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緋色の魔女
月の花が咲く優しい夜に

「せおっセオ!」
「おはようございます、お師匠さま。朝食はもうすぐ出来ますよ」
「あ、おはようございます!」

自分がまだ挨拶もしていなかった事に気付いたエイレンティアは、びしっと姿勢を正し、彼に返事をする。セオドリークは朝食を用意していた手を止めて、微笑ましそうに眺めていた。

「私に何か御用でしょうか、お師匠さま」
「え? あ、そうですそうなのです!」

ああ肝心の用件が頭から飛んでいたんですね、と見抜いたセオドリークは頬を緩める。彼女の容姿が可愛いのは勿論だが、こうした言動の一つ一つが愛らしさを増しているのである。――年齢的に言えば、セオドリークの倍近く生きているわけだが。

「あ、あのですねっ一週間後にルナディアの花が咲くのです! だからあの……」
「もうそんな時期なのですね。ではサンドイッチでも作って、昼から行きましょうか。咲くところ、見たいですもんね」
「はいっ!」

嬉しそうに顔を輝かせる彼女を見ると心が癒され、自然と笑みが浮かぶ。彼女の外見も中身もどうして子供のままなのかは、大体の予想がついている。今はまだ、それを口にする気にはなれないけれど。

「楽しみですね、お師匠さま」

だからごまかし続ける。この箱庭が長く続くようにと。

◇◇◇

「わあ、今日はいいお天気ですよ、セオ!」
「ええ、本当に。ですがお師匠さま、走ると危ないですよ」
「だ、だいじょうぶですっわたしそこまでドジじゃないです!」

そうは言いつつも、彼女の足取りは危なっかしい。そのため、何かあった時はすぐ対処出来るようにとセオドリークは目を光らせた。すぐ傍に崖があるのだから、落ちたりしたら洒落にならない。もう一人の彼女ならどうにかするだろうが、基本人格である普段の彼女に同じ事を望むのは難しいだろう。そういったところもまた、彼女の魅力の一つではあるのだが。

「セオはだいじょうぶですか? 荷物、重くないです?」

こういったところもまた、愛しいと思う。転移魔法を使わず家から歩いて来たため、彼女にしてみれば心配でたまらないのだろう。セオドリークの体力は人並み以上にあると彼女も頭では理解しているだろうが、だからといって気遣いは忘れないのが実に彼女らしい。

「平気ですよ、お気遣い有難うございます」
「い、いえっこちらこそありがとうなのです!」

元々は貴族の出だというのに――そしてセオドリークは平民だというのに――感謝の言葉も惜しまない。そういった意味でも、出会ったのが彼女でよかったとセオドリークは心から思っている。それがどこまで彼女に伝わっているのかを考えると、頭が痛くなってくる問題ではあるけれど。

「さあ、着きましたよ。お師匠さま」

「魔女の森」の更に奥地、一年に一度だけ訪れる特別な場所。去年の記憶と何も変わらず存在するそこでは、数多くの蕾が咲く時を待っている。

「わあ、蕾がいっぱいですっ。全部咲いたらとっても綺麗でしょうね!」

ええ綺麗でしょうね、あなたが。その言葉は胸にしまって、「そうですね」と同意する。

花の名は、ルナディア。初代王妃がこよなく愛したとされるその花は、一年に一度、赤い月と青い月が一つに交わり白い満月となる日にだけ咲く特殊なものである。加えて月の光が強く当たる場所でしか咲かないため、多くの建物が立ち並ぶ今となっては滅多に見る機会のない稀少な花だ。エイレンティアの好きな花でもある。

「昔はここ、魔物がいっぱいだったですけど……今はセオのおかげで安心ですっ」
「それはよかったです。結界を張った甲斐がありますね」
「はいっ。ってああっこういうとこがダメなのですよね……!」
「駄目……とは、どうしてでしょう、お師匠さま」

彼女の考えなど全て分かった上で、セオドリークは敢えて問いかける。彼女の口から聞かなければ意味がないと思っているからだ。案の定、彼女は言いにくそうに口篭もる。

「うう……こうやってセオを頼りにしてしまうからいけないのです。わたしはいい加減弟子離れをしなくてはです」

彼女に信頼してもらえるように自分から望んで作り出した状況とはいえ、せめてもう少しくらいは想いが通じてもいいんじゃないだろうかと、セオドリークは苦笑いを浮かべそうになる。すれば彼女は悪い意味に取るだろうから、表情に滲ませたりはしないけれども。

「弟子は師の役に立ってこそ、ですよ。ベランジェ様のところの……ロストア様でしたか、も嫌がってるように見えましたか?」

いつか街中で偶然見かけた、国家魔法師の一人とその弟子の名を出す。

「え、えっと……楽しそうにしてたような気が、します?」
「でしょう? 弟子の役目を奪っては駄目ですよ、お師匠さま」
「で、でも……」

セオドリークはランチボックスを丁寧に置くと片膝をつき、エイレンティアの毛先を指に絡めてくるくると回し始める。

「俺がティアに拾われた頃、俺は貴方のために何も出来なかった。あの頃の俺には何もなかったし、どうしようもないガキだったから。だから今、貴方に恩返し出来るのが私は本当に嬉しいのですよ」

始めこそわざと昔の口調にしていたが、途中から自然と戻ってしまっているのに気付き、最後に慌てて軌道修正する。彼女が持っている負い目を失くしてもらうためにこうして模索を繰り返している事など、彼女は知りもしないだろう。

「わ、わたしもっ」
「はい、なんでしょう」
「わたしも、セオに恩返しをするのです! だからセオっなんでも遠慮せずに言ってくれていいのですよっ」

ああだからどうしてそういう発想になるんでしょうね、とそっと思いつつも、しかしこれが彼女の優しさなのだと考えれば嬉しくもあった。そんな彼女だからこそ、これから先を彼女と共に生きたいと願ったのだから。

「そうですね……では私が作ったサンドイッチを食べてくださいますか、お師匠さま」
「もちろんですっ。……え、あれ?」
「有難うございます、では準備しますね」
「ち、ちがうのですっそういうことじゃないのです! それじゃわたしが得するだけなのですよ!」

慌てるエイレンティアに笑顔を返しながら、セオドリークはせっせと準備と整える。終えると、蓋を開けたランチボックスを彼女に差し出した。

「お師匠さまのために作ったものですから、お師匠さまに食べて頂いて、そして美味しいと言って頂ければそれが私の何よりの幸福なんですよ」

ですからどうぞ、と薦めれば、彼女はまだ納得がいってなさそうな顔をしながらも、ゆっくりとシートの上に腰を下ろす。

「むうう、セオはわたしに甘すぎる気がするのです……」
「それはそうですよ、好意を持つ相手には甘くしたくなるものですから」
「そうなのです? 男は好きな子いじめたくなるものだって、いつかルノが言ってた覚えがあるのですよ」

さらりと告白したセオドリークだったが、しかし相手はエイレンティア、これまたあっさりと流されてしまう。更には別の男の名前を出すのだから、流石のセオドリークも眉間に皺を寄せそうになった。彼女に悪気は一切ないのだと、分かってはいるのだけれど。

「性格にもよると思いますよ、お師匠さま。少なくとも私は、好きな相手には優しくしたいですしね」

同時に、滅茶苦茶にしたくもなりますが。本心は必死に抑え、しかしあの方はろくな事を喋りませんね、とエイレンティアの旧友の魔法使いを思い出して心の中で悪態つく。彼の心境など知りもしないエイレンティアは、右手を口元にあてて何かを考え込んでいるようだった。

「うううん……それは家族に対するものとは違うのでしょうか? むずかしいのです……」

環境を考えれば仕方がないとはいえ、どうにもこうにも彼女には恋愛感情というものが致命的に欠けてしまっている気がしてならない。だからこそ、こんな風に長期戦になってしまったわけだが。

「ずっと傍にいたくて、いてほしくて、自分だけを見てほしい。他の誰の目にも映ってほしくない――――……恋心とはそういうものですよ、エイレンティアさま」

彼女を想って話していたらつい本音が漏れてしまったが、込められている危うさには彼女は気付かないだろう。……それはそれで複雑ではあるが。

「わたしもいつか……知る日がくるのでしょうか?」
「ええ、必ず」

世界に闇が落ちる。やがて白銀の月明かりが満ち、周囲を照らす。人々にひと時の希望を与えるかのように、愛を告げるかのように、緩やかに浸透していく。

ある作家は、物語でこう記した。「まるで女神が降りてくるかのような神々しい光景だ」と。

光をたっぷりと浴びて、蕾は花開いていく。ルナディアの花は見た目も美しいが、真に人目を惹くのは咲くその瞬間であった。そのため、エイレンティアもセオドリークも無言で見つめ続ける。

そうして、世界は純白で染められた。

「わあ……!」

無意識のうちに、エイレンティアから感嘆の声があがる。

「みてくださいっセオ! とっても綺麗なのですよ!」
「ええ、見事ですね」
「摘んじゃうのはもったいないのですけど……でも立派な薬にしてみせますっ」

ルナディアの花は観賞用としての人気も高いが、貴重な薬の材料としても価値を持っていた。調合が難しいため、薬を作れる者は国家魔法師の中でも更に限られているが。

「わたしはこっちを摘みますから、セオはそちらを任せてもいいです?」
「ええ、勿論ですよ」

セオドリークが頷いてくれたのを確認して、エイレンティアは花に手を伸ばす。魔法を使えば一発ではあるのだが、二人はそれはしない。来年用に残す他の花に出来うる限り影響が出ないようにするためだ。とはいえ、元々二人とも日常生活では滅多に魔法を使用しないのだけれど。

「うんっ、このくらいでいいでしょうか。セオもお疲れさまなのですよ」
「有難うございます。お師匠さまもお疲れ様でした。大丈夫ですか、疲れてはいませんか?」
「平気ですよっ。えへへ」
「お師匠さま?」

エイレンティアがにこにこと嬉しそうにしているため、セオドリークは不思議そうに聞き返す。どこかいつもとは様子が異なっていたからだ。

「この日が来ると、セオとまた一緒に見れたって、とってもあったかい気持ちになれるのです。わたしはすごく幸せ者なのですっ」

あまりにも自然に、本当に幸せそうに言うものだから、セオドリークも面食らった後、思わず顔を赤くする。……ほんと、お師匠さまは魔性の女ですよね。

「無自覚とは恐ろしいものです」
「う?」
「いえ、何でもありません。お師匠さま、こちらを向いてください」

なんでしょう? と首を向けたエイレンティアの髪に一輪の花を刺す。こちらに寄ってくるルハトの淡い光が彼女を照らし、純白の花が漆黒の髪にいっそう映えた。

「ああ、思った通りです。よくお似合いですよ、エイレンティアさま」

花に自身の想いを託して、嘘偽りない賛辞を述べる。きっと彼女は、気付かないだろうけれど。

「ありがとうです、セオ!」
「いえいえ。来年もまた見に来ましょうね」
「はいっ」

セオドリークが贈った花はその後プリザーブドフラワーに加工され、エイレンティアの部屋に飾られる事になる。

――――ルナディアの花言葉は「貴方を愛してます」

彼の想いが彼女に届くのは、いつの日か。