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虹の小道-03
ローがサーカス団、ロトレフに入団して一ヶ月。一行は隣町へと移動し、借りたホールで練習を行っていた。当然ローは見習いからのスタートであり、マリィや他の新人たちと一緒に下準備や後片付けなどに関わっている。根が真面目なのかさぼったりはせず、文句を言ったりもせず、もくもくと道具を吹き続けていた彼にマリィが声をかける。

「ねね、ロー。それ終わったらちょっと手伝ってくれる?」
「何をだ」
「今日、うちが夕飯とーばんなの。だから、ね、お願い!」
「それはいいが……何故だ? 俺はそう上手くないぞ。お前の方が出来そうなものだが」

ローが何気なく口にすると、マリィは気まずそうに顔を逸らす。

「……まさかとは思うが、塩と砂糖を間違えるとかいう、アレか」
「し、しつれいな! そこまでひどくないよ! ……ただすこーし苦手なだけだよ、うん」

彼女は否定したが、最後辺りの小さな声はローを不安にさせるだけだった。思い返してみれば、以前彼女が当番だったときも誰かに頼んでいたような覚えがある。……大丈夫なんだろうか。

「うっわあ、ロー、似合うよ!」
「にやにやしながら言うな! 笑いたいなら笑え!」

エプロンをして台所に立つローはとてつもない違和感があり、逆にそれがマッチしているというなんともまあ不思議な状況を作り出していた。
クマさんエプロンを着る26歳。かっこ鼠に変身する男性かっこ閉じる。

「ちょうど今他の洗濯中でさー、諦めてね。でも似合ってるよ!」
「そんな褒め言葉はいらん!」

(そもそも何でこのサイズでこんなものがあるんだ……!)
一体誰の趣味なのだろうか。ローは長身な方であるため、そんな彼にぴったり合う事実を視野に入れれば候補はそういないはずなのだが。一瞬むさいおっさんがこのエプロンを着て料理している光景が頭に浮かび、あまりの気持ち悪さにローはすぐに振り払った。これ以上考えない方がよさそうである。
しかしいくら他に選択肢がなかったとはいえ勘弁してほしいと、ローは一人思う。マリィに親指を立てながらウインクされても、全く嬉しくもない。

「ところでローって料理できる?」
「それは最初に聞くべき質問だと思うんだが。人並み程度ならな」
「ホントー? じゃあねじゃあねえ、野菜の皮むきと味付けと盛り付けと……」
「お前は俺に全部やらせる気か」
「もー、冗談が通じないなあ。ちゃんと分担するって」

(今日は何にしようかなっと)
マリィは鼻歌を口ずさみながら、冷蔵庫をあける。お、トマト発見。これはボルシチ作れってことかなー、ロールキャベツもいいなー。白魚をムニエルにしてーそれにサラダとパンとー、うん、決めた。
メニューを頭の中に思い浮かべると、冷蔵庫から必要なものを素早く取り出す。気合を入れて、包丁を握った。

**

「おお、ローの包丁さばき綺麗だね!」
「まあ、一人旅をしていたからな」
「へー! 男の浪漫だねー。ねね、学校には幽霊がいるってほんと?」
「……誰がそんな嘘を教えたんだ」
「嘘なのかー。実際いたら楽しいのにね」
「楽しいか? そういえばお前、親は」
「育ての親はだんちょーだよー。生みの親は今何してるのかわかんない」

生きてるといいねえ、と。さらりと、彼女はそう続けた。衝撃の発言を聞いたローは一瞬動かす手を止め、マリィの方に視線を移すが、彼女の方は至っていつも通りだった。悲しそうな表情を浮かべるでもなく、手を止めたりもせず、ただ普段通りに笑っていたのだ。

本当に何気なく、気になっていた事を尋ねただけだった。
これは触れてはいけない話題だったのだと、ローはすまなかったと謝ろうとしたが、いつもと何も変わらないマリィの笑顔を見るとそれ以上何も言えなかった。

「……お前の包丁さばきも中々のものだが。料理は苦手だと言っていなかったか?」
「ああうちね、味付けが下手くそなんだって。材料切るのは問題ないよー」
「目分量で味付けするタイプか」
「あ、やっぱりダメ?」
「それで成功するならいいが、失敗するならちゃんと計れ」
「はーい。なんかローってお父さんみたいだね!」
「……頼むからそこはせめてお兄さんにしておいてくれ」

そう、思い出す記憶の中の彼女はいつだって笑っていたんだ。それがどれほど異質であったのか、気付きもせずに。

「だんちょーう」
「どうした、マリエッタ。怖い夢でも見たのか」
「子ども扱いしないでよー」
「枕までしっかり持ってるヤツを子供扱いして何が悪い」
「ダメ、だった?」
「蹴飛ばすなよ」
「蹴飛ばさないってば! ……ありがとう」

電気を消し、枕元の僅かな灯りだけを残すと、しばらくして隣から小さな寝息が聞こえるようになった。その事に安堵しながら、真っ直ぐにならないといつか嘆いていた癖毛の髪を軽く撫でる。起きている時にすればぐちゃぐちゃになる! と文句を言われるものだが、今彼女は寝ているのだから何の心配もない。
まだ幼さの残る、あどけない寝顔。せめて優しい夢を見られればいいと、そんな事を願った。

「んー、今日もいい天気! お日様はいいねー」
「そういうものか」
「洗濯物は乾くし気分は乗るしいいこと尽くめだよ」
「よく分からないな」
「ローってもしかして噂に聞く夜型人間? 体によくないんだよー」

背伸びをしながら朝日を浴びるマリィは年相応の子供に見えて、なんとなく少し微笑ましくなる。どうやら、昨日のやり取りはすっかり無かった事にしているようだった。

確かに、彼女の言うことはあながち間違いでもない。集団生活をするようになってから自然と改善されてはいるが、ローは朝日が苦手だった。それは自分だけではなかったから、呪いの一環のようなものかもしれない。

「呪い?」
「は?」
「いや、今ローが言ったんだよ。うちが変人なわけじゃないよ」

無意識とはいえ、声に出してしまうとは完全な失態である。不思議そうに顔を覗き込むマリィに気付き、ローは小さな溜息を一つ零した。

「パンドラの箱だ」
「パンダの箱?」
「……お前は常識人なのかそうじゃないのか疑問を投げかけたくなる時がある」
「しっつれいだなー。パンドラの箱ってあれだよね、あけちゃいけないーって言われたのに開けちゃったっていうお話」
「そうだ」

彼女は学校には行ってないようだが、そういう知識はあるらしい。その知識は随分偏っているようにも思うが。

「そっかー。で、パンダの箱がどうしたの?」
「パンドラだ、馬鹿。……まあいい、絶対にあけてはいけないと渡された箱をあけてしまった者がいる。そいつらは代償として、呪いをかけられたんだ。――――動物と混じってしまうという、妙な呪いをな」
「動物? もしかしてそれが……」
「俺の先祖の話だ。その呪いは代々受け継がれている」

話が長くなると読んだのか、マリィは座り込んで話を聞いていた。
あれから鼠の姿になることがなかったために忘れていたが、彼は元々ねずみの姿で行き倒れていたのだ。それは「呪い」なのだと、ローは言う。

「じゃあローのご両親もねずみになるってこと? 賑やかだねえ」
「いや、生まれた子に受け継がれるんだ。だから俺は呪いを解く方法を探している。このままではいずれ呪いに負けて完全な動物になってしまう可能性があるからな」
「あ、ローの探し物ってそれなのか。ふむふむ。あれかな、"ウラシマタロウ"?」
「お前にはそっちで説明した方がよかったのかもしれんな」
「相手に伝わるように話すっていうのは大事なことだよ、ロー」
「お前が言うか」

呪いの話を口に出すのは、一体いつぶりだっただろうか。右手にびっしりと掻いた汗が、自身が緊張していた事を表していた。気付かない振りをしたかった。何でもないのだと、ごまかしたかった。けれどそのどちらも既に手遅れで、次から次へと不安が押し寄せてくる。
底抜けに明るいこの少女も、態度を変えるのだろうか。恐ろしいものを見るような目で遠巻きに眺めるのだろうか。
相容れる事など、所詮は不可能なのだろうか――――……

「あのさ、ロー」
「……なんだ」
「気味悪い、とか。そういう感想抱くなら出会った時に思ってるし心配するのってすっごい今更じゃない? だからさ」

「そんな悲しい瞳、しないでいいんだよ」

何も悲しくない、とか。心配なんてしてない、とか。言いたい事は色々あったけれど、結局そのうちのどれも形にはならなかった。
幼少の頃の記憶なんて、今はもう全部遠い。過去だと、はっきり言える。それなのにどうして、何も返せなかったのだろう。自分はこの少女に気味悪がられる状況を、恐れていたのだろうか。この少女にだけは、そう思って欲しくなかったのかもしれない。
泣きたくなるような衝動をおさえて、ローはただ黙っていた。

どれほどの時間が流れたのだろう。もう一度見た朝日は相変わらず眩しくて、けれど今まで見たどの景色より綺麗だった。

「体内リセットだよ」
「は?」
「朝日を浴びて、今日も一日がんばろーって思うの。でも雨も恵みの雨だから嫌いじゃないけど」
「お前はやっぱり、おめでたい奴だな」
「足して2で割ったらちょーどいいかもね? しかしローってけっこー間抜けだよね。気持ち悪がってたらそもそも誘ってないのにさ」
「そうかも、しれないな」

けらけらと笑うマリィにつられてローも笑う。そんなローの様子を見て、マリィはますます笑みを深くした。

日は沈んでまた昇って、そうして一日が始まる。

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