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緋色の魔女
来客告げる雨音、きみを待つ(2)

「んー、いいねえ。愛しい妻が作ったクッキーに美味しい紅茶、傍らには可愛い女の子。たのしいねー」
「はい、わたしも楽しいです!」

のほほんと、周囲に花を撒き散らしながら会話をするエイレンティアとブルーノ。一方、それぞれの使い魔はテーブルの隅で仲良くじゃれあっている。純白の鳥と純白の竜が一緒に遊んでいる光景は、そうそう見られるものではないだろう。 セオドリークとしては受け入れ難いものの、二人の気が合うのは確かだった。でなければ何十年も「友達」なんてやっていられないのだろうが。

「セオ、クッキー食べました? とっても美味しいのですよっ」
「あ、いえ。頂きます」

「どうぞどうぞー」と勧めるブルーノの声を聞きながら、クッキーの山に手を伸ばす。エイレンティアに合わせたのか彼の妻が元々そういった趣味なのか、うさぎやくまなど可愛らしい形をしている。特にこだわらず適当に一枚取り、口に運んだ。さくさくと、軽快な音が響く。

絶妙な焼き加減、甘さのバランス、見た目……一般人にしては上手い方なのだろう。だが、それだけだった。彼の心を揺さぶるのは、エイレンティアが作るものだけだ。丸焦げになっていたとしても、迷わず彼女のものを選ぶ自信がある。

「か、体痛くないですか? 寒くないですか? あ、スープ作ったのですっ。たべませんかっ」

彼女が自分を助けてくれた、あの日から――――……

「ええ、美味しいですね」
「ですよねっ。どうやって作るんでしょう? レズーレの味がする気がするのですけど」
「ああ、リンがレズーレ嫌いでねえ。あのふにょっとした食感と黒い見た目が嫌らしくってさー。なんとか食べさせようと工夫したみたいだね。今度レシピ聞いておこっかー」
「ぜひお願いしますっ。そうしたらセオに作りますね!」
「はい、心待ちにしております」

先程とは異なり、すんなりと言葉が出て行く。嘘偽りない心からのものだと分かったからか、エイレンティアは益々笑みを深くした。つられて、セオドリークもそっと微笑む。

親愛と恋情。どこまでいっても交わらないそれぞれの想いに、いつかは決着がつくのだろうか。その時、彼女はどうするのだろうか。二人を見て色々と思案しながら、ブルーノは紅茶を飲み込む。クッキーと合うように、と注文をつけたからか甘さは控えめで、城で出しても問題はないだろうほど完璧に淹れられていた。いっそ嫌味なまでに。

「でもルノ、アイリスさんよかったのです?」
「うん?」
「お腹、大きくなってる時期ですよね。会いに来てくれるのはうれしいのですけど、よかったのかなって」
「うんだいじょぶー。リンに任せてきたから」

外見年齢十九歳、実年齢三桁のブルーノには、十五歳になる子供がいる。彼がリンと呼ぶ少年、リンデグレン・イーズデイルだ。そしてもう一人、彼の妻のお腹には新しい命が宿っていた。

「それに実は、ティアちゃんに会いに来たのはアイリス絡みでもあるんだよー」
「ど、どうかしたのです? わたしに出来ることならなんでも言ってくださいです!」
「ありがとー。あのね、つわりがひどいみたいでねえ。軽減する薬、ティアちゃんなら持ってるんじゃないかなって」
「あ、はい。この前作ったのです! でも言ってくれたら送ったのに……」
「ティアちゃんに会いたかったのも本当だからね。元気そうでよかったよ。セオくんも」

優しい台詞だったが、どことなく含みがあるのをセオドリークだけは感じ取っていた。

「じゃあわたしは薬探してきますねっ。ちょっと待っててくださいです!」
「うん、ゆっくりでいーよぉ」

にこにこと手を振るブルーノに答えながら、エイレンティアは自身の部屋へと姿を消す。

「……さって、どのくらいかかるかなあ」
「三十分、といったところでしょうね」
「ええー? あの子ほんと整理整頓にがてだよねー。かわいいからいいけど」
「わざとらしいですよ。大体、薬など必要ないでしょう。――――救済の魔法使い」

声をワントーン落として彼の呼び名を口にすると、ブルーノが纏う雰囲気が目に見えて変わる。ほのぼのとした空気からは一転し、張り詰めた空気が二人の間に流れた。

「きみと二人になるための口実に使ったのは確かだけど、別にうそじゃないよー? 片時も離れずアイリの傍にいられるならいいけど現実はそうじゃないからね」
「ご自分で作られたらどうです。貴方にも知識はあるでしょう」
「女の子が作ったほうが効く気がするじゃないー? それにぼく集中力ないからさぁ、細かい作業苦手なんだよねえ」

彼は別段おかしな事を言っているわけではない。だがしかし、どこまでも薄っぺらかった。国家魔法師など大抵は性格が捻じ曲がっているものだが、彼もまた例外ではないのである。

「しっかしさー、きみってほんとティアちゃん大好きだよねえ。きみのようなひと、巷ではなんて言うかご存知ー? ”ろりこん”って言うらしーよぉ。やだねえ、こわいねえ、我が子を近づけられないよねー」
「私が惹かれるのはあの方のみです。そういった趣味の方と一緒にしないで下さい」
「ま、そうなんだろうけどねえ。でもきみがそういう態度とるから、「セオには別の人生があったはずなのに」ってあの子が思い悩むんだよ」
「……やはり、あの方に余計な事を吹き込んだのは貴方でしたか」

近頃、エイレンティアがセオドリークをやたらと気遣う――というよりも距離を置いていたのを不可解に思っていたのだ。以前からあったとはいえ、ここまで露骨ではなかった。大方、ブルーノが「じゃあティアちゃんがしっかりしなきゃねー」だとか言ったのだろう。素直な彼女が実行した結果がああだったわけだ。

「余計なこと、ってのはひどいなあー。ぼくはただ思ったままを手紙に書いただけで、実際に行動したのはティアちゃんだよ?」
「何が思ったまま、ですか。何故今になってそんな事をしたんです」

そう、今更だ。ずっと適度な距離を保って干渉してこなかったというのに、一体どんな心境の変化だというのか。

「……生まれてくる子がね、女の子だってわかったんだよ」

彼は意味深に呟いた後、ティーカップを置く。中身は既に空だ。

「それで色々考えた。ティアちゃんが自分の娘だったらどうかな、って。大事に大事にしたいけど、でも鳥かごにいれるのは違うなって思ったんだよ」
「それは、受け入れるだけの強さがある場合です」
「うん、そうだね。でも少なくともあの子はこのままじゃだめだと思ってる。現状を変えたいと願ってる。手を貸してあげるのも、愛情じゃないの?」

セオドリークは何も言えなかった。貴方に何が分かるんですか、と苛立ちが胸に湧いたけれど、その言葉に意味がないのを知っているからだ。認めたくはないが、彼の方が彼女との付き合いが長いのだから。

だからといって、ブルーノがエイレンティアを妹程度にしか想っていないのはセオドリークもよく分かっている。けれど悔しいのはどうしようもない。そしてブルーノは彼の気持ちを見抜いた上でエイレンティアにくっついたりこんな発言を繰り出したりするのだから、腹立たしいことこの上ない。皆で仲良くしたいという彼女の気持ちを尊重して、「ブルーノがセオドリークを嫌わないでいられる範囲」でしか言い返せないのも何もかも把握しているのだ、この人物は。

「……ま、ぼくもきみのこと説教なんて出来ないんだけどさー。家族をティアちゃんに会わせない本当の理由、言えないままだし」
「本当の理由、ですか」
「リン――リンデグレンなんだけど、あの子たぶん、ぼくに似ちゃってる気がするんだよねえ」
「それは……魔法使いの素質があるかもしれない、と?」
「うん、そう」

そう答えた彼は、苦い顔をしていた。息子に自分と同じ道を歩ませたくないと思っているのは一目瞭然だ。

「きっと、きみ達に出会ったら開花してしまう。でもぼくは、普通に生きて欲しいと願ってる。……まっさかティアちゃんには言えないでしょうよ、あの子たちはきみの魔力引き出しちゃったの後悔してるんだから」

魔力発動のタイミングは人それぞれであり、生まれた瞬間から発動するタイプもいれば、十八歳までに何かきっかけがあって発動するタイプもいる。エイレンティアは前者、セオドリーク、ブルーノは後者である。逆に言えば、きっかけさえなければ何も知らない一般人として生きられるという事だ。

「きみを紹介されたときは驚いたねえ。あの子は一生弟子を取らないものだと思っていたから。まあ、それだけ責任を感じていたのかもしれないけど」
「あの方は真面目な方ですからね」
「そーだねえ。だからあの子は自分の力を呪ってる。それを後世に残すような真似はしない。その中、きみがあの子の魔法のほとんどを受け継がなかったのはきっと救いだったんだろうと思うよ。使えなかったのか、使おうとしなかったのかはこの際置いといて」
「戦争の道具になるから、ですか」

ブルーノは黙ったままだった。だが、肯定なのは明らかだった。

「ひどいものだったよ。ぼくですら、今でも時々夢に見るもの」

百年前にセレディナ国とエストレーラ国との間で戦争が起きた際、既に名のある魔法使いだったブルーノも戦場に放り込まれた。結果、エイレンティアとブルーノの不思議な縁を作ったわけだが、初めて緋色の魔女を見た時の事は決して忘れないと彼は言う。

「ぼくはきみと同じで支援型だからさ、ずっと後ろにいたんだよ。そしたら突然前方が炎に包まれて、人も木も建物も何もかも巻き込んだ。なにごとかと思って遠目の術使ってびっくりしたねえ。ちっちゃな女の子が、ぼっろぼろ泣きながら魔法使ってたんだもの」
「泣きながら……ですか。それは……」
「まだ別の子が生まれる前だったんだろうね。あの性格のまま大勢の命を奪ったんだ、そりゃ泣きたくもなるさ」

彼女の生き様は、ブルーノにとって衝撃的だった。どれほど涙を流しても、ロッドを握る手が震えていても、仲間達の表情が怯えに変わっても、彼女は決して目を背けなかったからだ。そのせいで耐えきれなくなり、もう一人の彼女が生まれてしまったわけだけれど。

「きみがそうなってしまったのも、理解出来ないわけじゃない。だから責めるわけじゃない。でも……いずれあの子が自分の力で乗り越えなきゃならない壁だよ」
「いずれ、でしょう?」
「まあ、ね。いやほんとねえ、きみの気持ちもわからないでもないんだよ。だから余計困るっていうか? ひとりぼっちで死にかけてたところをあーんなかわいくて強い子に助けられて尽くしてもらったらそりゃ惚れるよね。寧ろでっれでれに跡形もなくとけちゃうよねみたいな?」

真剣な空気はがらりと変わり、彼はからかいも込めた口調で話しかける。

「ですからあの方をそういった目で見るのはやめて下さい。そもそも、貴方にだけはロリコンだのなんだのと言われたくありませんよ。奥様が結婚可能な年齢になると即籍入れて孕ませたのはどこのどなたです。一体いくつ歳離れてるんですか」
「えーそれはひっみつだよ。国家秘密だよー?」
「しょうもないですね」
「ほんとにな」

突如加わった予想外の声に、二人揃って目を丸くする。

「……お師匠様?」
「あの子が毒薬の瓶を割りそうになったんでな、強制的に変わった。あの部屋はなんとかならないものか……」

その変化を見抜くのは、久しぶりに会ったブルーノですら容易だった。普段の彼女の声はもっと高いし、丁寧でありながらもどこか子供っぽい話し方をするからだ。それに対処できない事があった場合、彼女なら瞳に涙を溜めているはずである。――ひどく切実そうに深い溜息をつくのは、交代人格の彼女だ。

いつもは結ばれている髪が解かれ、さらさらと背中で流れている。用がなければ出てこようとしないから、言っている内容は間違いなく真実なのだろう。毒薬は隔離するよう助言しておかなければ……とセオドリークはそっと決意した。

「や、ティアちんひさしぶりー。そこまでひどいならきみが掃除しちゃえばいいんじゃない?」
「無理を言うな。知らないうちに物の位置が変わっていたら恐怖でしかないだろうに。ほら、ブルーノ」

ぽいっと彼女が投げた小瓶をブルーノは受け取る。小瓶には、恐らく飲み方が記されているだろう紙が巻きつけてあった。署名が町で使っている「ティア」ではなく「エイレンティア・ルーン・アンブローズ」になっている事から、交代人格の彼女がブルーノのためにわざわざ書いたのだろう。基本人格の彼女が書いている暇などなかっただろうし、筆跡から見てもその推測は外れていない自信がある。やっぱり真面目だよねえ、と再確認しつつもポケットに瓶をしまった。

「じゃあな、私は戻る」
「戻る、って部屋にー?」

踵を返した彼女に、ブルーノが尋ねる。交代にするにしても、ここですればいい話だからだ。

「今あの子は眠っている。起きたらいきなり移動していた、というのは避けたい」
「ああ、なるほどねー。夢遊病かと疑っちゃうかもしれないもんねえ」
「そういう意味でもないんだが……まあいい」

説明するのがめんどくさい、といった風に会話を切り、すたすたと歩き出す。小さくなっていく彼女の背中を見送りながら、角を曲がる直前、ブルーノは不意に言葉を投げかけた。

「きみも、セオくんも。あの子が大切で仕方ないんだね。他に何も求めないほどに」
「……当然だろう。「私」はあの子を守るためだけに生まれたのだから」

消え入りそうな、儚い呟きだった。それでいて、彼女の想いの全てが詰まった一言でもあった。それを聞いたセオドリークは無言で立ち上がり、彼女を追う。

「またね、ティアちん。近いうちにまた会うことになるかもしれないけど」

返事はなかった。自分が会う事はないと、暗にそう言いたかったのかもしれない。

基本人格を最優先する交代人格と、申し訳なさを抱く基本人格と、二人をひたすらに愛する弟子。どうにも複雑な関係に、さてどうしたものかねーとブルーノは苦笑いを浮かべる。彼だって、無遠慮に引っ掻き回したいわけではないのだ。叶うのなら誰もがみな幸福であればいいと、そう望んでだっている。

きっとそれはどうやっても叶わないのだろうと、一人悟ってもいたけれど。

◇◇◇

「じゃ、ぼくは帰るねー。ティアちゃん、次会うときはパン食べさせてね」
「はいです! がんばって焼きますっ」
「セオくんもまったねー?」
「ええ、また」

ブルーノは満足げに笑って、カシェの背に乗る。白竜が一度羽ばたけば巨大な風を起こし、思わず目を瞑ってしまう。再度開けた時には、彼の姿はすっかり遠くなってしまっていた。

「ルノ、いっちゃったですね……」
「はい、そのようですね」

セオドリークにしてみれば清々しいのだが、寂しそうに空を見つめる彼女を前にするとそんな考えも消えていく。彼女の悲しむ顔が見たいわけではないのだ。

「鳥かごに入れるのは違うなって思ったんだよ」

どういう意味なのか、セオドリークも頭の中ではよく理解している。だが、こうなるならその方がよっぽど良いではないか。彼女が傷つかないでいられる世界に二人だけでいたい、それの何が悪いというのだろう。

下唇を噛み、意を決して彼女に話しかける。

「お師匠さま、家の中に入りましょう?」
「あ、はい。雨も強くなってきましたもんね」

心あらずといった様子の彼女は、今何を考えているのだろうか。「出来る限り私を意識せずに生活してほしい」という交代人格の頼みを受け入れ、交代人格でいた時間についてはごまかしたのだが、ひょっとしたら感づいているのかもしれない。幼少の環境から人と接するのが苦手なだけで、彼女は決して頭の回転が遅いわけではないのだ。

「お師匠さま、私はずっと貴方の傍にいますよ」

この雨が止んでも、いつか虹が出ても、その先もずっとずっと。

「……はい」

たとえ、未来がどんなものであったとしても――――。