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虹の小道-08

世界は貴方が思うより狭いかもしれない。広いかもしれない。
あなたは今、頭で描いた世界のどこに立っているだろうか。

「おはよう、マリィ」
「おっはよー。目赤いけど、二日酔い?」
「ええ、ちょっと飲みすぎちゃってね」

途中で撤退した為にどうなったかはマリィには分からないが、いつも通りと考えればあの後も飲み続けたのだろう。穏やかに挨拶する彼女も相当酒が強い事を、マリィは知っている。
彼女は視線だけを動かし、きょろきょろとマリィの隣を見るが、そこに誰もいない事を確認すると安心したような、寂しそうな、形容しがたい表情を浮かべた。

「どしたの?」
「いえ……ロー君は?」
「ああ、多分今頃ミラさんと話してるんじゃないかなあ」

落ち込んでいる様子は、ない。特に気にしている様子も、ない。それは良い事なのか、悪い事なのか。どちらにしろ少女のこの態度は少々微妙な気がしてならない。そんな女性の複雑そうな表情を見て、逆にマリィの方が首を傾げていた。

「ねえ、マリィ」
「うん?」
「私は貴方の笑顔が好きよ。それは私だけじゃなくて、団長も、皆も」
「え、照れるなあ! うちも皆好きだよ」
「だからね――――……」
「マリィ」

女性とマリィの会話は、ローの声で途切れる。呼ばれたマリィは嬉しそうに振り返り、女性は今にも泣き出しそうな顔でローを見つめた。

「すまない、話の邪魔をした」
「いいえ、大した事じゃないの。マリィもロー君も気にしないで。私はもう行くわね」
「さっき言いかけたこと、また今度聞かせてねー」
「ええ」

女性は軽く頭を下げるとその場を後にする。何かを訴えかけるような彼女の瞳が引っかかりはしたが、今のローには気にしている余裕がなかった。

「ミラと、話をした。お前が何か言ってくれたのだろう? ありがとう」
「お礼言われるようなことは何もしてないよ」
「お前はそうかもしれないが、俺達にとってはとても大事だったんだ。随分と遅く、なってしまったが」
「ミラさんは、なんて?」
「一度家に戻って、両親や周りの人間とも話をすると言っていた。……その後は俺に振り向いてもらえるように自分を磨きなおすんだそうだ」

言いにくそうに、視線を逸らしながら口にする。マリィはまるで子供のような彼の態度に思わず笑ってしまい、ローはますます恥ずかしそうにそっぽ向いてしまった。

「……笑い話じゃないんだが」
「ごめんごめん。ミラさん強いなあと思って」
「お前な、他人事だと思って……!」

――――いや、実際彼女にしてみれば他人事なのだろうが。
どうもこの少女、道を踏み外さない程度に物事を楽しもうとする傾向がある。他の団員や団長も似たようなところがあるのを見ると、周りの環境が原因でそういう性格になったようだけど。
それともサーカス団のメンバーというのはこういう性格が多いのだろうか? ローの中で偏見が生まれた瞬間だった。

ローの考えはつゆ知らず、マリィはけらけらと笑う。

「ミラさん美人さんだしねー。ローも嫌いじゃないんでしょ?」
「二択を迫られるなら好きだが、持つ意味が違う。俺はアイツのことは手のかかる妹のようにしか思っていない」
「で、そう言ったら振り向いてもらえるように頑張る、となったと。罪な男だねー!」
「……言わないでくれ」

しかし自分に絡むのは勘弁して欲しいと、ローは切実に思う。

「ところで、肝心のミラさんは?」
「団長のところだ。謝罪と挨拶をしたいらしい」
「律儀なんだねえ」
「言葉はきつい上素直じゃないが、そんなに悪い奴じゃないんだ。例え我侭で世間知らずでも、厄介ごとばかり起こしても……!」
「過去に色々あったんだね……」

彼女のあの性格からして、大体の予想はつく。冗談ではなく、彼が本気でげっそりしている気がするのは気のせいだろうか。
常識人というのは苦労するものなのです(二回目)

過去と、そこから繋がる未来。

「なあ、マリィ」
「んー?」
「お前は俺に夢を壊すのはご法度だと言ったな。お前の夢は、何だ?」
「うちの夢? 人に夢を与え続けることかなあ」

まあその前に見習いから昇格しなきゃだけどねー。そう語るマリィの瞳はきらきらと輝いていて、本当にこの生活が好きなのだと思わせた。――――尋ねたのは、愚問だっただろうか。
けれど喋り終わるとほんの少しの間だけ、思いつめた表情でどこか遠くを見ていた。その顔がローには意外で、目に焼きついた。

「……マリィ?」
「え、何?」
「いや」

見間違い、だったのだろうか。そう思ってしまうほどに、先程の面影がない。

「ミラさんは家に帰るんだよね。ローはやっぱり旅に?」
「ああ。ただミラを一人で帰すわけにも行かない。一度俺も家に戻って、それから旅に出ようと思う」
「呪いを解く旅、かあ。良い出会いがあることを祈ってるよ。もしまたこの地に寄る機会があったら公演見に来てね」
「その事、なんだが」

それは、許されるだろうか。彼女は許してくれるだろうか。

「一緒に、来ないか」

「……へ?」

まさに、今なんて言った? という顔をするマリィ。予想通りの反応だった。マリィはマリィで一瞬意味が理解出来ず、しばらくしてからようやく言われた内容を把握する。
まるでプロポーズみたいだねー! とか、からかおうとしてみたものの、彼がどこまで真剣な瞳をしているのに気付き、それも出来なかった。

「えーと、何で?」
「それは……」

ごく当然の質問。
夢を聞いた直後に誘うのだから、当たり前と言えば当たり前だ。ローにしてみれば少々言いにくいのだが、今ここでごまかしても彼女には通じないだろう。彼自身、それはあまりしたくなかった。

「綺麗に見えると、思ったんだ」
「綺麗に?」
「何でもいい。世界でも、景色でも、人でも。俺が今まで気にも留めていなかったものが、お前となら鮮やかに見えると思った」
「……流石に空気読めって感じかな、って突っ込まなかったんだけどそれプロポーズに聞こえるよ、ロー」
「なっ! ち、ちがう!」
「いや、わかるけどさ。寧ろそうじゃないと困るし」

(顔赤くして慌てて否定しなくても)
そういう反応は逆効果だと、彼は分かっているのだろうか。間違いなく分かっていないだろうけれど。
彼は困ったように髪を掻き上げると、改めて言葉を紡いだ。

「言い方を変える。楽しそうだと思ったんだ、それだけだ」
「今度はシンプルになったねえ。でもごめん、うちはここが居場所だと思ってるんだ。団長も、皆も、大切な家族だから」
「……そうか」
「ああ! ローの事が大事じゃないとかじゃないよ」
「いや、返事が分かりきっていながら聞いたんだ。すまない」
「うちこそ、ごめんね」

でも――――……そう続けようとした自分がいた事実が、マリィには恐怖だった。
”夢はなんだ?”
人に夢を与え続けること。それは、ずっと変わらない夢だった。本当はもう一つあったのだと、今は気付きたくない。まだ知りたくない。だからどうか、もう触れないでほしい。

「……ごめん」
「気にしてない、と言えば嘘だが気にしていない。から謝らなくていい」
「いつ頃、出るの?」
「明日か、明後日には。ミラは宿を取らせるから気にしなくていい」
「別にうちは気にしないのに。ってなんか同じような台詞ばっか言ってるね」
「確かにな」

そう言って、二人とも笑った。なんだか久しぶりなような、不思議な感覚だった。

「さようなら、って言うと本当にそうなってしまいそうだから、言わないよ。またね、ロー。あ、送別会やるからね。参加してね」
「ああ、またな。というか、拒否権はないのか」
「礼儀知らずな男だったと、主役のいない送別会で語られてもいいのなら」
「……分かった」

ありがとうと述べるには、まだ早い。
さようならは告げない。

一緒に行きたいとは、もっと言えなかった。

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