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緋色の魔女
少年少女の邂逅、葛藤、回答

「わあ、いい匂い」

こんがり焼けたクッキーを見て、エイレンティアは顔を綻ばせる。アイリスに教わったレシピを元に、アレンジを加えたものだ。

「とても美味しそうですね、お師匠さま」
「うんっ。あのね、型も変えてみたの。ねこちゃんっ」
「可愛いです」

セオドリークが指したのは型ではなくエイレンティアだったのだが、いつもの事ながら気付かない彼女は「ねっ」と嬉しそうに笑う。エイレンティアを見つめる彼の瞳は今にもとろけそうなほど甘さで満ち足りていた。

「では、紅茶を淹れますね。ティータイムにしましょう」
「はいなのですっ。わたしも用意しますね!」
「楽しみです。……ん?」

天井の先にある空を真剣な顔で見つめるセオドリーク。何かあったのだろうかと、エイレンティアは不思議そうに尋ねた。

「どうしたのです?」
「結界が、抜けられました」
「ど、どなたでしょうか。国の方です?」
「いえ……カシェだと思います」
「じゃあルノですねっ。遊びに来てくれたのかなあ」
「それが……イーズデイル様の魔力反応は感じられません。誰かが乗っているのは確かなようなんですが」

彼にしては珍しくも歯切れが悪いため、エイレンティアはううん? と首を傾げる。

「ええとつまり、どういうことなのです?」
「可能性として考えられるのはイーズデイル様の奥方かご子息がカシェに乗って訪れた、でしょうか。もしくは別の人間に乗っ取られたとか。カシェの魔法具には私の魔力を編みこんでありますから、問題なく通れるはずですしね」
「ええっ!? そ、それは大変なのですっ」
「万が一、という事もありえますから、お師匠さまはここで待っていてください」

そう言って玄関へ向かおうとするセオドリークのローブを、エイレンティアは咄嗟に引っ張る。皺になってしまう、と考える間もないほぼ衝動的な行動だった。

「ま、まってっ。わたしも行くのです!」

流されてばかりではいけない。守られてばかりではいけない。しっかりしなくてはいけないのだと、強く主張する。

「ですが……」
「わたしだってセオを守るのっ。……それとも、わたしじゃ役に立てないですか」

交代人格の彼女――世間で知られている緋色の魔女――と比較したところで、何かが変わるわけでもないのは彼女自身よく分かっている。現実を思い知らされて落ち込むだけなのだとも。基本人格のエイレンティアも決して弱くはないが、かといって特別強くもない。一般人でも複数相手になると厳しくなるし、国家魔法師ならばまともに戦えるかも怪しいところだ。せめて自分の身くらいは守れるようにと頑張ったものの、努力だけでは埋められない差も世の中にはある。だから本当は、仕方ないと諦めて受け入れてしまうのが一番楽なのだろう。……元々は彼女が持っていた力なのだとしても。

「そんな事はありませんよ、お師匠さま。では、一緒に行きましょうか」

セオドリークは労わるように彼女の頭を撫でる。彼にしてみればどちらの彼女にも良いところがあるのだから卑下する必要はないと思うのだが、こればかりは本人に自信がつかない事にはどうしようもない。セオドリークに出来るのは、彼女を認め続ける事だけだ。

「ですが、私の傍から離れないでくださいね。お師匠さまの魔法は素晴らしいですが、いざという時瞬時に対応出来るのは剣の方ですから」
「はいなのです!」

実力者であれば短縮も可能性ではあるが、強力な魔法であればあるほど詠唱に時間がかかるというのが基本である。そのためセオドリークはエイレンティアを庇うようにして前に出た。

からんからん、と来客を告げる鈴の音が鳴ると同時に扉を開け、躊躇なく剣を突きつけた。

「うわっ!?」

首元に剣を突きつけられた少年は、ひどく驚いた様子で後ずさる。しかしそれを見逃すセオドリークではなく、すぐに距離を詰めて威圧感を与えた。次に取る動作を間違えれば即座に首を落とされるだろう張り詰めた空気の中、少年の額に一滴の汗が滲む。

「せ、せおっ剣おろしてっ! この子、ルノに似てるのです!!」

セオドリークの大きな背中から顔を出したエイレンティアが必死に叫ぶ。場違いとも言える愛らしい声に少年がつい聞き惚れていると剣先が急激に冷え、少年の背中にだらだらと冷や汗が流れていく。

「セオっ!」

咎めるように声を荒げれば、セオドリークは渋々といった様子でようやく剣を下ろした。開放された少年は、ほっとしたように大きく息を吐き出す。

「あ、あの、怖がらせてごめんなさい。どこも怪我してないです……? ええと」
「リン・イーズデイル。初めまして」
「じゃあやっぱりあなたがリンデグレンくんなのですね! お会いしたかったのです!」

先程とは違う意味で、空気がぴしりと固まる。わざわざ愛称を名乗ったリンデグレンに対し、あっさりと真名で返してしまったためだ。それも一切の悪気なく。

「空気を読め空気を!!」

そう突っ込んでしまった自分は悪くない、絶対悪くないと、リンデグレンは心の中で繰り返す。残念ながら、話が通じる相手ではないのだが。

「え、ええと、どうやって読めばいいのです?」

ああこれは母親と似たタイプだ、とリンデグレンは密かに確信した。改めて見ても可愛らしい少女だとは思うのだが、「すごいわ、空気って読めるものなのねぇ。どうやったらいいのかお母さんに教えてー?」と母親に素で返されてしまった悪夢が蘇って仕方がない。実際のところアイリスはただの性格で、エイレンティアの場合は交友の狭さから来るものなのだが、彼が知るはずもなかった。

「つーかあの親父、魔女相手に俺の真名教えてんのか……」

何考えてんだと頭が痛くなってくると同時に、隠そうとした自分が阿保らしくもなってくる。リンデグレンとしてはあまり認めたくはないのだが、それだけ信頼しているという事なのだろう。

「わ、悪いことには使わないですよ?」
「当たり前だ!!」
「それで、リンデグレン様はどうしてこの場所へ来られたのですか?」
「ああうん、忘れかけてた。つーかアンタ、いい性格してんな……」

この流れでわざと真名を呼ぶところだとか、謝罪はしない辺りだとか。恨みがましく睨みつけてはみるものの、綺麗な顔に貼り付けられた笑みは少しも動じない。こいつもしや、最初から正体を見抜いた上での行動だったんじゃないかと疑いさえ芽生える。……実のところ、まさにその通りだったりするのだが。

「え、えっとリンくん……はひとりです?」
「そうだよ。アイツは俺をここに連れて来ようとはしなかったし」
「となるとやはり、イーズデイル様に許可を取っていないんですね」
「えっ。そ、それはよくないです! ルノ心配してますよ!」
「さあ、どうだろうな」

どこか投げやりな言葉が気にかかり、エイレンティアは彼をじっくりと見つめる。セオドリークの背中からおそるおそる顔を出しながら、だが。

「……アンタ、何でそこまで怯えてんの? 別に何もしねぇし……つーか普通に俺の方が弱いと思うんだけど」
「そ、そういうわけでは」
「あー、強いのはアンタじゃないのか? なんかよく分かんねぇな」
「ルノに、聞いてないです?」
「一応は聞いてるよ。けど正直理解の範囲超えてるし」

理解の範囲を超えている――きっぱりとそう言われ、エイレンティアは顔を曇らせる。セオドリークから彼女の表情は窺い知れなかったが、彼女が何を感じたのか予想がつかない彼ではない。

「名前だけしか知らない方が突然訪れたら、戸惑うのも当然だとは思いませんか? 他の魔女でしたら、結界を抜けた時点で追い返されるか容赦なく魔法を使われるかですよ」

他の魔女なら、の部分を強調して長々と続ける。

「お師匠さまは、貴方が誰なのか確かめようとしました。確認した後は、貴方を傷つけないよう私に制止をかけたんです。そんな方に随分な物言いだとは思いませんか?」

セオドリークは最後まで微笑みを崩さなかった。声音も落ち着いていたし、感情任せに喋ったわけでもない。だがしかし、そこに優しさは垣間見えない。正面から対峙するリンデグレンだけは気付いていた。全く笑っていない目の奥には殺意さえ秘められている事に。

「……ごめん、無神経だった、かも」

セオドリークがあまりに恐ろしかったのもあるが、そう言われるだけの発言をしてしまったのだと素直に謝罪する。かも、がついてしまったのは、きっと本当の意味ではエイレンティアの苦痛を理解していなかったからだ。

「だ、大丈夫なのですよ。えっと……わたし達に会いに来てくれたのですよね? 中、どうぞなのです」
「いいの?」
「はいっ。あ、でもルノには連絡していいですか。ぜったいぜったい、心配してるのです」

無断で出てきた身としては了承したくなかったのだが、拒否すればきっと入れてはくれないのだろうと渋々頷く。

「じゃ、じゃあどうぞっ。わたしはルノに手紙出してきますねっ」

ばたばたと奥の部屋へ消えていくエイレンティア。残されたセオドリークによって家の中を案内されたリンデグレンだったが、二人の間には明らかな距離が開いていた。セオドリークの周囲の空気が鋭すぎて、とてもではないが近付けないのである。

「次お師匠さまに失礼な口を利いたら、その首刎ねますよ」

エイレンティアといた時の笑顔が嘘かのように、今のセオドリークには表情がない。

「その件については俺が悪かったよ。けどアンタすっげえ大人げねぇ……。俺だって、最初から分かってたんだろ」
「ええ。アイリス様が単独で来られる事はないと思いましたし、竜は誇り高い生き物ですから知りもしない人間に利用されるなど許せないでしょうしね」
「じゃあ何で剣向けたんだよ。嫌がらせにしちゃやりすぎだろ」
「お師匠さまとの時間を邪魔された腹いせですよ、ただの」

微塵も悪いと感じていないような態度で答えたセオドリークに、リンデグレンはあからさまに顔を顰める。ポーカーフェイスは得意ではないのだろう少年を、セオドリークは冷めた目で見下ろしていた。「でもぼくは、普通に生きて欲しいと願ってる」といういつかのブルーノの言葉を思い出し、何かが起こる前にさっさと帰ってくれればいいとほんの少しの情も混じっていた事は伝える必要もないだろうと思いながら。

「何か嫌いな食べ物はありますか」
「いや、特には。アンタに言ったら大量に出されそうだし」
「面倒なだけですから、しませんよ。紅茶にレズーレを浮かべるくらいはするかもしれませんけどね」
「……あれじゃね、アンタこそ二重人格なんじゃねーの」
「あの方以外の人間はどうでもいいだけです」

その方が性質悪いだろ、という彼の言葉は無視して、キッチンへと向かう。どこか悲しげな嘆きも、聞こえなかった振りをして。

「やっぱ魔法使いって似たようなもんなのか」

一体どういう意味だろうか、と多少気になりはしたけれど。

「わ、わ、わあああっ!?」

どんがらがっしゃーん!

物が盛大に崩れ落ちる音と、エイレンティアの声が家中に響く。何が起きたのか状況を飲み込めないでいるリンデグレンは放置して、セオドリークは慌てて彼女の部屋へ駆けつけた。

◇◇◇

「リンくん、お待たせしてごめんなさいです」

それから数十分ほどして戻ってきたエイレンティアは、どことなく疲れ気味だった。勝手に座るのもどうかとは思ったものの、あまりに待たされたため現在のリンデグレンは椅子に座ってゆったりとくつろいでいる。

「……さっき派手な音してたけど平気?」
「だ、だいじょうぶです。ただその、ちょっと魔法書の山が崩れちゃっただけなのですよ。うん……ちょっと」

余程大変だったのか遠い目をするエイレンティアに、それ以上の追及を避ける。空気を読めと言ったのは自分なのだから、ここは引くべきだと思ったからだ。

「そうだ、リンくん、クッキー食べないですか。アイリスさんが作るものより美味しくないかも、しれないですけど……」
「いいの? ならもらう。後食べる前から比べられても分かんねぇから」
「あ……そ、それもそうですね。じゃあ美味しくなかったら残しちゃっていいのです」
「お師匠さまが作られるものが美味しくないわけはないですよ」
「で、でも焦げてるかもしれないし……っ中が生焼けかもっ」

もしかしたら分量も間違ったかも……っと、次から次へと不安要素を上げていくエイレンティアを、リンデグレンはやや呆れたように見つめる。

「アンタ、ほんっとにすげーネガティブ思考なんだな……。美味しく出来たから、って堂々と出すくらいでいいって。あのくそ親父はそうする」
「でも、美味しくなかったら……」
「その時はマズイって言うし。美味しかったらちゃんとそう言うよ。それでいいだろ」

ぶっきらぼうな言い方だったが、ごまかす事のない彼の誠実さにエイレンティアはほっとしたように笑う。

「ありがとう」

きっと彼は、間違いなく実行してくれるだろう。その時は、どこが悪かったのかも聞こう。失敗は次に生かせばいい。些細な事が、エイレンティアには何故だかとても嬉しかった。彼の言葉は、自分だけに向けられたものだ。お菓子作りが好きで、ちょっと後ろ向きな自分に。そういった当たり前の事がいつも遠くにあって、少しだけ近付けた気がして、何かから解き放たれたような気がした。

「い、いや……別に」

リンデグレンは耳を赤くしながら、エイレンティアから目線を逸らす。その横で「えへへ……」と照れているのだから、まるで付き合いたてのカップルかのような空気が流れてしまっていた。当然ながら許容出来るセオドリークでもなく、彼女がずっと持っていた箱を受け取る事であっさりと空気をぶち壊す。

「あ、ありがとなのですセオ」
「はい。紅茶、淹れますね」
「うんっ。じゃあわたしはクッキー用意しますね!」

にこにこと笑いながら、篭とレースで編んだ敷物――どちらもエイレンティアのお手製だ――を手にし、クッキーを並べていく。ジャムは何味がいいでしょう、なんて和やかな会話をセオドリークとしながら。

その間もリンデグレンが観察するように二人を眺め続けていた事に気がついていたのは、セオドリークだけだった。

「はいどうぞなのですっ」

清潔な香りがするテーブルクロスを敷いたテーブルに、クッキーとラズルの実で作ったジャム、何種類かの果物を合わせて作られたフルーツティーを見栄え良く置く。甘い香りがリビングに充満した。

「女神イシュルーチェと大地の恵みに感謝を」
「女神ラスヴァティールの加護の元に」

食前にそれそれ捧げられた祈りに、リンデグレンはきょとんとした顔になる。理由が分からず、エイレンティアも彼と同じ表情を作った。

「ああ、セレディナ国とエストレーラ国は信仰する女神が違いますからね。リンデグレン様はセレディナに訪れるのは初めてですか」
「そういや初めてだった。……ってやべ、ひょっとして無断で国境越えた?」
「今更ですね。まあカシェに許可を出されていますから、平気でしょう」
「そっか、よかった。カシェって偉いんだな。後でブラッシングしてやろ」

カシェの姿を変えられるのは主であるブルーノのみなため巨大なままでは家に入りきらず、庭で留守番中だ。

「えーと俺の国が信仰してるのがラスヴァティール様。で、セレディナが……」
「イシュルーチェ様なのですよ。信頼していた方に次々と裏切られても、手違いから犯罪者と呼ばれるようになって石を投げられても、無償の愛と特別な力で最期まで人を救い続けた立派な方なのです! 助けられた方の中には王子様もいて、彼女に感謝と謝罪を込めてお城に像を作ったのです。王様や王妃様が毎日その像に祈りを捧げていたのを家臣たちも真似するようになって、そのうちに国中が信仰するようになったと言われていますよ」
「へぇ、そこまで詳しくは知らなかった」
「お師匠さまは博識な方ですから」

誇らしげに女神について語るエイレンティアの横で、彼女の事を誇らしげに褒めるセオドリーク。聞いているリンデグレンは段々と二人の事が分かってきたような気がした。そして思う。父親は二人を的確に表現していたのだと。

「ほ、本で得られるくらいの知識しかないのですよ。わたし、家からほとんど出たことなかったから……エストレーラ国にも行ったことないのです。リンくん、教えてもらえないです?」
「いいけど、俺あんま説明とか上手くねぇぞ? ラスヴァティール様は豊富な知識を持っていた方だな。伝染病が流行って王族が次々と倒れた時に原因を突き止めて、更にはその菌を特定の植物に移すことで植物の成長を促したんだ。植物はやがて他国にも売りに出せる品になって、当時は小さな国だったエストレーラ国は経済的にも潤い出したんだよ。交渉とかしたのもラスヴァティール様なんだ」
「わあ、すごいのです!」
「奇跡の力、って言われてるけど……つーかどっちの女神様も結局は魔女と同じ力だよな? なのに何で今魔女はこんなに嫌われてんの? 女神の再来とか崇められるべきだと思うんだけど」

素朴な質問に、エイレンティアは苦笑いを浮かべながらきちんと答える。

「特別な力をいつからか当たり前だと思うようになってしまったからなのです。魔女たちがどんなに一生懸命頑張っても感謝の言葉さえなくなって……魔女たちは一斉に反乱を起こして世界を滅ぼしかけたのですよ。繰り返すことがないように国家魔法師制度や各地に神殿を作ったのですけど、どちらの心にも深い溝が残ってしまったのです」
「あー……魔女側的には散々利用しといて! って感じで、人間側的には自分達を殺そうとしたくせに! って感じか。ああ、魔女とかが人間を見下したりってのは元々はそのせいなんだな。要はどっちもどっち?」
「まあ簡単にまとめてしまうならそうですね。神殿ではリンデグレン様が仰った通り、魔女達を女神の再来としています。中々浸透しないのは、魔女達がろくでもない事にしか力を使わなくなったからですね」
「女神は遠い存在だから信じられるけど、比較的身近にいる魔女は嫌悪感が勝つってとこか。なんつーか自分勝手な話だな、それも」
「ええ。女神への信仰が強すぎるが故に、力を悪用する者が許せない、という信者もいます」

あーもう訳わかんねぇ、とリンデグレンは疲れたように頭を抱えた。

「ルノは、リンくんに話さなかったのですね」
「……あいつは俺にべらべら喋ったりしねぇよ。で、これ食っていい?」
「あ、ど、どうぞっ」

彼が食べやすいよう、篭を目の前に差し出す。リンデグレンは「ありがと」と礼を言ってから一枚手に取り、口元に運ぶ。その一部始終をエイレンティアは落ち着かない様子で見つめていた。

「あ、美味い」
「ほ、ほんとにです?」
「ほんとほんと。なんかしっとりしてて好きかも。次はジャムつけて食っていー?」
「うんどうぞっ。セオもっ」
「有難うございます、お師匠さま」
「あんだけネガティブ発言繰り出すから、変なもんでも出てくるのかと。アンタさあ、そんなんで生きにくくねーの? さっきの話題にも出たけど、国家魔法師って性格歪んじまったアクの強い奴ばっかなんだろ」

さくさくとクッキーを噛み砕きつつ、何気なく口にするリンデグレン。悪意などなく、ただ純粋な疑問だった。想像していたよりも酷いから、心配になっただけでもあった。しかしエイレンティアが黙り込んでしまったのを見て、失言だったのだとすぐに後悔する。

「あー……ごめん。本当は、こういうことが言いたいんじゃないんだよ。ただ俺は、アンタ……広い定義で言えば国家魔法師に会いたかっただけなんだ」
「それはまた、危険な事を思いついたものですね。再度釘を刺しておきますが、お師匠さま以外なら五体満足でいられたのかも怪しいですよ」
「せ、せおだって傷つけたりはしないです! でもどうしてです?」
「……くそ親父の外見が変わんねぇから」

意を決して話すと、エイレンティアもセオドリークも「当然でしょう?」といった反応を示す。彼は不満そうに額に手を当ててはー、と大げさに溜息をついた。

「アンタらにしてみれば当然のことでも、一般人にはそうじゃないんだよ。俺だって小さい頃は気にしてなかったし、寧ろすげーとすら思ってた。でも成長して周りと関わるようになると、いかに普通じゃないのか分かってくる。アレの異常さも目についてくるんだ」
「異常……? ルノがです?」

エイレンティアが尋ねると、リンデグレンは思い詰めた顔でゆっくりと首を縦に振る。

「アイツは、俺らのこととかどうでもいいんじゃないかと思う」
「そんなことはっ!」
「なんつーかな……壁がある。目には見えなくても、薄くても、絶対に越えられない壁が。アイツはその向こう側にいて、そこから俺たちを見おろしてる。でも本人は壁なんてないように振舞う。アンタらの話を聞いて、納得は出来たさ。でもどうしようもなく鼻につくんだ」
「ち、ちがいます。ルノは……」
「違わない。アイツは確かに俺たちを愛してくれてるけど、でもそれだけだ。「家族」という土台に「父親」と「母親」と「息子」を配置して、その役割を演じているだけ。役者が演技の上で家族を愛そうとしているだけに過ぎないんだよ」

淡々と吐き出したリンデグレンだったが、膝の上で握り締められた手はかすかに震えていた。

「……きっとわたしもルノと一緒だから、リンくんの気持ち全部はわからないです。でもそれでも、ルノはリンくんを愛してるとは言えるのですよ」
「薄っぺらい愛情で?」
「ううん」

エイレンティアは部屋から持ってきた箱の蓋を開け、中身を彼に見せる。部屋が荒れる原因にもなったそれには、手紙がびっしりと詰まっていた。

「これは……?」
「ルノが書いたものです。順番通り整理できてなくて申し訳ないのですけど……どれでもいいですから、読んでみてほしいのです」

意図が読めないでいるリンデグレンは、不可解そうに手を伸ばす。レース柄が描かれたアイボリー色の封筒は、清楚な印象を受けた。あの男の普段の言動を考えると意外な気もしたが、恐らく少女の趣味に合わせたのだろう。そういえば、雑貨屋に入るのが昔から好きだったような気もする。色々な事を思いながら、二枚の便箋を取り出した。

『聞いて聞いて、ティアちゃん。リンくんがねーはいはいしたんだよ! もうね、かわいいのったらなんのって! いやあ子供ってちゃんと育つんだねえ。でもねー、色々さわりたがるのがちょっと困るかなあ。まあ魔法具とかは自分の部屋で厳重に保管してるけど、目が離せなくてこわいよね』

この後も、つらつらと育児日記が書き綴られていた。お前それ以外にネタないのかと突っ込みたくなるほどだ。他のも気になり、今度はアイリスの花が描かれた封筒を手に取る。母と同じ名の花だ、と気付いたのは読み終わってからだった。

『報告が遅くなってごめんねー。無事生まれました。元気な男の子だよー。もう元気すぎてびっくりしちゃう。名前はリンデグレンと名付けました。いい名前でしょー? いくつか候補があったから、最後まで悩んじゃった。アイリスはね、ぼくに似てるって言うよ。髪色とかはアイリスと同じなんだけどなあ。彼女が言うには、なんかこう雰囲気? が似てるんだって。うーん、似ないほうがいいと思うんだけどねぇ。というか似てほしくないかも、ぼくこんなんだし』

父親の本音が、嘘偽りなく書かれていた。親ばか丸出しで手紙を書いている姿が容易に想像出来て、読み進めていくうちにばかじゃないのかと悪態をつきそうになる。しかも生まれた時に真名を教えていたとは何事だ。……そうやって文句ばかり出てくるのに、どうしてだか涙が零れ落ちそうになる。なんとか堪え、便箋をめくった。

『なんかね、生命の神秘だよね。すんごくちっちゃい体なのに大音量で泣くんだよ。柔らかいほっぺつついたらきゃっきゃって笑うんだよ。きゅうってぼくの指にぎるの。正直ね、ちょっと不安だったんだ。ぼくが子供作ってちゃんと愛してあげられるのかなあ、なんて思っちゃってさ。ぼくのほうが長生きするだろうし、看取らなきゃいけないから辛くなったりするのかなあとも思ってた。でも杞憂だったね、取り越し苦労もいいところだったね。もうねぇ、かわいすぎてどうにかなっちゃうよねー。今なら心の底から女神に感謝できるよ。でもやっぱりありがとうって伝えるのはアイリスにかな。うちの子かわいい、超かわいい。奥さんらぶ』

……だからお前はネタがないのか。心の中で呆れつつも、ぽたりぽたりと染みを作っていく。それがまた自分の名前の上に落ちるものだから、余計に溢れて止まらなかった。

「ね?」

やさしい声が、やさしくとける。

知りたかった。教えてほしかった。もっともっと、近づきたかった。同じ場所で生きられないのが悔しくて苛立って、八つ当たりばかりした。愛していたから、愛して欲しかった。理解、したかったのだ。自分の父親を。

「っ!?」

体の芯が、熱い。熱くて熱くて汗が吹き出て、喉がからからに渇く。まるで砂漠に放り出されたかのようだ。水が欲しくて、この渇きから開放されたくて、目の前に見える光にがむしゃらに手を伸ばす。

「――――リンくん、だめ……っ!!」

制止の声も、どこか遠くで響く。ようやく掴めた! と思ったその瞬間、自分の体から発せられた光の柱が空に向かって伸びた。

「え、あ……?」

何かに包まれているような、雲の上を歩いているような、ふわふわとした不思議な感覚。酒に酔った時、こんな風になるのだろうか。でもそれとも違う。もっと鮮明で繊細で、それなのに力強い。

「……リンデグレン様、失礼しますよ」
「は?」

セオドリークは一言断ってから立ち上がり、リンデグレンの体をあちこち触る。何してんだ! と叫びそうになったが、妙に深刻なのに気付いてかろうじて飲み込んだ。

「ありました」
「そんな……」

平然と言ってのけたセオドリークの言葉を聞き、エイレンティアはみるみるうちに青ざめていく。

「え、何……何が起きたんだ?」
「リンデグレン様、腹部の左辺りを見てください」
「は……? んなとこ見たって」

何もないだろ、とは言いつつも半信半疑でシャツをめくる。するとそこには、見た事もない文様が浮かび上がっていた。指でさわってみると、じわりと熱が伝わってくる。得体の知れない真っ黒な何かが体に入ってくるような錯覚にとらわれて、慌てて指を離した。

「なんだ、これ」
「魔力を持つ者の証、です。リンくんは目覚めてしまったのです」
「は……?」
「さっさと国に戻る事をお勧めしますよ。セレディナにはロストア様がいらっしゃいますから、このままここにいてはすぐに光の位置を特定されてしまうでしょう」
「いや、ちょ、待て。魔法使いって血筋関係ないんだろ? 何で俺に……」

魔女や魔法使いは、いつどこで生まれてくるか分からない。これといった法則もなく、血筋も場所も関係ないからだ。そのため魔女や魔法使いの子供でも普通の子供が生まれるし、普通の夫婦から魔力を持った子供が生まれてくる事もある。だからリンデグレンが目覚めてもおかしくはなく、しかし限りなく珍しいケースには違いなかった。

「とりあえず、ルノに相談した方がいいのです。リンくんは、いやかもしれないけど……」
「嫌っつーか意味わからんというか混乱してる。あーでも、嫌ではないのかも、しれない」
「そうですか。イーズデイル様も気の毒ですね」
「は?」
「いえ。心行くまで話し合ってください。こちらはどうにかしますから」
「なんか迷惑かけてごめん。俺、浅はかだったと思う」
「そ、そんなことはないのです。会えて楽しかったです。あ、よければクッキーお土産にっ」

クッキングシートごと包み、先端をリボンで結んでリンデグレンに手渡す。

「ありがとう。じゃあ、行くよ」
「き、気をつけてです。……あ、あの、また」
「うん、また」

庭先まで彼を見送り、カシェの姿が見えなくなるでエイレンティアは手を振り続けた。彼への謝罪かのように。

「お師匠さま、そろそろ戻りましょう」
「うん……」
「彼が目覚めたのは、本人の強い意志があったからです。ですから……そんな顔をなさらないでください」
「うん……」
「遅かれ早かれ、彼は目覚めていたでしょう。きっかけはいくらでも転がっているはずですから」

なんとか説得しようとするセオドリークだが、彼女の顔は浮かない。俯いてしまったまま、ぼんやりと地面を見つめ続けるだけだ。――あの親子は本気でどうしようもない、と心の中で散々に貶して、膝をつく。彼女の頬に両手を添えて持ち上げ、無理に目線を合わせた。

「何一つ、貴方は悪くありません。起こるべくして起こった事です。イーズデイル様だって、貴方を責めたりはしませんよ」

だから戻りましょう、ともう一度声をかけ、彼女の手を引いて家の中へと入る。その間、エイレンティアはずっと口を閉ざしていた。