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緋色の魔女
見放された世界の裏側

「セオっ、セオっ」
「どうされました、お師匠さま?」
「あのね、セオだいっきらい!」

それはもう、満面の笑みだった。長い時間を共に過ごした中で、一番といってもいいかもしれないほどの。その顔から嫌いと言われるとは想像もしておらず、セオドリークはぴしりと固まる。しかも、大がついていた。自分が一体何をしたというのだろう。まさか、彼女に抱いている感情が全てばれたのだろうか。いやそれならもっと違う反応をするはずだ。彼女の性格からいって、面と向かって嫌いと言ったりはしない。ならば何故……ぐるぐると思案していると、彼女も固まっているのに気付いた。

「あ、あれなんで……!? セオ、きらい……あ、あれっ」
「……お師匠さま?」
「ち、ちがわないのですっ。え、だから違わないのっ。うわああんなんでええええっ」

傍から見たら非常におかしな光景だが、彼女はパニックを起こして半泣き状態だった。宥めなければ、と逆に冷静になったセオドリークは、一つの可能性に辿り着く。

「お師匠さま、甘いものはお好きですか?」
「ううんっ、きらい!」

これまた、良い笑顔だった。しかしすぐに困惑した表情に変わり、とうとう泣き出してしまう。

「ううう……なんで」
「どうも強く思っている事と反対の事を言ってしまっているようですね。イーズデイル様の魔力反応があるんですが……」
「ルノの?」

きょとん、とするエイレンティアの涙を指で拭いながら、軽く頷き返す。

「そういえば、手紙が届いていましたよね。何か魔法がかかってはいませんでしたか?」
「かかってたら、いくらわたしでも分かるのですよ。ルノの手紙に、たまにはセオくんに自分の気持ちを伝えるのも大事だよ、ってあったから伝えに来ただけなのです」
「では条件を満たすと発動するタイプだったんでしょうね。威力には欠けますし、イーズデイル様の魔力容量ですと持続力もほとんどないでしょうから放っておいても解けるでしょうが……一応解きましょうか」

泣いている彼女を前に、放置するわけにもいかない。彼女の頬に触れ、魔法を展開させようとする。そもそもどうしてこんな魔法を、と考えて、ふと彼の意図が読めた気がした。

「お師匠さま、私の事嫌いですか?」
「そ、そんなことあるのですっ」

強く言い切った後、ひどく慌てた風に「ちがわないのです〜っ!」と首を何度も横に振る。勢いよく振ったため涙も飛び散ったが、エイレンティア本人は気にする様子もなく必死の形相だった。本心ではないといえ、勘違いされては困ると思っているのだろう。彼女相手に、自分がしようとしている事は卑怯なのかもしれない。けれど。

「……私の事、愛していますか」
「う……? わかる、です」

彼女の返事を聞いたセオドリークは切なそうに目を細めて、彼女にかかっていた魔法を素早く解く。

「もう大丈夫ですよ、お師匠さま」
「ありがとなのですっ。セオ大好きですよ!」
「有難うございます」

愛している、でも愛していない、でもなく、「分からない」。いざ思い知らされるときついものだな、とセオドリークは心の中で思う。異性への愛情を、彼女はよく理解していないのだ。先程彼女が首を振ったのも、好きだと言い直したのも、家族への想いでしかない。愛している、と言われなかっただけましなのかもしれなかったが。

「でも何で、ルノは魔法を使ったのでしょう」
「彼の気まぐれのようなものではないでしょうか」
「うーん……そうなのでしょうか」

彼の息子への仕打ちに対するささやかな仕返しでしょうね、とは、敢えて口にしなかった。エイレンティアには特別害があるわけではなく、セオドリークにのみしっかりとダメージを与えてくる辺りが流石といったところだろうか。

嘘でもいいから彼女の愛しているが聞きたかったと思う自分は、大概重症だ。

◇◇◇

「このクッキー美味しいねえ。リンくんもそう思わないー?」

にっこにこ、にっこにこ。

「どうしたの、具合でも悪いのー? 早く休んだ方がいいんじゃないー?」
「あの……、父さん」
「父さんって呼んでくれるのは久しぶりだねえ。でなあにー?」

にっこにこ、にっこにこ。

「い、いやその」
「なあに小遣いでも増やせってー? ぼくそういう単純な手にはのらないよー。でも可愛かったから、今回だけは聞いてあげちゃおうかな」
「そういうんじゃなくて……」
「うん、なあに?」

にっこにこ、にっこにこ。にっこにこ、にっこにこ。リンデグレンが家に帰ってきてからずっと、ブルーノはこの調子だった。――――怒ると笑顔になる奴だったんだな……。新たな一面の発見だったが、しかし解決策は思い浮かばない。ちょっと謝罪の姿勢を見せようとするととびっきりの笑顔が返ってくるのだ。何を言えというのか。母親は傍観する事に決めたのか、遠くで微笑んでいるだけだ。

(俺が悪かった、悪かったけど)

ものすごく居心地が悪い。逃げ出せるものならさっさと逃げ出したい。

「……ティアちゃんに会って、どうだった?」

突如変わったトーンと話題に訝しみながらも、ここでごまかすのはよくないだろうと素直に答える。

「本当にただの子供って感じだった。攻撃魔法とは程遠そうな。大分ネガティブでどう接したらいいのか迷うくらいだったけど」
「まああの子には自信ってものがないからねー。自分自身についてもよく分かっていない状態で、それを望むのは酷なのかもしれないけど」
「自分自身について……」
「ん、興味あるの? 絶対しんじなーいって感じだったのに」
「いやその、えっと」

そんな風に思えたのは、会った事もない他人だったからだ。だが実際に話した今、頭ごなしに否定は出来なくなっていた。未だ半信半疑ではあるが、もしかしたら、という気持ちも確かに芽生えているのである。彼女があまりにも毒気がなくて、世間で噂されている緋色の魔女と印象が重ならなかったせいでもあるのだろう。

「じゃあリンくん、自己について説明して」
「は?」

何を言い出すのだろうか。自己についての説明……例えば自分は、ブルーノ・ルーン・イーズデイルとアイリス・イーズデイルとの間に生まれた子供だ。小さな頃から二人のバカップルぷりを見て育った、至って普通の子供。思春期というものを迎えると、父親の異常さに気付き反発するようになる。何故反発するようになったかといえば、彼が自分とは異なった存在だったからだ。愛情を注がれて育ったから、自分も彼を愛したかった。でもそれが難しくて、難しいものだと思い込んで、苛立ちが抑えられなかった。その結果、自分も彼と同等の立場になってしまったのだけれど。

「悩みはするかもしれないけど、思い浮かんだよね?」
「うん、まあ」
「それはアイデンティティ――自分が自分である証が確立されてるからだ。でもティアちゃんはアイデンティティが統合できてない。人格が分かれるということで最も問題なのは複数の人格がいることではなく、一つの人格さえ持てないことだと言った精神科医もいる」

正直なところ、釈然としなかった。専門的な話だというせいもあるだろうし、もう一人の彼女と出会わなかったせいもあるのかもしれない。

「けど、誰かが最初に彼女について気付いたんだよな? その人がどうにか……」
「最初に気付いたのはぼくだよ」
「へ?」
「忘れるなんてありえないほど衝撃的なぼくとの出会いを、彼女は一切覚えてなくてさー。ぼくもまさかとは思ったんだけど、記憶に空白があるのは交代人格と入れ替わっているからだ、っていう一説を思い出してね。文通を始めたの。そうしたら小さい頃の記憶とか戦場に出てた頃の記憶とかがぼろぼろ抜けてて。こりゃおかしいな、って病院を勧めたんだよ。

普通の物忘れじゃ説明できない記憶障害、生きてる実感がなくて離れた場所から自分を見てるように感じる離人症、何かが欠けてる空虚感、人が大勢いるところで人を怖がる対人過敏症状、一人でいる時に誰かに見られてる気がする気配過敏症状、幻聴、幻覚、睡眠障害……彼女が訴える様々な症状から多重人格障害を疑われ、医師は催眠によって交代人格を呼び出した。類似性が高い病気が他にあるから、判断がすごく困難な病気でね、この時点で既に数年は経ってたかな。そこで初めて、彼女は二重人格だと診断されたんだよ」

数年かかっての診断結果を、彼女はどんな気持ちで聞いたのだろう。自分の中にもう一人いる、と言われてすぐに受け入れる事は出来たのだろうか。気味が悪くはなかったのだろうか。それにブルーノはつらつらと述べたが、症状の数が多すぎる上に深刻すぎる。正常に生きるのはまず不可能なように思えた。

「まあその医師も二重人格患者を受け持つのは初めてで気持ちが昂ぶってたらしくてね。実験動物みたいな扱いを受けて、彼女は不安を強くしてしまった。で医師を変えたら、「前医師による強力な催眠暗示によって作り出された幻影に過ぎない」と一蹴されてしまう。当時は今よりも遥かに存在を疑われてた病気だから、仕方ない部分もあるんだろうけど……本人にはたまったもんじゃないよね。更に次の医師には嘘つき呼ばわりされた。結局彼女はまた外界との接触を絶って、余計に引きこもってしまったってわけ」
「うわ……」

信頼すべき対象であるはずの医師にそういった対応をされたら、人への不信感だって募るだろう。だから彼女は初対面のリンデグレンに大げさなまでに怯えていたのだ。悪い事をしたな、と思う。一体自分は、いくつ無神経な発言をしてしまったのか。弟子の男性がああいう態度を取ったのも、そのせいなのかもしれない。それでも少々度が過ぎた感は否めないが。

「治療において重要なのは、有害となる刺激を取り除いて安心できる場所を作ることと、医師と患者の信頼関係を築くこととされる。大体は家族や環境に原因があるから、可能な限り隔離しなきゃならない。ティアちゃんは家族とは遠い昔に縁を切ってたけど、緋色の魔女の重圧からはどうやったって逃げられなかった。だからその上で、少しでもストレスを感じないですむ生活を送れるように配慮する必要がある。…………セオくんにも問題は多々あるけど、彼も何の理由もなしに他人を遠ざけるわけじゃないんだよ。あれでもね」

どうやら、自分の考えなどお見通しのようだった。そんなつもりはないのだが、顔に出てしまっているのかもしれない。気をつけなくては、とリンデグレンは顔を引き締めた。

「貴方を傷つけないよう、私に制止をかけたんです。そんな方に随分な物言いだとは思いませんか?」

彼は、彼女を守ろうとしていただけなのだ。剣には詳しくないため、彼の腕前は分からない。だが、自分の首を落とすくらいは容易かったはずだ。首筋に当てられた冷たい剣を思い出して、今更ながらに背筋が冷える。――彼の前で彼女にうかつなことを言うのは、二度とやめよう。

「で、ティアちゃんに何したのー? あ、惚れちゃった!?」
「ち、ちがっ」

にやにやと笑いながらからかってくる父親に、すぐさま否定を入れる。

「つーかあの子は、そういうのとは違うだろ。ロリすぎるというか……あんな子に手出そうとしたら犯罪なんじゃねーの」
「ああうん、きみがまともに育ってよかったと今日ほど感謝した日はないよ」

褒められているのかそうじゃないのか微妙な台詞である。だが妙に真顔で言われたため、突っ込むタイミングを逃してしまった。

「彼女を本気で愛してる犯罪予備軍もいるけどねー。ま、セオくんの方が年下なんだけど」
「嘘、まじで?」
「まじまじー。ティアちゃんの半分程度しか生きてないんじゃないっけかなあ。セオくんがティアちゃんに拾われたのが五歳くらいの時だったかなー」

改めて二人を思い出す。どう考えても男の方が年上にしか思えないのだが、実年齢には随分と差があるらしい。セオドリークが大人びているのかエイレンティアが子供なのかと議論しようとして、後者しかないよなと結論を出した。

「ん、拾われた……?」
「あの子、母親に魔女の森に捨てられたんだってさ。魔物に襲われて死にかけてたところをティアちゃん達に助けられたんだよ。帰る場所もなかったから、弟子として引き取ってもらったんだって」

いまいちぴんとこなかったのは、彼が強かだったのと自分には親がいるからだろう。魔物が巣食う森に子供を捨てるなんて、二人がするはずもない。それが当たり前なのだと思っていた。だが、彼にはそうではなかった。たった五歳の時に捨てられて、死にかけて……恵まれた自分が想像してみようとしたところで、出来るはずもなかった。

「何年か経ってからぼくも会ったけど、敵意剥き出しですごかったなー。大人なんて信用ならない、って感じでティアちゃんにべったりくっついてた。ちなみにティアちゃんは今のまんま」

ブルーノはそう言うと、懐から小瓶を取り出す。中身の液体を紅茶に混ぜると、鼻を塞がなければ防げないほどの強烈な異臭が周囲に充満した。リンデグレンも耐えられず、咄嗟に手で鼻を覆って文句を唱える。

「何すんだくそ親父!」

しかし彼は平然としたまま、詠唱らしきものを囁き始めた。すると紅茶ごとティーカップが凍り、異臭からも解放される。一体なんだったんだ、と大きく息を吐き出した。

「トラウマってのはつまりこういうこと」
「は?」
「人ってね、自分の処理能力を超えるほどの体験をした場合、自分を守るために心がその体験を瞬間冷凍しちゃうんだって。匂いや熱さとか、その時感じた思考とか、とりあえずひとまとめにしちゃって他の領域に影響を及ばさなくなるの。すごいよね。でもそれって、鮮度がずっと保たれるってことになるんだよ。普通の記憶は途中から自分の都合の良いように歪んだり、忘れたりするけど、瞬間冷凍された記憶はそうはいかない。同じ状態であり続けるから、いつまで経っても過去の思い出にはならない」

今度はぱちん、と指を鳴らす。凍っていたティーカップが溶け、強烈な臭いが再び充満した。つい先程まで凍っていたとは到底思えない。

「瞬間冷凍された記憶ってのは、何らかのきっかけで瞬時に解凍されてしまうことがある。鮮度は落ちてないから生々しく蘇って、思い出すんじゃなくて今起きてるものとして降りかかってくるわけだ。これをフラッシュバックといいます」
「なるほど……」

納得はしても、鼻を覆ってもまだ臭うひどさに涙が止まらなくなってくる。ブルーノだけは涼しい顔をしていたが。

「セオくんは雨の日に捨てられたらしくてね、雨を見るとフラッシュバック起こして大変だったそうだよ。当り散らされてもティアちゃんは嫌がりも怒りもせず、ずっとセオくんの傍にいた。抱きしめて一緒に眠った。彼女にできることは他になかったから」

なんとなく、頭に思い描いてみた。子供二人が、身を寄せ合って眠る。大丈夫だよと囁きながらあやすように背中を撫でる。安心できるように、怖がらなくてすむように、やさしくやさしく。とても温かくて、でも、……とても寂しかった。

「まだ幼いセオくんが母親から受けた傷は、虐待によるものだ。そのトラウマが癒えない限り、苦痛や痛みに満ちた人生を歩まなきゃいけない。でもさっきも説明したけど、トラウマってのは瞬間冷凍された記憶だ。癒そうとするなら、凍らせていた記憶を溶かして消化吸収していく必要がある。人に話したり、絵に描いたり、子供ならおもちゃを使ったり、再現の方法は色々あるみたいだけど」
「いやでも、フラッシュバック起こすんだろ……?」
「うん。そもそも辛すぎるから凍らせちゃったことを考えると、ただ単に溶かすだけじゃ苦しさが蘇ってより一層苦しくなるだけかもしれないよね」

ブルーノは懐から再び小瓶を取り出し、異臭を放つ紅茶に混ぜていく。ティースプーンで丁寧に混ぜ合わせれば、涙が出るほどの異臭はすっかり消え、花の良い香りで溢れた。それを一口飲んで、また続ける。

「蘇ってきた匂いや熱さ、感情を自分の中に留めるんじゃなくて、外に向かって解放するんだよ。人に話すのは有効的だね。そうしていくことで、段々と受け入れられるようになってくる」
「そういうもんなのか」
「そうして最後に、今までなら排除してきたトラウマを自分の中に取り込んで再統合する。言い方を変えるなら、トラウマになった経験を自分の過去の物語にしてしまうこと、かな」

一時的に逃げるのではなく、目を背けるのでもなく、正面から向き合って形そのものを変えてしまうという意味だろうか。言葉にしてみれば簡単かもしれないが、実行するのは容易ではないだろう。途中で心を壊してしまう人だっているはずだ。自ら命を絶ってしまう人がいたっておかしくはない。

「ティアちゃんは決してセオくんを傷つけなかった。だから彼はティアちゃんの傍を安全な場所だと認識して、信頼できる人だと思って、ゆっくりと時間をかけて「現在に生き続ける過去」を「過ぎ去った過去」に変えられたんだよ。彼女がいなかったら、状況を悪化させてセオくんも人格が分かれてた未来もあったかもなあ。男性より女性の方が圧倒的に多いって言うし、元々の素質としての解離のしやすさとかもあるらしいけど。実はティアちゃんも苦しんでた人だと知ったら、なんとか力になりたいと思うのは当然ではあるのかな」
「それであの態度なのか……」
「ま、極端すぎるけどねー。過去にあれこれあったからって見てて気持ち悪いのに変わりはないし。ロリコンじゃないけどロリコンだし」

けろりと言い放って、残りの紅茶を口に含む。……どうでもいいが、おかしな物を二つも混ぜて味は大丈夫なのだろうか。良い香りはしているものの、ちょっと前まで異臭を漂わせていた物を飲むのは罰ゲームにも等しい気がしてならない。何を入れたのか把握しているから出来るのだろうが、飲めといわれても自分には無理だ。

「つーかアンタ、何でそこまで詳しく……?」

聞き入ってしまっていたため気付くのが遅れたが、明らかに一般人が得られる知識量ではなかった。

「友達のことだもの、調べるくらいはするよ。ぼくが最初に気付いた、っていう責任感もあるのかもしれないけど」

この男に対する見方を変えるべきなのだろうか、とリンデグレンは初めて思った。何も考えていないように見えたけれど、そんなわけはなかったのだ。ただ裏側を隠してお茶らけた言動を取っているだけで、本当は思慮深いのかもしれない。

「わざわざこんな話をしたのは、二人に同情しろってわけじゃない。理解しろってわけでもない。ただ彼らには彼らの背景があって、想いがあって、そうやって生き続けてる。長く生きるっていうのは、人の色々な部分に多く触れるということだ。もしかしたら悪意でまみれているかもしれない。偽りだらけかもしれない。何も信じられないかもしれない。でも自分の中で上手く処理して生きなきゃならないんだよ」

彼が、父親が、長い話をしてまで何を言いたかったのかようやく分かった気がした。どうして魔法使いと関わらせたくなかったのかも。どうして、怒ったのかも。そして、彼は問いかけている。お前にその覚悟があるのかと。……答えは、とうに決まっているのに。

「なあ、くそ親父」
「なあにー?」
「力に目覚めた時、動揺したし混乱した。怖くだってなった。それでも俺はさ、嬉しかったよ。父さんを一人にしないですむ」

人間と魔法使いの生きる時間は、違う。彼はそんな事は承知の上で結婚したのだろう。妻に先立たれても、子供に先立たれても、幸せな思い出を糧に一人で生きる覚悟を持って。強くて悲しくて、馬鹿な人だ。だから置いていったりはしない。一人にはしない。

ブルーノは眉間に皺を寄せたかと思うと、テーブルに顔を伏せた。

「あーあもうっ。ぼくこう見えて二百歳近く生きてるんだからね! ぼくの方が先にぽっくり逝っちゃっても知らないから!」
「いいよ、それで。親は子供より先に死ぬもんなんだろ?」

あっさりと言い返してみせれば、「……ありがとう」と小さな小さな呟きが聞こえた。遠くで母親も柔らかく微笑んでいて、つられて口元が緩む。――ああ自分は、この人達の子供でよかった。

「……ぼくについて聞きたいこととかあるなら、今なら答えてあげる。二人のことぺらぺら喋っちゃったのにぼくだけ黙ってるのもあれだしね」
「んとじゃあ……父さんって最初から力持ってたのか? それとも後から?」
「後からだよ。ぼくが目覚めたのは、十六の時だったかな。あ、いや、十五かもー。まあどっちでもいいとして」

伏せていた顔を上げ、いつもの調子で喋り出す。

「どこから話せばいいのかな。ぼくは王族と縁の繋がりが深かった公爵家の五男として生を受けて、でも特に秀でたものもなかったから期待もされずほぼ放置でね。これ幸いと遊び歩いてたんだけど」
「……待て、もう一回」
「これ幸いと遊び歩いてたんだけど?」
「わざとやってんだろ! アンタ大貴族じゃねーか!!」
「え、そうだよー? おかしいねー、リンくんを高い高いしながらちゃんと話したはずだけど」
「全く話す気なかっただろそれ……」

家も立派な建て構えで、侍女もいて、自分の家が裕福な方なのは知っていた。だがそれはあくまで、父親が国家魔法師だからなのだと思っていたのだ。元々金持ちだったのがここに来て発覚したが、正直スケールが大きすぎる。

「母さんは知ってるのか?」
「そりゃもちろん。娘さんをください! って挨拶にいった時すごかったんだよー。ずっと恐縮してたんだけど、その台詞言った瞬間「お前のような奴に娘はやれん!!」って怒鳴られたの。で隣にいたお義母さんは「よく言った!」って顔したかと思うと間髪いれずに真っ青になって土下座してきたんだよね。許してもらえるまで毎日通ったっけなー」

という事は彼は、権力を振りかざしたりはしなかったのだろう。祖父母も、権力関係なしに娘の幸せだけを願った。玉の輿万歳! と娘を売り渡していてもおかしくない場面にも関わらず。……まあこんな男にそうそう大切な娘を渡せないよな、と血の繋がった息子ながらに思う。うさんくさすぎる。

「やだなリンくん、失礼なこと考えてないー?」
「いや、別に」
「ならいいけどー。で、ぼくは目覚めるまでは自由気ままな生活してたんだよね。上に姉二人、兄四人、下に妹一人、弟二人いたけど、仲が良いのは妹だけだったな」
「姉二人兄四人、アンタ、で……?」
「ああ公爵が浮気三昧でねえ。大体みんな腹違いだよ」

次元が異なる話だった。金持ちの考える事はさっぱり分からない。

「ある日、妹が飼ってた鳥が怪我をしてね。心配そうに大泣きするもんだから、ちょっと見てみるかと思ったの。でふれた瞬間、ぼくは目覚めた。文様の位置はひみつ」
「人によって違うのか」
「うん。そっからが困ったなー。ぼくに興味なかった父親がころっと手のひら返して媚売ってくるし、立場が低かった母親はなんか鼻を高くするし、王はぼくを近くに置きたがるし。でも一番きつかったのは、妹が化け物を見るような目を向けてくるようになったことかな」

妹のためにしようとした事でその本人から避けられたのでは、たまったものではなかっただろう。絶望だってしただろう。自分の中で上手く処理しなきゃならない、とはそういう意味なのだ。いつまでも引きずっていたのでは、とてもではないがまともには生きられない。

「国家魔法師の中にも、そういう奴は他にもいる。最初から頭いかれてる奴もけっこーいるけどね。ま、基本的には近付かない方が無難だよ」
「分かった」
「きみの当面の目標は、力の在り方を知って制御できるようになることかな。ぼくは息子だからって甘くしたりはしないんだからねー」
「え?」
「適当な奴がいたらまた考えるけど、とりあえずはぼくの弟子として面倒を見るよ。落ち着いたら皆でティアちゃんとセオくんにも会いに行こう」
「ああ。改めて、謝罪もしないと」

一応謝ったが、おざなりすぎると咎められても仕方ないものだった。人の良さそうな少女はしないだろうが、かといってこのままでは自分が納得いかない。ブルーノはやや意外そうな顔で「きみって真面目だねえ」としみじみ呟いた。

「込み入ったお話は終わったかしらー?」
「うん、終わったよ。アイリおいでー、ひとりで退屈だったでしょ?」
「いいえ、楽しかったわよー。なんだか父と息子の真剣な語り合いって感じだったもの。ねえ?」

愛おしげに大きなお腹を撫でながら、もうすぐ生まれてくる娘に話しかける。その光景を見たブルーノとリンデグレンは顔を見合わせて笑った。

ああきっと、何があっても自分は大丈夫だ。だってこんなにも素敵な家族に囲まれているのだから。どうか少女も幸福であればいいと、心から願った。