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緋色の魔女
それでもいつかは

「アエラザの花粉を五グラム、砕いたカブラの歯を二十グラム、ルハトの触覚を十本……」

薄暗い部屋でぶつぶつと呟きながら、異臭を放つ巨大な壷に色々と放り込んでいく。

「ここで空気を入れるようにふわっと混ぜて、花粉を五グラム足して……うん、いい調子っ」

ふふふと笑いながら慎重にかつ素早く行う。現在のエイレンティアは、魔法薬を作っている真っ最中だった。彼女の幼い容姿は見ずに影と声だけならば、子供たちが絵本で読む「悪い魔女」そのものの姿である。そんな事には全く気付いていないエイレンティアは真剣だったが。

「えーっと次は……」

魔法書をめくって内容を確め、きっちり分量を量った後、先程と同じように放り込む。机も床も散らかり放題になってしまっていたが、エイレンティアは気にしなかった。気を配る余裕はなかった。

魔法薬の作成には幅広い知識と魔法の精密なコントロール、高い集中力が要求される。分量にはほんの僅かな誤差も許されず、入れる順序、入れ方、混ぜ方、温度など、どれか一つでも誤れば失敗するからだ。加え、魔法効果を付与する際の力加減がもっとも重要となる。これらの理由から、条件を満たす者でも「めんどくさい」と敬遠しがちだった。ブルーノもその一人である。だが、 魔法付与エンチャントを得意とし、お菓子作りを趣味にしているエイレンティアにはこれ以上適正なものもそうない。元々、何かにじっくり取り組むのも嫌いではなかった。――他に出来る事は、なかったから。

「ブラックリザードのしっぽを二本……あれ?」

ううううん? と小首を傾げる。確かに二本用意していたと思ったのだが、どうにも一本しか見当たらない。慌てて机の上をひっくり返してみるものの、やはりない。零れ落ちそうになる涙を拭って、じっと壷の中身を見つめる。

「どうしよう……」

ないものは取りに行けばいい。だから今から行こう。そうは思うものの、どうすべきか悩んだ。本当はこっそり行ってこっそり帰って来て完成させたい。がしかし、結界を抜けてセオドリークが気付かないわけもない。いっそ彼が寝ている隙に……? とも考えたが、やはり気付いてしまうだろう。となるとここは素直に白状すべきなのだろうが、彼の性格上、自分を心配してついてこようとするのは想像に難くなかった。いやそれよりも、「私が行ってきますからお師匠さまは家で待っていてくださいね」と返される可能性の方が高いかもしれない。

「だ、だめなのですっそれはだめです!」

頭の中で思い描いたやり取りがあまりに現実めいていて、振り払うようにぶんぶんと首を振る。それではいつまで経っても彼に甘えてしまっている現状から脱却出来ない。自分一人でも大丈夫だというのを証明して、分かってもらわなくては。よし、と覚悟を決め、彼の部屋を目指した。

「どうされました? お師匠さま」

控えめにノックすると、穏やかに微笑む彼が扉を開けてくれた。目線を合わせるために膝までついてくれる彼はいつも通りに優しくて、彼の醸し出す空気に飲まれてしまいそうで、エイレンティアは続ける言葉を忘れてしまう。

「お師匠さま?」
「あっ。え、えっとわたしは出かけてくるのです! だからお留守番お願いしたいのです!」

早口で捲し立てれば、彼の笑顔がかすかに歪む。言い方間違ったかも……! と後悔したが、既に手遅れだった。

「こんな夜更けにお一人でどちらへ行かれるのですか?」

普段と変わりない丁寧な口調ではあったが、探るような言葉はどこか責めているようにも聞こえた。やはりしくじったらしいと悟ったエイレンティアは、一から説明する。

「あ、あのね、薬の材料が切れてたのです。だからちょっとドラーガの森に行こうかと」
「ドラーガの森へ? 何が足りないのですか?」
「ブラックリザードの尻尾です。二本用意していたと思ったのですけど、一本しかなくて……」
「分かりました。もしかしたらあの方が使われたのかもしれません。私が行ってきますから、お師匠さまは家で待っていてくださいね」

セオドリークは嫌味なく綺麗に笑うと立ち上がり、エイレンティアの頭を撫でる。一字一句違わぬ言葉に、その態度に、むかむかと反抗心のようなものが芽生えるのを止められなかった。

「……せおのばか」

一体自分は、どれだけ頼りないと思われているのか。これが彼女なら、もっと違う対応をしているだろうに。自分だって彼の師には変わりないはずなのに。

「お師匠さま?」

子供がふてくされるような可愛らしいものであったとはいえ、突然「ばか」と言われた理由が分からなかったのか、セオドリークは目を丸くしていた。

「わ、わたしが使う攻撃魔法は彼女よりずっと劣るしっ、防御魔法や治癒魔法だってセオのようには使えない、ですけど……っ」

泣きそうになるのを必死に堪え、スカートをぎゅっと握り締める。無意識のうちに俯いてしまっていた顔を上げ、まっすぐに彼と向き合った。

「で、でもっそれでもっわたしだって魔女なのです!」

羨ましいわけじゃない。妬ましいわけでもない。二人が今の場所にいるのは様々な苦労や葛藤があっての事なのだから、そんな事を思うのはあまりに失礼すぎる。けれど。

憧れる気持ちだとか。全く届かなくて歯がゆい気持ちだとか。こうして守られてばかりの自分が嫌になってくる悔しさだとか。頂点に立つ二人にはきっと理解してはもらえないのだろう。どれほど願っても、どうやっても、きっと。

「お師匠さま……では、私も同行させてください」
「そ、それじゃあ意味がないのですっ」
「いえ、絶対に手出しはしないとお約束します。本当にただついていくだけです。それも……駄目ですか」
「だ、だめではないですけど……でも、ぜったいにぜったいですよ?」

縋るような目で頼まれるとどうにも断りきれず、確認するように聞き返す。すると彼はほっとしたように笑った。

「はい、絶対です」

つられて、エイレンティアも微笑み返す。

「じゃあわたしは準備してくるのです」
「お手伝いしましょうか?」
「ううん、平気です。すぐ済ませるからちょっと待っててくださいです!」

それだけ言い残して、忙しく階段を下りていくエイレンティア。彼女を見送ってから、セオドリークも一度自分の部屋に戻った。

◇◇◇

「セオ、いきますよ」

エイレンティアはそっと目を閉じると、詠唱を始める。行き先を頭の中でしっかりイメージすれば、枝上に伸びる幾多もの道が浮かび上がった。その内の一つをたぐり寄せ、着地場所を定める。

「テルト・テーション」

緋色の魔方陣が足元に広がり、二人をいざなった。

「あうう……」
「お師匠さま、大丈夫ですか?」

気分が悪そうに口元を抑えているエイレンティアの背を、セオドリークは労わるように撫でる。

「セオの転移魔法がどれだけ落ち着いているのか思い知ったのです……。セオは大丈夫です? 巻き込んでごめんなさい」
「お気遣い有難うございます。私は問題ありませんよ。お師匠さまが使われるのは久しぶりでしたし、少しだけ逸れてしまったようですね」
「うー……精進します。ここはどの辺りでしょう」

ぐるりと周囲を見渡す。しかしこの薄暗さでは特定出来そうにもなかった。

「ドラーガの森、ではあります……よね」
「はい、間違いありません。お師匠さま、気をつけてくださいね」
「うん。魔物だらけですもんね」

王都から離れたこの森は、セオドリークの結界の範囲外である。そのため、いつ襲われても即座に対処出来るよう気を引き締めながら歩いた。

「けどなんだか、懐かしいのですよね。わたし達が住んでる森も始めはこんな感じでした」

人の手が行き届かず、霧が立ち込め、一度迷えば二度とは出て来られない樹海。とてもではないが人が住める環境にはなく、魔物の巣窟になっている。それを怖がるでもなく懐かしいと評するエイレンティアの価値観は、一般人とは大きくずれていた。今でこそ慣れたが、一緒に暮らし始めてしばらくはセオドリークですら彼女についていけなかったものだった。

「お野菜をたくさん育てて、お花も植えて、魔物がきたら退治して……途中で道も整備してもらって」
「覚えております。私が危なくないようにと、気を遣ってくださったんですよね」
「実際に頑張ってくれたのは、国の方なのですよ。それからセオが立派な魔法使いになって張ってくれた結界のおかげで魔物の侵入もなくなって、澄んだ空気になったのです。……って言っても、魔女の森と恐れられてるのは相変わらずなのですけど」

どこか恥ずかしそうに彼女は語る。

「人はあれやこれやと噂を好む生き物ですからね。大抵は根も葉もないですから、お師匠さまが気にされる事はありませんよ」
「そういうものです? でも今まで聞いたセオの噂は的を射ていた気がするのですよ」
「私の噂、ですか」
「すっごく格好いいとか、騎士団の団長さん達よりも強いとか、スィンザ様を越える優秀な魔法使いだとか、たくさん聞いたことあるのです。後はえーと」

なんだったかなあ、と記憶を探り起こす。耳にした時は彼が褒められているようで誇らしかったのだが、数が多すぎて話がごちゃまぜになってしまっており、正確に思い出すのは困難だった。

「あ、当たり障りないけど本当はすごく冷たいっていうのも聞いたことあります。そう考えると、やっぱり噂って当てにならないものですね。だってセオは優しいですもん」

ぽきりと木の枝を踏み、奥へと進む。前だけを見ていたエイレンティアは、彼が嬉しそうなばつが悪そうな顔をしているのに気付く事はなかった。その噂が真実に基づいたものである事も。

「霧が濃くなってきたのです」
「はい、そろそろ現れそうですね」
「……セオ、身構えるのは当然なのかもしれないですけど、抜いちゃだめですよ?」

いつでも短剣を抜けるようにしている彼に釘を刺す。

「申し訳ありません」
「ううん。でもね、セオ。心配してくれてるのはわかるけど、わたしだってそこまで弱いわけではないのですよ。こんな見た目ですけどそれなりに――――……」

長く生きているんですから、と言うつもりだった。けれど言えなかった。自分がどれだけ生きてきたのか、不意に分からなくなったからだ。

魔女の森がどんな状態だったのか、覚えている。初めて見た日も、次に見た日も、どちらも分かる。けれど、その間がぽっかりと空いてしまっている。空白の時間、自分は一体何をしていた? 戦場に出されて、その後は……? 一つの疑問が瞬く間に膨らんでいき、ぞっとした。

「お師匠さま? どうされましたか」
「あ、ううん。なんでも、ないのです」

記憶と記憶とが、繋がらない。何を忘れて何を覚えているのか分からない。その事に例えようもないおぞましさと気持ち悪さを感じるのは、久しぶりだった。

「顔色が優れません。早めに戻った方がよろしいのでは……」
「だ、大丈夫ですよ。ちょっと考えごとしてた、だけ……」

不穏な空気を感じ取り、勢いよく振り返る。そこにいた巨大な黒いトカゲは、鋭い牙を月明かりで光らせながら二人を見ていた。ちろちろと覗く紫色の長い舌がなんとも不気味だ。

恐らくは無意識のうちだったのだろう、自然の動作で庇うように一歩前に出ようとするセオドリークを振り切って魔物との距離を縮め、人差し指を向ける。

「ユエ・リミール!」

指先から光の粒が弾け、眩しさに魔物は目を細める。その隙にエイレンティアはポケットから小さな玉を取り出し、力いっぱいに投げつけた。

「えいっ」

投げつけられた玉は腹部に命中し、地面に落ちる前にぱちんと指を鳴らす。すると中から吹き出した緑色のガスが魔物に纏わりついていった。エイレンティアが作った毒薬であり、人間ならば肉が腐り落ち骨まで溶かすほどの猛毒だ。だが強固な鱗に覆われているトカゲには効き目が薄く、じわじわと苦痛を与える事は出来ても致命傷には至らない。始めから承知の上だったエイレンティアの目的は、魔物の体力を削る事と一枚でも多く鱗を腐らせる事だった。焦るでもなく、詠唱を紡いでいく。

「――――レイム・ラーマ!」

灼熱の炎に巻き込まれた魔物の咆哮が、森中に響き渡る。やがて尻尾の色が黒から赤へと変わると、ブラックリザードは息絶えた。

交代人格の彼女が放つ強力な一撃ならば、こんなにも回りくどい方法を取る必要はない。だが基本人格であるエイレンティアの攻撃魔法は、彼女ほどの威力を持たなかった。所有する膨大な魔力を交代人格は自由自在に操れるのに対し、基本人格はその半分も引き出せないためである。足りない力を補うため、薬や各魔法を駆使するのが基本人格の戦闘スタイルだった。

「んしょっ」

お目当ての尻尾と、ついでに涙の粒を回収する。今回の薬には使用しないものの、ブラックリザードの涙も貴重な材料だからだ。……度を越して苦いため、出来るなら使いたくはない代物だが。

この時のエイレンティアは無防備な状態だったが、しかし気は緩めなかった。絶叫を聞きつけた同種の魔物が襲撃してくる危険性があったからだ。だから、反応出来なかったわけじゃない。ただほんの少し、セオドリークより遅かっただけ。ほんの少し、振り返るのが遅れただけ。

「あ……」

目の前で、魔物の胴体が二つに切り裂かれる。まるで舞うように、鮮やかに、どこまでも優雅な動きで。

「お師匠さま、ご無事ですか!」
「あ、わ、わたしは平気ですっ。セオはどこも 怪我してないですか、大丈夫ですかっ」
「はい、問題ありません。ああよかった」

彼はひどく安堵したように息を吐き出し、剣にかけていた魔法を解く。立派な長剣が一瞬にして短くなり、再び腰に携帯した。そこではた、と気がつく。

「ってああ! 手は出さないって約束したのにっ」
「え、あ、申し訳ありません。条件反射で……」
「うー……」

エイレンティアはがっくりと肩を落とす。どれほど頑張ったところで、結局彼には勝てないらしい。彼に悪気は一切ないとはいえ、あまりの情けなさに泣きそうだった。

「申し訳ありませんでした、お師匠さま」
「ううん……。セオはわたしを守ってくれたんですもんね。責めたりしてごめんなさい、ありがとう」

にっこりと笑って、感謝の言葉を述べる。セオドリークは頷くと、手を差し出した。

「帰りましょうか、お師匠さま」
「はいっ」

彼の手を取り、二人が住む魔女の森へと戻る。あ、その場の流れで転移魔法使われた! と彼女が気付くのは、すぐ後の事だ。

◇◇◇

「ところでお師匠さま、何の薬を作られていたのですか?」
「腰痛の薬なのですっ」