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緋色の魔女
レイニーブルー

「うーん」

採ったばかりの果物をキッチンに並べながら、エイレンティアは独りごちる。

「お師匠さま、どうされました?」
「今日は何作ろうかなあって考えてたのです。爽やかにゼリーもいいし、さくさくミルフィーユもいいなと思ったのですけど、この前作ったし……」

元々エイレンティアがおやつを作り始めたのは幼少のセオドリークに食べさせるためだったのだが、やってみると中々面白く、今でも欠かす事なく作り続けている。だが何十年も続ければレパートリーも尽きるというもので、時折こうして悩んだり本を漁ってみたりしていた。近所付き合いがあれば家庭のお菓子を教えてもらえるのだろうが、魔女の森に住みたがる奇特な人間はいない。それでもブルーノ経由でアイリスからいくつか教えてもらえたが。

「セオは何食べたいです?」
「お師匠さまが作られるものなら、私はなんでも」
「何でもはだめですっ」

途中で遮られ、セオドリークは苦笑いを浮かべる。何でもいいという一言が一番困る、というのはよく耳にするが、本当に何でもいいのだ。彼女が傍にいてさえくれれば、それで幸せなのだから。

「そうですね……私としてはミルフィーユも好きですが、作るのが手間ではありませんか?」

しかし頬を膨らませた彼女には通じないらしい、と案を上げてみる。

「大丈夫なのですっ。じゃあミルフィーユにしますねっ」

エイレンティアは嬉しそうに笑って、手際よく器具を取り出す。あの頃と変わらない小さな背中を見ながら、改めて彼女は凄いと思った。毎日毎日朝昼夜と食事を作ってお菓子まで作るのは時間がかかっただろうに、面倒くさがる素振りなど一度も見せた事がない。セオドリークは可愛げのない態度を取っていたにも関わらず、だ。

当時の自分を思い出して頭が痛くなってくる前に、ローブの袖をめくって彼女の隣に並ぶ。

「セオ?」
「お手伝いします。この大雨では外には出られませんしね」

朝から雨が降り続いており、窓の外ではざあざあと大きな音が絶え間なく鳴っている。エイレンティアも納得したのか、「じゃあ……」と遠慮がちに果物を手渡した。

「皮を剥いてもらって、潰してもらっていいです? クリームに混ぜようと思ってっ」
「はい」

彼女の指示に従って、丁寧に皮を剥く。エイレンティアは一生懸命に分量を計っているようだった。「あ、九グラム多いっ」と時折もれる独り言も、なんとも可愛らしい。お菓子でも薬作成でも分量や手順をきちんと守る几帳面さがあるのに、何故一般料理になるとああなるのだろうか、というのは長年の疑問ではあるのだが。

巨大な目玉が浮かんだドピンク色のスープの衝撃は、セオドリークの中で鮮明に刻まれている。その辺にあるものをぽいぽいと詰め込むためらしいのだが、そういう意味ではやはり彼女はたくましい人なのだろうと思う。森で一人で生きていくにはそうならざるを得なかったのかもしれないけれど。

「あ、ねねそういえば」
「なんでしょう?」
「彼女は、お料理とかするのでしょうか。そのときはわたしの勘違いなんだって思い込もうとしてたのですけど、食材が減ってるときって彼女が作っていたのですよね?」

近頃、頻繁に彼女の事を口にするようになったと思う。自分自身と向き合いたいという心の現われなのだろう。それが良い事なのか悪い事なのかは、考えないようにして。

「はい、そうですね。修行中に、何度かサンドイッチなどを作って頂いた事があります」
「ふむふむっ。どんな感じだったのです?」
「簡単に言うなら男の料理、でしょうか。野菜はちぎってありましたし、具材も大きかったですしね。ですが美味しかったですよ」
「……豪快な方です?」
「というよりも食にさほど関心がない、腹に入るものなら何でもいいといった感じでしょうね」

それでも味は美味しかったのだから、見た目は関係ない料理という点では基本人格も交代人格も似ているのかもしれなかった。基本的人格を補うために生まれたのが交代人格だと考えると二人は常に対極の位置にいるため、とても珍しい事だ。

「お母さんみたいで、お料理は男らしくて、食に関心がなくて、黒い服が好きで……?」

ううん、と小難しそうな顔で呟く。限られた情報の中からなんとか想像しようとしているようだった。……自分の中にいるもう一人の自分を知ろうとするのは一体どんな気持ちなのだろう、とふと思う。セオドリークはエイレンティアもシンティアも知っているし、シンティアにしても二人とも知っている。知らないのは、知らない事を不安に感じるのは、エイレンティアだけなのだ。そしてその不安を分かち合う事は出来ない。絶対に出来はしない。

「ティア……」

黙ったままでいるのは、本当に正しいのだろうか。話しても話さなくても彼女を傷つけるのなら、いっそ打ち明けた方がいいのではないだろうか。意を決して口を開きかけた時、強烈な雷音が響いた。

「わっかみなり!?」
「近かったですね」

彼女は驚いた風に窓を見た後、強烈さに怯える――ではなく、きらきらと目を輝かせた。

「もういっかい落ちるでしょうか!? 次は光るところも見たいですっ」

お菓子作りの最中でなければ、窓辺に寄っていただろう。そう、彼女は繊細そうな外見に見合わず雷が大好きだった。部屋に閉じ込められていたせいで、部屋の中からでも感じられる外の変化が楽しみだったのだという。だから彼女は雨も好んでいる。

「作り終えたら、灯りを消して観察でもしましょうか」
「うんっ。あ、でも……セオは平気です?」

彼女は気遣う視線をセオドリークに向ける。喜ばしいやら、未だ子供扱いされているのが情けないやらだったが、それらを隠して「はい」と答えた。

彼女に拾われたばかりの頃、雷が苦手だった。正確に言うなら、雨が嫌いだったのだ。母に捨てられた日を思い出すから。

◇◇◇

「セオっ、今日は焼きたてあつあつのマドレーヌですよっ。みてみてっうまく焼けたのです!」

にこにこと笑いながら甘い香りを漂わせて近付いてくるのは、自分を助けてくれた少女。拾われたばかりの頃は部屋の片隅でうずくまっていたセオドリークも、誘拐事件以降はリビングにいる事が多くなった。だが当然その分会話も増えるわけで、今度はどう接すればいいのか分からないでいた。彼女はいつも無邪気で子供っぽくて、なのに大人びて見える時もあるからだ。

「あ……も、もしかしてマドレーヌ好きじゃなかったです? ご、ごめんなさいわたしっ何回もつくって」

加えて、妙にネガティブだ。

「だ、大丈夫なのです。これは一人で食べますから……っ」
「……ふとるぞ」
「うっ。そのぶん森を散歩しますっ」

本気で一人で食べる気なのか、木の籠から取り出そうとする。それを奪って、自分の口に入れた。

「あっ。む、無理はしなくていいのですよっ」
「べつに、無理はしてない」

ふわふわの軽い生地が、舌の上でとけていく。はちみつのほんのりした甘さと、質の良いバターの風味が口いっぱいに広がっていった。飾る事のない、素朴な味だ。

「ど、どうです?」
「熱い」

それだけ言うと彼女は満足げに笑みを深くして、隣に座り込み自身も口に含む。

「うん、ほんとに熱いですねっ」

えへへーと笑いながら、一口、また一口と食べ進めていく。彼女につられて、セオドリークも一つ食べきった。

「もひとつどうぞっ」
「うん」

すっと差し出された籠から一つ取り出す。ろくな感想を言わなかったというのに彼女は上機嫌で、セオドリークも悪態つく気をなくしてしまう。マドレーヌを黙って食べている方がよっぽど有意義のように思えたのだ。彼女も喋らなかったから、 二人の間に会話はなかった。けれど、仲の良い兄妹のような居心地の良い空間があった。……このままこうしていればきっと、何を恨むでも悲しむでもなくいられるのだろう。ぬるま湯にいつまでも浸かっていられるのだろう。彼女となら、それもいいのかもしれない。そんな風に思った時、激しい雨音が家中に響いた。

「わわっ、お洗濯物干してたのにーっ」

彼女は慌てて残りを詰め込んで、立ち上がる。洗濯物を取り込むだけ。たったそれだけ。終われば、戻ってくる。頭では、理解していたのに。

「あ……」
「セオ?」

――――たった一瞬。一瞬で、全てが蘇る。

別れの時まで笑みを崩さなかった母の顔も、何事もなかったかのように手を離す母の顔も、頭を撫でてくれた冷たい手も。寂しくて心細くて、必死に自分を抱きしめていたあの日。ずっとずっと、戻ってくるはずのない人を待ち続けた。

「セオ? 顔色が悪いのです。体調が優れないのです?」
「……で」
「え?」
「いかないで」

何が悪かったの。どこで間違えたの。どうして手を離すの。いかないで、おいていかないで。良い子にするから、わがまま言ったりしないから!

「お洗濯もの取り込むだけですよ? 大丈夫、すぐ戻ってきます」

ああ、彼女も置いていくんだ。優しくするだけして、最後には裏切るんだ。僕なんかいなくたっていいんだ。誰にも必要とされない自分は、生きている価値なんかない。誰にも見られないように、跡形もなく消えてしまえればいいのに。魔物にあのまま殺されていればよかったのに。人攫いにあのまま殺されていたら――――、

「大丈夫、置いていったりしないですよ」

ぎゅう、と彼女に抱きしめられる。マドレーヌと同じ甘い香りが、鼻をかすめた。

「こわくない、こわくない。わたしはここにいます」

……だから、と消え入りそうな声で続けられる。何故か、自分を抱きしめる彼女の手も震えていた。

「セオも、わたしをおいていかないで」

おいていくわけがないのに。他に行く場所なんてないのに。でも言葉には出来なくて、なんて言ったらいいのか分からなくて、そっと抱きしめ返した。どうして彼女がこんな事を言ったのか、泣きそうなのか想像もつかなかったけれど、そうする事が一番いいように思ったのだ。この言葉を彼女がこれから先も後悔し続ける事になるなんて、まだ知らないまま。

外が明るく光り、すぐ後に大きな雷が落ちる。つい抱きしめる力を強くしてしまったら、意外そうな声が頭上から降ってきた。

「……セオもしかして、雷だめです?」

なんとなく気恥ずかしくて、そんな事ない、と言おうとしたのだが、その前にもう一度同じように落ちる。思わず縋りついてしまえば、彼女に頬擦りされた。

「セオかわいいーっ」
「か、かわいくないっ。ティアはなんで楽しそうなんだよっ」
「だってわたし雷すきですよ。なんだかわくわくするのですっ」
「……あんたって、変」

いや変なのは前々から感づいていたが、やはり盛大にずれている。魔物が巣食う森を散歩だとかも、彼女以外はしないだろう。以前に一度だけ付き合ってみた事があるものの、次回以降は断りたくなった。魔物への恐怖も勿論だが、紫色のキノコや蠢く花を拾っていく彼女も充分に恐ろしかったのである。しかもスープに入れるというのだから、聞かなきゃよかったと悔やんだものだ。問題なのは、本人に全く自覚がない事だろう。今だって「変」の意味を掴みかねたのか、「ううん?」と不思議そうにしている。――魔女は皆、こんなものなのだろうか? 少年の疑問に答えてくれる人は、誰もいなかった。

「あっ、そうだ! 今日は一緒に寝ればいいのですよ」
「はあ?」
「わたしの部屋がいいです? セオの部屋がいいです?」
「そりゃ僕の部屋だろ……ってちょっと」
「お菓子持ち込んだりとか、紅茶飲みながらお話したりとかっ。そういうのしましょうねっ」

未だ抱きしめられた状態では拒否も出来ず、渋々承諾する。これ以上ないほど彼女がご機嫌だったせいでもあった。……やっぱり、ティアって変。

「セオあったかぁいっ」

で結局、彼女に抱き枕にされていた。そういえば初めて会った時もそうだったな、なんて少し前の出来事を思い出す。普段は自作のぬいぐるみを抱きしめているらしいから、抱き枕がないと眠れないタイプなのだろう。自分を巻き込むのはやめてほしいところだが。

ぽんぽんと、規則正しく背中が叩かれる。調子外れの子守唄がおかしかったけれど、ゆっくりと侵食していく眠気には逆らえなくて、ただ静かに聴いていた。彼女自身の話も。

「……あのね、わたし小さい頃はずっと部屋の中にいたのです。外は危ないところだから、魔女のわたしは差別されてしまうからって。でも本当は、わたしが力を制御できなかったせいなのです。人に、おうちに迷惑をかけないために、外に出ることを許されたのは一ヶ月に一回だけ。それもお庭まででした」
「たいくつじゃ、なかった?」
「生まれた時からそうだったですから、そういうものなんだって思ってました。だからわたし、あんまり人と接したことないのです。子供とは特に。侍女さんは沢山いましたけど、お仕事すませたらすぐ帰っちゃってましたし。きっとセオにも間違ったこといっぱいしちゃってて、おかしなこと言っちゃってて、ごめんね。がんばるから、セオもどんどん指摘ほしいのです」

責める気にはなれなかった。彼女なりに悩んでの行動だったのだと知ったから。彼女も寂しい人だったのだと話してもらったから。

「でもわたし、すごく嬉しいのです。……人って、あったかいのですねえ」

しみじみと放たれた一言は、やけに脳裏に残った。彼女は、絶対に自分を見捨てたりはしないだろう。何があっても、彼女だけは。

「ちょっとだけここで待っててちょうだい。必ず 戻ってくるわ」

分かっている、頭では分かっているのだ。母と重ねたって仕方がない事も、過去は消えない事も。でもふとした瞬間に襲いかかってくる。凍らせていたはずの記憶が溶けて、夢でも追い詰めてくる。お前なんかいらないよと誰かが嘲笑っているんだ。

「おやすみなさい、セオ」

彼女の腕の中はあたたかくて、そのうちにすやすやと寝息が聞こえてくる。……彼女の。

「普通、先にねるか……?」

おやすみなさいってそういう意味かよ、と突っ込みたくなったが、気力がなくて思うだけに留めた。幸せそうな顔を見ているとあれやこれやと考えていた自分があほらしくなって、緩やかに目を閉じた。

◇◇◇

「わあっ、きれい!」

薄暗い部屋で、きゃいきゃいとはしゃぐエイレンティア。その横で、セオドリークは愛おしそうに彼女を見つめていた。

「ええ、綺麗ですね」
「昔は、雷が鳴った日はセオが一緒に寝てくれたのになーっ」

むう、と拗ねる彼女は可愛い。文句なしに可愛い。だがしかし、色々な意味で大人になった今、昔と同じように一緒に眠る事は出来ない。雷を怖がっていたあの頃の自分ではないのだ。……彼女だけが、取り残されてしまっただけで。

「一緒に寝る事は出来ませんが、話し相手にはなりますよ。お菓子を食べて、紅茶を飲むんですよね」

先程言いかけた言葉は、雷によって飲み込まれたままだ。けれどその方がよかったのかもしれないとも思う。どうするのが最も良いのか、答えは出ないでいる。

「うんっ。あ、でもいつもとやってること変わらないですね……」
「それもまたいいものですよ」
「そうでしょうか? ……うん、そうですねっ」

雨は何度だって降る。雷は何度だって落ちる。でも、怖い夢はもう見ない。