Design:
緋色の魔女
来客告げる雨音、きみを待つ

「んしょ、んしょっ」

今日はパンでも焼こうと、エイレンティアは踏み台に乗りながら一生懸命に生地をこねる。ミルの実を沢山いれたパンは、小さい頃のセオドリークの好物の一つだった。だからきっと喜んでくれるはず――そう考えると自然と口元が緩んで、「えへへー」と笑みが零れ落ちてしまう。

セオドリークは「貴方からは数え切れないほどのものを頂きましたよ」と言うが、それはエイレンティアもまたそうだった。誰かのために何かをするのはこんなにも楽しくて心地よいのだと、そう教えてくれたのは彼だからだ。たいせつな、たいせつな家族。叶うなら、どうかこのまま――――……

「……う?」

外からする音に気付き、手を止めて窓を見る。音の正体を確かめると、慌てて外に出た。

「せおっせおっ雨なのですっ! お洗濯物が濡れちゃうのです〜〜っ」

せっかく干したのにー! と涙目になりがらも急いで洗濯物を取り込む。そのうちに、ローズガーデンの方にいたセオドリークも駆けつけた。

「うー間に合わなかったのです」

取り込んでいる最中にも雨は激しさを増し、洗濯物はおろかエイレンティアもろともびしょ濡れだ。

「大丈夫です、また洗えば済む事ですよ。それよりもお師匠さま、寒くはありませんか?」
「だ、だいじょぶで……う、くしゅんっ」

堪えきれずに、エイレンティアから小さなくしゃみが漏れる。魔法をかけてあるローブを着ていれば話は違ったものの、エプロンをつける際に脱いでそのままだったのである。そのためワンピースにまで雨が染み込んでしまい、肌寒さが彼女を襲った。

そんなエイレンティアを見たセオドリークは、何かを考え込む仕草を見せた後、そっと彼女を自分の方に引き寄せた。

「ふに?」

愛しい宝物を手にするかのように、ゆっくりとやさしく背を撫でる。その度、エイレンティアの体がぽかぽかと温まっていく。ああ魔法を使ってくれているのだと、エイレンティアは安心して自身の体を預けた。彼にしてみれば、なんともいえない心境だったのだが。

――――博愛ではなく慕情だと知ったら、彼女はどうするのだろうか。セオドリークの頭に掠め、つい抱きしめる手に力が入る。ずっとこのままこうしていられたらいいのに。
しかし時というものは残酷なもので、彼の願いは届かない。

「せお?」

セオドリークの雰囲気が急に強張ったため、エイレンティアは不思議そうに彼の名を呼ぶ。

「……誰か、来ましたね」
「え? ど、どなたでしょうか。国の方でしょうか。なにかあったのかもっ」
「いえこの魔力反応は……イーズデイル様でしょうね」
「わあ、ルノですか!? 最近会ってなかったのです、うれしいです!」

ぱあっと顔を輝かせるエイレンティアを、セオドリークは複雑そうに見つめる。二人の時間を壊された事も勿論だが、これから訪れるだろう人物にも大いに問題があったからだ。

「わっわっ、あぶなっ」

ばっさばっさ、がっしゃん、どーんっ。

何か気になる音を混ぜながら、強烈な地響きが二人の家を揺らす。ああ来てしまった……と頭痛がするのを感じながらも、エイレンティアの手を引いて外に出ると、そこにいたのはやはりセオドリークの予想通りの人物だった。

「やー、ひっさしぶり! 元気してたー?」

木々が倒れまくっている現状をなかった事にして、にっこにこと楽しそうに手を振る男性は、ブルーノ・ルーン・イーズデイル。隣国エストレーラ国の筆頭魔法師であり、エイレンティアの旧友だ。

「お久しぶりなのです、ルノ!」
「ご無沙汰しております、イーズデイル様」

にこやかに笑い返しながら――セオドリークの笑みは冷え冷えとしていたが――彼との距離を縮めていく。

「カシェくんもお久しぶりなのです! お元気そうでよかったです」

エイレンティアに大人しく撫でられているのは、ブルーノの使い魔であり愛竜でもあるカシェ。巨大な白竜は、先程の地響きの正体でもあった。転移魔法を使おうにも遠すぎ、普通に来るにも遠すぎ、という事で、ブルーノはこうして白竜に乗って現れるのである。そのため、彼の着地用にきちんと平地を用意してあるのだが、どうにも着地が下手なのか毎回毎回違う場所に現れるのはもはやお約束だった。

「やー途中から雨ざーざーで焦ったよ。ってあれ、二人とも濡れてないねえ?」
「セオが魔法使ってくれてるのですよ。ルノはだいじょぶです? タオル持ってきましょうか?」
「んーん、ぼくはへいきー。濡れたのはこの子」

そう言いながら、ブルーノはぱちんと指を鳴らす。すると、ぽんっと音を立ててカシェが手のひらサイズに変わる。魔法具でもある首元に巻かれたリボンとつぶらな瞳も相まって、まるでぬいぐるみが動いてるかのような可愛らしさだ。

「このサイズなら守護魔法かけられるから問題なしーだよー。おっきい時にかけても維持できるだけの魔力はぼくにはないからねえ。そこの優秀なお弟子さんとちがって」
「お褒め頂き、有難うございます」
「どういたしましてー」

互いに笑顔であるにも関わらず二人の間にはどことなく不穏な空気が流れるが、恒例のやり取りなためエイレンティアは気に留めない。以前は気にしていたものの、ブルーノに「男同士のじゃれ合いみたいなもんだよー。へいきへいき」と彼独特の気の抜けた口調で言われたからである。

「さ、挨拶もすんだしー。家の中いれて?」
「はいです!」
「……それはいいですが、何故お師匠さまの手を取るんです?」
「だってきみと並ぶのやなんだもんー。なんだよーちょーっと身長あるからってー」

エイレンティアの左にはセオドリーク、右にはブルーノ。男性としてはブルーノが低めなのもあるが、長身のセオドリークとは随分と身長差が生まれてしまうために隣に並ぼうとはしなかった。とはいえセオドリークが言いたかったのは「手繋ぐな」だったわけだが、話をすり換えられてしまったために渋々妥協する。エイレンティアの前であまり突っ込んでは、不仲だと思われてしまうからだ。どれほど不本意でも、それだけは避けなければならなかった。

ふわふわした青い髪を一つに結び、引きずってしまうほどに長い黒いローブと同色の帽子。顔立ちは平凡を抜けきらないが、右に紫左に黄のオッドアイが人目を惹く。加えイーズデイルとは王族に連なる者のファミリーネームであるためにかつては相当の地位にいたのだろうが、セオドリークにはどうでもいい事である。もっとも重要なのは、彼が「エイレンティア」の唯一の友達だという事実だけだ。

「おーほんと丁寧に片付けられてるねえ。ティアちゃんひとりの時はひっどい有様だったものだけど」

家の中に足を踏み入れたブルーノは、カシェを肩に乗せながら興味深そうにきょろきょろと辺りを見渡す。

「うう……わ、忘れてくださいです」
「へーきへーき。欠点のひとつやふたつ、飛んで二十くらいあっても魅力的な人は魅力的なもんだよ。欠点がない完璧超人の方がなんか嘘くさいじゃないー?」

ねえ? と可愛らしく首を傾げながら彼は尋ねる。だが実際はエイレンティアではなくセオドリークに向けた言葉であった事にセオドリークだけは気付いていた。そんな事は知りもしないエイレンティアは「そういうものです?」と聞き返していたけれど。

「あっ、パン! パンそのままにしてきちゃったのです〜〜っ」

エイレンティアは二人の手を離し、ばたばたと奥の方へ消えていく。残された二人は、彼女を微笑ましそうに見守っていた。

「いやあかわいいねえ。癒しだねえ。こういうの下町では萌えーっていうんだっけ? 萌え萌えびーむ?」
「お師匠さまを不純な目で見るのはやめて頂けますか」
「よくいうよ、きみが一番不純なくせにー。あ、欠点ないってことはなかったか。きみのそれ、有り余る長所を打ち消しちゃってるもんねえ」

こまったもんだねえ、と彼はけらけらと笑う。エイレンティアが見ていないなら構わないと、セオドリークは盛大に眉を顰めた。

「ねね、ティアちゃんが気付かない程度にさりげなーくなにげなーくひんやりした魔力ぶつけてくるのやめないー?」
「ではその言動をどうにかしてください」
「えーこれはぼくの個性だよー? 個性は大事なんだよー? じゃないと埋もれちゃうんだよー? 大体きみさー、結界超えるときにぼくが解除できるぎっりぎりのトラップしかけてくるのやめなよねー。凡人には地味にすんごく大変なんだよ?」
「そうですか、それはよかったです」

にっこり。

それはもう綺麗な笑みを浮かべるセオドリークだったが、目は全く笑っていない。「さっさと帰れ」というオーラが全身から溢れていた。残念ながら、これくらいで揺らぐブルーノではないが。

「セオくん、男の嫉妬は見苦しいよぉ。ティアちゃんが泣いちゃうよ?」
「あの方は貴方を大切なご友人と思われてますからね。ですから私も譲歩してるじゃないですか」
「そうなんだろうけどさぁ、きみの愛って重ーい。ついでに気持ちわるーい。きみがそんなんだから、あの子が悩むんじゃないのー」
「それはどういう――――……」
「セオっもしかして生地に魔法かけてくれてましたかっ」

会話の途中でエイレンティアが現れ、セオドリークは態度を一変させる。

「ええ。発酵してはいけないと思いまして」
「ありがとうですっ!」
「いえいえ、弟子として当然の事ですよ」

ブルーノが隣にいる事などすっかり忘れてしまったかのように、彼の視界にはエイレンティアしか映っていない。というよりも実際、本気でエイレンティア以外はどうでもいいのだろう。世界の全てを彼女に向けている彼の眼差しはどこまでも甘く、見慣れているはずのブルーノすら胸焼けしそうだった。――これで親愛だと思い込んでるんだから、ティアちゃんも大物だよねえ。

「ティアちゃんパン作ってたんだねえ。出来上がる頃に来ればよかったかな」
「いまから作りましょうか?」
「せっかく会えたティアちゃんと話したいし、また今度でいーよぉ。そうだこれ、ぼくの奥さんからー」

ブルーノは持っていた手提げ袋を手渡す。ピンクの花柄はとても可愛らしく、彼の妻の好みが窺えた。

「わあ、アイリスさんからですかっ。うれしいです、ありがとうです!」

アイリス・イーズデイル。ブルーノの最愛の妻の名だ。

「アイリスさんにお礼言っておいてくださいです。でもできれば直接伝えたいのですけど……」
「ティアちゃんだけならぼくも喜んで会わせるんだけどねえ。けどセオくんがねー。もちろんアイリがぼく以外の男に靡くわけはないけど、でもあんな素敵な女性を世の中の男がほっとくわけもないじゃないー?」
「ルノはやきもち焼きです?」
「だってぼくアイリ大好きだもんー。あ、もちろんリンくんもすきだよ。ぼくとアイリの子供だしね。反抗期なのか、おとうさーんって呼んでくれなくなっちゃったけど。子供の成長ってはやいよね、ぼくからしたらちょっとの時間なのに」

最後の台詞に少しの哀愁が紛れていたのを、エイレンティアは聞き逃さなかった。魔法使いであり長命なのはブルーノだけなため、彼は家族とは違う時間を歩んでいるのだ。それもあってか普段ブルーノはほとんどの時間を家族と過ごし、エイレンティアとも手紙のやり取りが主になっている。そのため、彼の家族と直接会った事はなかった。彼が家族を心から愛しているのは手紙の文面からも充分滲み出ていたけれど。

心のどこかで、彼がうらやましいとも思う。それはきっと、エイレンティアが抱いた事もない感情だからだ。

「……では、私が紅茶を淹れましょう。イーズデイル様、ミルクティーでよろしいですか?」
「アイリのクッキーに合うならなんでもいーよー。美味しいの期待してるね」
「了解しました。お師匠さま、いきましょう?」
「え? あ、はいです」

再びエイレンティアの手を取り、キッチンへと向かうセオドリーク。彼らを、ブルーノは何かを言いたげにじっと見つめていた。