彼女はきょとん、とした顔をして、しばらくして思い出したのか「ああ!」と納得がいったように声を上げた。

「思い出して頂けましたか?」
「はいっ。あ、ち、ちがうのですっ! 忘れてたわけじゃないです!」
「いえ、いいんですよ。もう五十年近くも前の事ですしね」

つまりそれだけの年月、エイレンティアとセオドリークは一緒にいる。師弟として、家族として、慈しみ合いながら。その現状にエイレンティアが安心しているのも、心の拠り所にしているのも、セオドリークはよく分かっている。関係性が変化すれば、ぎりぎりのラインでなんとか「自分」を保っている彼女を修復不可能なまでに壊しかねない事も。それはすなわち――――……

「ティア」

一呼吸置いて、セオドリークは彼女の名を呼ぶ。ざあ、と波の音が一際大きく響いた。

「貴方を守ると、この貝に誓いましょう。私が生きている限り、ずっと」

心から愛しているのだと、本当は伝えたい。けれど今はまだ出来ない。これから先も彼女達と生きるためには、まだ。
エイレンティアはいつもと違う彼の雰囲気に飲まれてしまったのか言葉に迷っているのか、セオドリークを静かに見つめ返すだけだった。セオドリークがぱちんと指を鳴らすと光が消えていき、我に返ったように口を開く。

「わ、わたしもっ! わたしもセオを守るのです!」
「有難うございます、お師匠さま」
「ぜ、絶対なのです。……絶対に、守ります」

低く囁く彼女の顔は、真剣そのものだった。その表情はどちらかと言えばもう一人の彼女が作るものに近く、セオドリークは一瞬戸惑いを覚える。その間にエイレンティアはぱっと空気を変え、いつものように無邪気な笑みを見せた。

「セオっ。砂のお城つくりましょう!」
「え? あ、はい」
「魔法は使っちゃだめですよ。手で作るのです」
「はい、お師匠さま」

――今の違和感は、なんだったのだろうか。ただの見間違いか、それとも考えすぎか。漠然とした不安を残しつつも、彼女に付き合って砂を盛っていく。時折エイレンティアが不注意で崩してしまう箇所もあったが、セオドリークがしっかりとフォローし、立派な城を作り上げていった。

「ねえ、セオ」
「何でしょう?」
「彼女は……こういった遊びはするのでしょうか?」

この場合の彼女は、交代人格の彼女を指しているのだろう。それはすぐに見当がついたが、しかしセオドリークは返答に悩んだ。交代人格の彼女は基本人格が自分を意識せずに日常を送る事を望んでいる。恐らく今も「起きて」いるし、自分について語られるのを良しとしないはずだ。

「そうですね……。もしこの場にいらっしゃったらきっと、参加されていないと思いますよ」

だが敢えて、セオドリークはごまかさなかった。

「そうなのです? こういう子供っぽいのは嫌なのでしょうか」
「いえ嫌いというよりは、単純に苦手なんだと思います。あまり縁がないといいますか……慣れていらっしゃらないようですから」
「ふむふむっ」

眉を顰めて聞いている彼女を思い浮かべながらも、話題を変える事はしなかった。もう一人の自分を知りたいと思う気持ちも尊重されるべきものだと思ったからだ。

「参加はされないかもしれませんが、見守っては下さると思いますよ」
「わあ、なんだかお母さんみたいなのです! 落ち着いた人なのですね」
「落ち着いた……そうですね」

お母さん――――その単語に笑いを堪えつつ、これは後でお小言を食らうのは間違いないなとセオドリークはこっそり覚悟した。

「でもどうして、話せないのかなあ……。わたしは本当は彼女を受け入れていないのでしょうか」

小さく呟かれた一言には、彼女の切実な想いが詰まっていた。エイレンティアは自分の中にもう一人いるのだと気付いてはいるが、はっきり認識出来ているわけではない。やり取りも出来ないでいれば、交代人格でいる間何をしているのかもほとんど知らないでいる。彼女が言う通り受け入れきれていないせいかもしれないし、そもそも交代人格の彼女が接触を望んでいないせいでもあるのだろう。だが、それを告げるのはためらわれた。

「お師匠さま……」
「あっ、あった!」

嬉しそうに声を張り上げ、丁寧に掘り起こす。満面の笑みでセオドリークに手渡した。

「さっきのお返しなのですっ」

彼女の言動ひとつひとつがセオドリークの心をどれだけ揺さぶるのか、きっと彼女は知らないでいるのだろう。愛しさは日々募っていくばかりだ。

「有難うございます。大切にしますね」
「はいっ。わたしも大切にします!」

今はまだ、待ち続ける。いつか彼女が乗り越えるまで。

「できたっ」

しばらくして出来上がったのは、一種の芸術と言っても差し支えないほど精巧に作られた砂の城だった。エイレンティアもセオドリークも手先が器用であり、加えてエイレンティアには芸術的センスがある結果だ。

「お疲れ様です、お師匠さま」
「セオもお疲れ様なのですっ。これ、崩れちゃうのもったいないですね……」
「形を保たたせましょうか?」
「ううん。いいのです。波が来るのは当たり前のことなのですよ」

ね、と笑いかけた後立ち上がり、靴を脱いで海の中に入っていく。

「わっつめたい!」
「お師匠さま、あまり深いところへ行かれないでくださいね」
「わかってます。わたし、泳げませんもん……」

彼女はセオドリークに背を向けてはいたが、頬を膨らませてすねているのだろうとは簡単に想像がついた。

「昔はセオも泳げなかったのにっ」
「泳ぐ環境になかったですからね。お師匠さまも練習さえすれば大丈夫だと思いますよ」
「……ほんとに? しずまなくなる?」
「はい。それにいざとなれば浮き輪がありますよ」
「なぐさめになってません〜〜……」
「そうですか? そんなつもりはなかったのですが」
「ぬうう……セオわらってるううっ」

うわーん! と涙目になりながら、奥へと進んでいくエイレンティア。勿論、危なくない深さまでだ。楽しそうに眺めていたセオドリークは、彼女を追って自身も海へ入った。

「どうか機嫌を直されてください、お師匠さま」
「いいんです、どうせわたしはカナヅチですもん……」
「人には誰しも欠点があるものですよ」
「わたしセオの欠点なんてしりませんっ」
「攻撃魔法が全くといっていいほど使えませんよ? 他の魔法を使用しなければ、身を守れるのかも怪しいレベルです」
「あ……でもセオには剣があるのです」
「それですよ、お師匠さま」

うん? と首を傾げた彼女の前に回りこみ、目線を合わせる。

「出来ない事があるのなら、出来る事でフォローすればいいんです。自分では駄目なら、他の誰かでもいい。ですから、貴方が溺れたら……いえ、溺れそうになる前に必ず私が助けます」

諭すようにそう言えば彼女はぱちぱちと瞬きを繰り返して、次には控えめに微笑んだ。

「ありがとう、セオ」

幸せを噛み締めるような、どこか泣きそうな、そんな笑みだった。

「はい、どういたしまして。もう少し遊んでいきましょうか」
「うんっ」

水をかけあって、波がきたら逃げて、二人は久しぶりの海を満喫した。彼女は無理にはしゃいでいる気がしてならなかったが、言及は避けた。触れられたくないと彼女が訴えている気がして、聞けるはずもなかったのだ。

二人が帰る頃には砂の城は波にさらわれ、完全に崩れ落ちてしまっていた。エイレンティアとセオドリークの記憶の中にだけ、形を残して。