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虹の小道-01

笑って過ごしても泣いて過ごしても、日は昇ってまた沈む。それならどうせなら、笑って楽しく過ごしたいと思うんだ。

「みんな、おつかれさまー! 今回も大盛況だったね!」
「そりゃそーさ! 泣く子も笑うサーカス団だからな!」

公演を終えた後、控室で仲間たちと成功を語り合う。ありふれた、幾度となく繰り返した光景だったが、団員である少女はこの瞬間が好きだった。少女の名前はマリエッタ。自称、サーカス団ロトレフの「華」である。

「マリィ、お前ミスっただろー? 俺様の華麗なフォローに感謝する事だな」
「それは感謝してるけど頭撫でないでー! もー。ぐっしゃぐしゃじゃん」
「あー? いつもそんなもんだろ」
「ちーがーうーー!」

ただしあくまで「自称」であった。毛先が跳ねまくった短めの赤毛の髪、まんまるのネイビーブルーの瞳、成長しきっていない未成熟の体。どれを取っても華と呼ぶには少女はまだ幼く、彼女がそう言えば笑われるのが常だったのだ。
マリエッタはぐしゃぐしゃにされた髪を手で直しながら、相手の男性を軽く睨む。しかし相手も慣れているのか全く効果がなく、けらけらと笑うだけだった。その調子のまま、今度は違う人間に話しかけている。

「むううう……」

ふてくされてみたところで、何の意味もない。控室にある鏡で髪をチェックしてみるが、一向に直った気がしなかった。これは櫛を使った方がいいのかもしれない。そう思って道具入れを探してみるものの、それらしきものが見つからなかった。

「よっしゃ、飲むぞ飲むぞー!」

そうこうしているうち、帰り支度を終えた団員がぞろぞろと部屋を出て行く。隣の控え室に戻って櫛を借りよう、とマリエッタも続いた。

「あら、マリィ。髪どうしたの」

丁度タイミングが合ったようで、控室から出てきた女性に声をかけられる。

「ぐしゃぐしゃにされたのー。ねえねえ、櫛もってない?」
「櫛? ちょっと待ってね……はい。マリィも年頃の女の子なんだから、それくらい持ち歩きなさいな」
「はあーい。ありがと!」

一つ頷いてからお礼を言うと、蝶の模様が刻まれたおしゃれな櫛を受け取る。なるほど、女性らしさはこういうところで出すのか……と感心しつつも、自分がこういうものを持っている姿は想像出来なかった。

「じゃあ、直すついでにお手洗い行ってくるね」
「なんだマリィ、腹でも壊したか?」

会話が聞こえていたようで、先程とは別の男性に話しかけられる。彼は身長が高すぎるため、マリエッタは必死に見上げた。

「髪整えてくるだけー! ぐっしゃぐっしゃなんだもんさ」
「いつもと同じだろーが」

それがどうした、と言わんばかりのこの態度。どうにもこうにも、乙女心の分からない連中である。マリエッタ自身、おしゃれは自分にはまだ早いなと思ったばかりであったが、しかし他人に言われるのは気に食わないものだ。かといって言われてばかりでもないマリエッタは、切り札を口にする。

「乙女心がわかんない男は嫌われるって、マーシャさんが言ってたよー。ねえ?」

可愛らしく首を傾げながら、隣にいる女性に同意を求める。

「ええ、言ってたわね。がさつな男は好みじゃないんですって。もう少し言動に気をつけたらどう?」
「なんだと、マーシャが!? さあさあマリィ、更に可愛くなってこい! 今のままでも充分かわいいけどな!」

効果はてき面だった。マリエッタは満足げに笑って、ピースを作る。

「おっけー」

(単純だなあ)
基本的にこのサーカス団はみな、陽気だった。泣く子も笑うサーカス団というのがロトレフにつけられた呼び名だが、まさにその通りだとマリエッタは思う。泣いている暇なんてありはしないのだ。サーカス団というくらいなのだから他のところもそうなのかもしれないが、マリエッタは生憎と比較する術を持たない。そして、しようとも思っていなかった。

「んじゃ、いってくるね。すぐ追いかけるから!」
「いってらっしゃい。それと、そんなに大声で言うものじゃないわよ?」

母親のような眼差しでやんわりと指摘されてしまい、照れたように笑ってからその場を後にする。まだ公演の興奮が抜け切らず、自然とスキップになってしまっていたマリエッタを、団員たちは微笑ましそうに見守っていた。

**

「あーもう、ホントにぐっちゃぐちゃ! 何でもうちょっと加減してくれないかなっ」

文句をいいつつ、鏡を見ながら何度か梳く。何とか直し、これで元通り! と暗示をかけて、化粧室を後にした。マリエッタの髪は癖がつきやすく、普段からあちこち跳ねているために訪れる前と比べて大した差もなかったのだが、彼女はもう気にしていないようだった。単純なのは団員だけではなく、マリエッタもそうである。

「さって、今日は誰が先にばてるかなー」

調子外れの鼻歌を歌いながら、目的地である酒場を目指す。怒られるのは誰かな、とも考えながら。
未成年であるマリエッタに酒を勧めては、女性陣や団長にお咎めを食らうのが毎回一人二人、下手をするとそれ以上に出てくるのである。きっと、今日の反省会のいう名目のただの飲み会もそうなのだろう。なんだかんだで楽しんでいるマリエッタは自然と緩む頬をそのままに、公演用に建てた大きな赤いテントを抜けて外へと出た。夜のひんやりとした風が、マリエッタを現実に引き戻す。

「う、ちょっとさむっ」

腕をさすりつつ、誰かに上着借りるべきだったかな、と軽く後悔する。比較的暖かい地方での公演だったのだが、流石に薄着しすぎたようだった。

「……ん?」

ふと、あるものが視界に入る。もっとよく確かめようと足を止め、じっくりと観察した。

「んんん?」

なんで、こんなところにこんなものがいるのか。何で倒れているのか。自分の目を擦ってからもう一度地面にいる「ソレ」を眺めてみるが、やはり変わる事はなかった。

「こんなところでどうしたの、ねずみさん」

じゃりの上でぐったりと横たわっているねずみに手を伸ばし、手のひらに乗せる。ねずみは僅かに身動きしたきり、動く気配を見せない。真っ白な毛は泥か何かで汚れてしまっているが、きら、と何かが光った。

「おまえ、何かペンダントつけてるね。これ、宝石……?」

ねずみが首からかけていたのは、宝石があちこちに散りばめられたいかにも高そうなペンダントだった。残念ながらマリエッタは宝石に詳しくなく、価値もさっぱり見当すらつかなかったものの、光の正体で間違いないらしい。気になって触れようとするものの、ねずみはマリエッタの手を振り払い、彼女を睨んだ。しかしやはり力がないのか、すぐに倒れこんでしまう。

「ごめん、ごめん。取るつもりはないよ。てかおまえ、怪我してるんだね」

右足にじんわりと血が滲み出ているのに気付き、 ハンカチ、ハンカチとポケットを漁ってみる。だが、全く見当たらない。ハンカチくらいは持ち歩くべきだったかもしれない……と悔やんでみるが、ないものはないのだから仕方がないとすぐに開き直ってまたねずみを見つめた。

「ご飯、食べる? でもねずみって何食べるのかな……チーズで合ってるっけな……まあチーズでいっか」

「おいしい?」

すっかり人もいなくなった控室の冷蔵庫からチーズを持ち出し――恐らく誰かがおやつ代わりにでも入れていたのだろう――外に戻るとねずみに食べさせる。その横に座り込み、じっと見つめていた。一人で動いたのは、ねずみが嫌いな団員に見つかるとまずいと思ったからだ。コードをかじられたりと被害に合った事が何度もあったし、目の仇にする気持ちもわからないではないのだが、怪我をしている動物に追い討ちをかける気にはなれなかった。

「おまえ、オスなのかなメスなのかな」

話しかけてみたところで返事があるわけもないが、なんとなくの気分で語りかける。当然ながらねずみはマリエッタを気にかけるでもなく、もぐもぐとひたすらにチーズをかじっていた。

「うちはねー。サーカス団の一員なの。でも今日ちょっとミスっちゃった」

つい弱音を吐いてしまったのは、気が緩んでしまっていたせいかもしれない。

「けどね、絶対に諦めない。次こそは皆に一人前だって認めさせてみせるんだから!」

マリエッタの定位置は「見習い」
いる期間はそれなりに長いはずなのに、いつまで経っても扱いは変わらなかった。馴れ合いと仕事は別。それが団長の教えだからだ。仲の良いサーカス団だが、ひとたび仕事となると皆プロの顔をする。そんなところがマリエッタも好きだった。だからこそ、子どもだからといって甘えたりはしない。いつか必ず、実力で認めてもらう。それは彼女の、揺るぎない決意だった。

「……ってまあ、ねずみに言ってもどうしようもないんだけどさ。おまえ、ペンダントしてるってことは飼い主さんがいるの? それなら早く戻らないときっと心配してるよ」
「別に問題ない」
「そう? あ、おかわりいる?」
「必要ない」
「そっかー。って、へ?」

今自分と会話していたのは、一体誰だろう。団員だろうか、と後ろを振り返ってみるが、そこには誰もいない。おかしな事に、影すらない。あるのは今回の公演用に張られた巨大な真っ赤のテントだけだ。
そもそも、全く聞き覚えのない声だった。どことなく機嫌が悪そうな、低めの太い声。まさか、とマリエッタは半信半疑でねずみに視線を移す。

「今のもしかして、おまえ?」
「ああ」
「す、すごい! ねずみって喋るんだ!」
「んなわけあるか」
「違うのか。夢を壊すのはよくないよ、ご法度だよ」
「なら更に夢を壊す事になるだろうな」
「へ?」

物語のように辺りが光で包まれるとか、煙が出るとか、花が舞い散るとか。そういう不思議な演出は一切なかった。ただ静かに、音もなく、ねずみは人へと姿を変えていく。

「どゆ、こと?」

その場から消えたねずみの代わりに現れたのは、一人の男性だった。闇を連想させる真っ黒な黒髪は腰まで伸び、一つに結われている。腰に下げられた立派な剣、白いマント、きっちり着込まれた服装から騎士を思わせた。世間一般で言う「格好いい男性」に入るのかもしれないが、仏頂面が台無しにしてしまっている気がしてならない。
何故、白い毛並みだったはずのねずみから黒髪の男性になるのか。そもそも、その格好はあまりにも――――

「もんのすごく浮いてる……」
「他に言う事はないのか」
「じゃあどうして、白い毛並みが黒髪になるのかな」
「どうでもいい」

マリエッタにしてみれば全力の質問を、どうでもいいとあっさりばっさり切り捨てられてしまう。流石にこれは大分ショックである。

「んーじゃあ何で行き倒れてたの?」
「俺は、ある者に追われているんだ。……途中で空腹と怪我で動けなくなったが」
「……おにーさん、お尋ねものってヤツ?」
「そう思いたいならそう思えばいい。世話をかけたな、俺はこれで……」

男性はそう言うと白いマントをなびかせて去ろうとするが、その前に力なくしゃがみこんでしまった。

「おにーさーん?」
「チーズでは、足りなかったようだ……」
「つまり空腹なんすね。もうちょっとお腹が膨れるもの持ってくればよかったね」

ねずみの時に食べる量と人間の時に食べる量が同じなのかはマリエッタには分からなかったが、確かに空腹の時にチーズだけは足りないだろう。パンでも持って来るべきだったのかもしれない、と考えた後、「うん」と一人納得したように呟く。

「空腹のときのパンは命ほどの価値があるっていうしね!」
「は……?」
「うちはマリエッタ。みんなマリィって呼ぶから、そう呼んで。おにーさんの名前は?」
「好きに呼べ」
「言わないならななしさんって呼ぶよ?」

真顔で返すと、彼は嫌そうに顔を顰める。そして渋々といった様子で口を開いた。

「……パーシヴァル・ルイス・ロメリアだ」
「パ……? ロ……?」

折角名乗ってもらったにも関わらず、マリィは一度言われただけでは覚えられなかった。「はて?」と疑問符ばかり飛ばすマリィだったが、彼にしてれば予想の範囲内だったのか文句を唱える事もなく、無表情で彼女を見下ろしていた。

「おにーさん名前長いよー……。んーそうだね、ロー! よし、ロー!」
「は?」
「おにーさんの事これからそう呼ぶから。呼びやすくてかわいいでしょ?」
「可愛いかは置いといて、好きに呼べと言ったのは俺だからな。好きにすればいい」
「じゃあロー」

すくっと立ち上がった後、マリィはにっこりと笑う。

「うちで働いてみない?」

泣いて過ごすより、怒って過ごすより、笑って過ごした方が楽しいに決まっている。そのために出来る事があるのなら、積極的にすべきだ。勿論、楽しい事ばかりではいられないし、泣きたい時だってある。そんな時は思う存分泣けばいい。そしてまた笑えばいい。

「……は……?」

前向きな少女と、やや後ろ向きな青年が出会った日だった。

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