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虹の小道-04

見上げた空も、あの日一緒に見た景色も、すぐに過去になってしまう。
明日は、時間が過ぎれば今日になる。そうやって一つ消えては、また繰り返すのだ。

「ロー!」
「叫ばなくても聞こえる。どうした」

少女――――マリィに呼ばれた青年は、くるりと振り返る。今までなら揺れていたはずの髪はそこにはなくて、改めて今自分はあの頃と違う場所にいるのだと再確認させられた。
”綺麗な髪ね。わたしも、こんな風に真っ直ぐがよかった”
ふと思い出す、幼い日に聞いた言葉。彼女がこの髪を見たら、どんな顔をするだろうか?
元々着ていた服も、目立つ! 浮く! と周りに散々言われ、ローは自身と同じくらいの背丈の人間に服を借りていた。この中の誰かがあのクマさんエプロンの持ち主なのだろうか、と頭の片隅で思い描きながら。
彼女が見たら絶叫するだろう、今の自分の格好。その光景が容易に想像出来て、考えるだけで頭が痛くなってくる。

「ロー? どしたの、トリップ?」
「いや……何でもない。それよりどうした」
「ああ、そうそう。ローを探してたんだよ」
「俺が何かしたか」
「んー、何かしたっていうより、する?」
「は?」

自分を今の場所に引き込んだ少女は、ポジティブな上にマイペースだった。ロー自身もマイペースだと言われた経験があるが、マリィはそれ以上だと思う。
実際は第三者から見ればどっちもどっちというのが真相なのだが。

そんな彼女の発言は相変わらず、爆弾発言だった。わざとなのか、素なのか。残念ながらローには見極められない。

「今日公演なんだけどねー。ローも出てもらうことになったから!」

にっこり。毒のない、いい笑顔で少女は笑う。呆然と立ち尽くすローはそのまま、だから身だしなみとか心の準備とかよろしくねー! と軽い調子でマリィは言葉を続けていく。
一通り喋った後彼が固まっている事にようやく気付いたのか、不思議そうに首を傾げた。

「ロー?」
「……おまえは」

マイペース。のんびり。まったり。よく言えば周りに流されない。
しかし。

「何でそう突発なんだ!!」

力の限りを込めて叫んだローの必死な訴えも虚しく、マリィは悪びれもなく軽やかに笑う。

「習うより慣れろ、だよ、ロー。だいじょーぶ、うちも皆もフォローするからさ!」
「……もういい。お前、いや、お前達に常識を説いても無駄なようだ」
「がんばろーねー!」

――――結局。
この日の公演はいつもと変わらず大盛況で、ローも特別大きなミスはしなかったのだけど。
相談もなしに舞台に放り込まれた事で膨大な精神力を消費したのは間違いなかった。

何かを考える余裕もなく、ただ周りについていくだけで精一杯だった。まだ幼い頃に家族でサーカスを見に行ったりもしたが、まさか魅せる側になるなんてあの頃想像もしていなかった。
緻密に考えられたパフォーマンス、空中ブランコ、綱渡り、トランポリン、アニマルショー……その場にいる誰もが目をきらきらと輝かせる、瞬きさえ勿体ない夢の時間。
マリィや他の団員が必死に頑張る理由が、少し分かったような気がした。

「んー、つっかれたー! でもこの疲れがたまんないよねっ」
「マリィも今日はミスしなかったな」
「いっつもしてるみたいな言い方しないでー! この前はたまたま!」
「おい、マリィ。俺等は先に飲み屋に行ってるから、後で一緒に来い」

団長はそう言うと、違う方向に視線を向ける。その真意を把握したマリィは笑って頷くと、集団から外れてローの方に駆け寄った。

「いーんスか、だんちょー。可愛いマリィを行かせて」
「あー? 誰しも経験することだろうが」
「これがきっかけで恋に落ちるかもしれませんよ?」
「そーそー」
「なっ! アイツに限ってそんなことは……っ」
「マリィも年頃の女の子ですからねー。そのうちお父さん嫌い! とか言われちゃったりして!」
「ほーう。お前達そんなに減給されたいのか」
「じょ、冗談スよ! さあさあ、行きましょう飲みましょう!」

**

「ロー」

柔らかく声をかけてみても、彼は心あらずといった様子でぼーっと突っ立っているままだった。そんなローを見て、マリィは嬉しそうに目を細める。

「楽しかったでしょう?」
「……ああ」

ねえ、ロー。同じ日は巡ってこない。だから、今日を大切に生きるんだよ。

「ね、ローはさ――――……」

マリィが言いかけた言葉は続かなかった。途中で相手の姿が変わってしまったからだ。

「ロー!?」
「つかれた……」

ぐったりと倒れこむロー、別名(真っ白な)ねずみ。
人の姿でいるにはある程度の力を使うらしく、限界まで疲れるとねずみになってしまうらしい。マリィと会った時もそうだったのだと、後になって聞いた話だった。それに加え、三日月の夜には強制的にねずみになってしまうと言うのだから、色々苦労して生きてきたのだろう。
ねずみになってしまったローをそっと掌に乗せると、マリィも座り込む。

「何か食べ物持ってくる? それともちょっと休む?」
「休む……」
「りょーかーい」

冷め切らない興奮。夢と現実の境。自分が夢を与えたのだという、確かな実感と喜び。
激しい疲れこそあっても、精神的にとても満たされる初めてのステージ。彼も自分達と同じように味わえたのなら、これほど嬉しい事はない。
おつかれさま、ロー。
……この後飲み屋で盛大に絡まれるだろうとは、流石に今は言うまい。

美しい夕焼けだけが、今の二人を見ていた。しかしこの夕焼けも、すぐに沈んでしまう。
望んでも望まなくても、時間は過ぎていく。何かを得る一方、何かを置き去りにしながら、人は生きている。
変わらない景色、変わっていく景色、過ごしてきた日々。確かなものは、そこに存在するのだろうか。

「なあ、お前は」
「んー?」
「虹の先にはなにが、あると思う」

突然のローの質問をマリィは茶化したりはせず、僅かに考え込むといつも通りの調子で答えた。

「詩人みたいな質問だねー。虹のふもとには宝物があるんだよ」
「そうか」
「もし見えないのなら、それはまだ出会ってないからなんだよ。さみしいなら、うちが何か埋めといてあげる」
「例えば?」
「んー、チーズとか!」
「鼠から離れろ。大体、間違いなく腐るぞ」
「夢がないなー」
「お前の方がないと思うが」

(夢、か)
それは掴もうにも掴めない、不確かなもの。そう思っていた。しかし、今日のステージでなんとなく、それがどういうものなのか少し分かったような気もしていた。
そういえば、初めて会った時彼女は「夢を壊すのはご法度」だと言っていた。ならば彼女には夢があるのだろうか――――? 心の中に抱いた疑問を口に出す勇気は、今のローにはなかった。

「じゃあ宝石とかー? んー、でもこれこそ夢がないような……。そういえばローのペンダント、ねずみの時だとはっきり分かるね」
「ああ……これか」

ローが肌身離さずつけている、宝石が散りばめられたペンダント。いつもは服の下に身につけているため見えないが、ねずみになっている今はその姿をはっきりと確認出来る。

「これが箱の中身だ」
「へ?」
「あけてはならないと言われた箱に入ってたのは呪いのペンダンドだったという、そういう話だ」
「うっわー、不吉。綺麗なペンダントなのにね」
「箱から出さない限りは幸福をもたらす物らしいからな。使われている宝石自体は高価なものだと言うから、それでよく狙われるんだ」
「ああ、ローが言ってた追われてる、ってそういう意味か。あの時はなんか悪いことでもしたのかと思ったよ」

(思いっきりお尋ね者扱いされたからな)
そこまで遠い日の話ではないが、こうして懐かしむように話すと随分遠い話のような気がしてくるのだから不思議なものだ。

「このペンダントを守る事と、呪いを解く方法を探すこと。それが俺の――――」
「ヴァル! ヴァルじゃありません!?」
「……この声は……っ!」

甲高い、耳に残るこの声は――――

「ヴァル、人前でねずみになるなんてあなたは何を考えているの!」
「す、少しは静かにしてくれ……!」
「まあっ! それがあなたを探してここまで来たわたしに言う台詞!?」
「あのー……知り合い?」

突然現れた謎の女性はきんきんと、耳に響く声でまくしたてる。途中で尋ねたマリィを思いきり、それはもう遠慮もなく睨みつけると、女性は高らかに叫んだ。

「わたしはヴァルの婚約者です!」

なんとなく、ローがため息をついたのが聞こえた気がした。

「はい……?」

日常は、簡単に変わる。

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