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真っ先に視界に飛び込んできたのは、目を疑いたくなる光景だった。

「どう、して……どうして、こんな……!」

わたし達は双子として生を受けてから、今までずっと一緒だった。わたしがずっと大事にしていたくまのぬいぐるみを無くしてしまって落ち込んでいた時も、彼は根気よく励ましてくれた。無残にも捨てられてしまったのか、誰かの手に渡ってしまったのか、実は今も自分が持っているのか、そのどれなのか今はもう思い出せない。でも確かに、優しい彼はそこにいたのだ。そしてわたしはそんな彼が大好きで、それはこれから先も変わったりはしなかったはずだった。

闇へ落ちるのも、這い上がるのも、一緒。そう信じていた、のに。どうして今は、こんなにも違う?

「どうしてよ……っ!!」

きっと他にも、最適な言葉はいくつもあった。それなのに「どうして」と子供のように繰り返したのは、わたし自身混乱していたからだ。

「はは、さっきからその台詞ばかり。もっと他にもあるでしょう?」

どこまでも平然と言ってのけるあの子に、涙が零れ落ちそうになる。瞳に写る、見慣れたはずの顔は今は狂ったように歪められており、反対に自分はなんとも情けない顔をしていることだろう。泣かないように、飲まれてしまわないように、右手を強く握り締める。

「こんな、こんなことはしない、って! そう約束したじゃない!」
「約束、ね。それが本当に果たされるなら、僕だってこんなことはしなかったさ」

彼はそう言うと、足元に転がるものを蹴った。まるでサッカーボールを扱うように何の戸惑いもなく、いともたやすく。その光景に、うっ、と胃の中の物が上がってきそうになる。開かれたままの瞳、苦痛で歪んだ顔が、その時の惨劇を物語っている。可哀想に、体は血の海のどこかにあるのだろう。思わず探そうとして、本気で後悔した。
散らばるいくつもの腕、手、足は細かく切り刻まれ、元の持ち主など特定出来るわけもなかった。元は「人」であったはずの肉塊は酷い異臭を放っていて、とてもじゃないけどまともに息も出来ない。思わず左手で口元を押さえると、堪えていた涙がぼろぼろと零れ落ちていく。彼が右手に持つ日本刀にべっとりと付いているあかい血だけが、やけに鮮明に見えた。

「震えるほど嬉しいの? それなら、僕も嬉しい」
「ちが、ちが……う! わた、し、わたしはっ!」

ねえ、どうしてあなたは笑っていられるの。こんな、息さえも出来ない空間で、どうして笑えるの。無意識のうちに一歩後ずさると、何かを蹴飛ばしてしまう。おそるおそる視線を移すと、ぐちゃぐちゃに潰された中で唯一原形を留めている青色の瞳と、目が合った。

「ひ……っ!」
「ああ、それね。自分だけ逃げ出そうとしたから、つい潰しちゃった」

狂っている。まるで悪戯っ子のように笑う彼を見て、ただ呆然とそう思った。がたがたと、体が震える。知らず知らずのうちに、涙が左手を濡らす。今はもう亡き人物がしようとしたように、わたしも逃げ出せばよかったのかもしれない。扉をあけて、そうしてしまえばよかったのかもしれない。けれど、出来なかったのは。どこかでこうなる事を予想していた自分がいたからかもしれなかった。
これは悪い夢だと拒絶し続ける自分と、現実だとすんなり受け入れている自分がいる。おかしな気分だった。

「これで僕達は晴れて自由の身だよ。もう少し喜んでもいいんじゃない?」
「……っこれでは同じ事の繰り返しだわ! 今度は貴方がこうなるかもしれないのに……っ!」
「それでかまわないさ。こうする事が、僕たちにとって一番の幸せだったんだから」
「勝手にわたしの幸せまで決めないでッ!!」

こんな、こんな事を。望んだわけじゃない。あなたと手を取り合って、お母さんとお父さんの待つ家に帰りたかった。わたしが望んだしあわせは、たったそれだけ。こんな形で叶えられるものであっていいはずが、ない。そんなわたしの心情を知ってか知らずでか、彼は淡々と、まるで追い討ちをかけるかのように言葉を続けていった。

「じゃあ君は、彼等がいたままで幸せになれた? 仮にここから逃げ出したとして、それで満足? 例えようのない不安に毎日囲まれたまま、幸せになれたの? それは、本当に?」
「……ッ」

やっぱり、長い年月を共に過ごしただけはある。彼の言葉は的確にわたしの傷を抉り、奥に閉じ込めていた思いを遠慮もなく引きずり出していく。反論すべきなのに、そう分かっているのに、喉で詰まって出てこない。そんなわたしの反応は彼を喜ばせるだけで、彼は愉快そうに笑った。
ぎり、と奥歯を噛み締める。悔しい、悔しい。言い返せない自分が、彼の思想を覆せない自分の無力さが、腹立たしい。

「ああだめだよ、そんな顔をしては。君は、綺麗なままでいなくては」

彼はそう言うと、一歩こちらへ踏み出す。それに反応して、わたしも一歩後ろへ下がった。ガンッ、と扉とぶつかる。そんなわたしを見て、彼は心底不思議そうに首を傾げた。

「どうして逃げるの? ……ああ、ごめんね。血、苦手だったね」

さも今気付きました、とでも言うように、頬についていた血を袖で乱暴に拭き取った。揃いの黒い髪にこびり付くあかも、足元に広がるあかも、彼にとっては例外だというのか。目に入ってすら、いないのかもしれない。これでいいでしょう? と可愛らしく笑う彼はやっぱり記憶の中の彼と同じで、ひどく安堵すると同時に眩暈が襲った。あの頃の彼は、どこを探したってもういないのだ。

「ねえ、これで僕達は楽になれるんだよ。ねえ、幸せでしょう? 嬉しいでしょう? どうしてそんな目で僕を見るの。どうして」
「本気で、理解できないのッ!? あなた、おかしいわよ……!」

この現状も、それを正しいと思い込んでいる彼も、全てが日常とはかけ離れている。身近に存在していた狂気は、あまりにも残酷だ。わたしは自分のことで精一杯で、彼の唯一純粋な部分を粉々に壊してしまったことに、気付きもしなかった。

「……僕たちは、誰もが羨むほど仲が良かったよね」
「え? ええ」

急に変わった話題に、わたしは面食らう。俯いてしまった彼の表情は、よく分からない。戸惑っている間にも、彼はぽつ、ぽつ、と言葉を紡いだ。

「両親に愛されて、ただひたすらに愛されて育った。僕は少し体が弱くて、中々外に出られなかったけど、それでも君は嫌な顔せず一緒に遊んでくれたね」
「あたりまえ、じゃない」
「それが僕にはとてもしあわせで、とてもとても満ち足りた幸福だった。……終わりは、とてもあっけなかったけれど」

そう、彼の言う通り、それはあまりにもあっけなく崩れた。突如、突っ込んできたトラック。響き渡る悲鳴、広がっていく赤い血、冷たくなっていく最愛のひとたち。言葉にもならない恐怖で抱きしめ合ったわたしとおとうと。離さないように、存在を確かめるように、大丈夫だと慰めあうようにして、わたし達は傍にいた。あの日の光景は、きっと一生忘れないだろう。

「今にして思えば、僕の狂気はあの時生まれたのかもしれない。これからは君を独り占めできるのだと思うと、心躍ったから」
「そんな……ッ!」

それでは、かれらは。わたしたちを守ろうとしてくれた彼等の想いは、どこへいくのか。惜しみなく愛してくれた二人の想いは――――……

「君といつまでも二人、生きていけると思った。そこに入ってきた邪魔者を、排除しただけ。それだけのことでしょう」

”邪魔者” それは、彼の足元に転がる人達を指しているんだろう。身寄りを失くしたわたし達が最終的に辿りついたのは、地獄だった。それでもわたし達は、生きた。いつかは光が差すのだと信じて、彼とならそれが出来ると信じて。ねえ、あの日の温もりが離れてしまったのは、いつのことだったのかしら。本当は最初から、全て幻想だった?

「それでも……っ、それでも! この人たちだって、生きてた。わたしと、わたしたちと同じように生きてたわ。それは、簡単に奪っていいものじゃない!」

きつくきつく、右手を握り締める。そうでもしなくては、彼の言葉に負けてしまいそうだった。爪が食い込んでも、血が零れ落ちても、そんなことは気にならない。体よりも心が痛いって、こういうことを言うのかしら。お母さんとお父さんの最期の顔と今はもう原形さえ留めていない彼等の姿が被って、奥から奥から言いようのないやるせなさがあふれ出す。止めようにも、とめられなかった。
わたしだって別に、命は平等だなんて綺麗事を言うつもりはない。だってもしそうなら、お母さんもお父さんも、あんな風にいなくならなかった。でも、だからって奪っていいわけがない。それでは、人として生きていく事すら出来なくなってしまう。わたしは最期まで、人でありたかった。もちろん隣にはあなたがいるのよ、だいすきな、だいすきなあなたが。これから先も、ずっと。

「……やっぱり、君と僕の道は違えてしまっているんだね」
「あなたがそう思っているだけでしょう!? まだ、まだわたしたちは……っ!」
「もう無理だよ。もう何もかも、手遅れだ」

なんとか彼を引き止めたいのに言葉にはなってくれなくて、精一杯の抵抗でわたしは首をぶんぶんと横に振る。違う、だとか、今も変わらず貴方を愛している、だとか、伝えたい気持ちは沢山あったのに、声が掠れて形にはならなかった。でもどんなにわたしが訴えても彼は悲しそうな顔をするばかりで、頷いてはくれなかった。
彼は、底なしの闇に飲み込まれてしまったのだ。……ううん、わたしがそうしなかった分、彼はわたしの分まで背負ってくれていたのかもしれない。こうなるまで気がつかなかったわたしが一番、愚かだ。

「! 何の真似?」

ガタガタと、手が震える。涙で視界が曇って、真っ直ぐに構える事も出来ない。それでもわたしは必死に、彼に向けた。落ち着け、落ち着け。大丈夫、大丈夫。わたしは、大丈夫。これが誰の物かなんて、そんなのはどうでもいい。弾が残っていた事が、わたしにとっての幸運だった。

「そんなものを向けて、どうするつもり? 仮に撃てたとして、僕の心臓を通過したとして。それで君は、どうする気なの」

彼は目を見開いて驚いたかと思うと、すぐに口元に笑みを浮かべた。出来るわけがないと思っているのだろう。先程までの震えが嘘のように、不思議とわたしの心は落ち着いていた。彼が笑い飛ばしてくれたおかげで、冷静になれたのかもしれない。そう、わたしはいつだって弱かった。守っていたんじゃない、ずっとずっと守られていた。だからこそ、最後はわたしの手で幕を閉じるわ。劇は、これでお終い。ゆっくりと、引き金に手をかける。

「ねえ、私の最愛の弟。……貴方だけに罪を背負わせは、しないから」

――――ここで死んでちょうだい?

動かなくなってしまった彼に、わたしはそろりと近付く。一歩踏み出す度にぴちゃん、ぴちゃん、と赤い血が跳ねたけれど、そんな事は気にしなかった。彼のものも混じっていると思えば、愛しいものだった。
彼まで後一歩、というところで、わたしのポケットから何かが落ちた。それは瞬く間に赤に染まっていく。……テディベアの、ストラップ。ああ、そうだ、確か。大好きなくまのぬいるぐみは大事にしすぎたせいで汚れてしまって、お父さんに捨てられてしまったんだ。それを覚えていた彼は、わたしにこれをくれた。いつかの、大切な思い出。そしてこれから先も、続いていくの。貴方と過ごす日々は、きっととてもすてきよ。

「本部から連絡を受けてみれば……っ。お前が、やったのか!?」

ああもう、どうしてこうなのかしら。少しくらい、空気を読んでくれてもいいと思うのよ。

「――――邪魔よ」

ごとん、と彼の首が地に落ちる。あの子が使っていた刀はとても切れ味がよくて、わたしでも簡単だったわ。流石わたしの弟ね、センスがあるもの。あの子は昔から手先が器用で、わたしはいつも感心させられた。わたしが作るものは笑われてばかりだったけれど、あなたは褒めてくれたわ。同じ血が流れていたのに、どうしてああも差があったのかしら。不思議よね。そうだわ、出会えた時に尋ねることにしましょう。少しだけ待たせてしまうから、その間に回答を用意しておいて。遅い、って怒るかしら? でもね、弟を看取るのは姉の義務なのよ。それは静かな場所でなくてはいけないの。だから、ちょっとだけ待っていて頂戴。

「No.05暴走! No.06は既に息絶えて…… 」
「あら、暴走だなんて失礼な。立派な姉心でしょう? ……ごめんなさい、もう喋れないわね」

最愛のあの子が潰したはずなのに、どこから沸いてくるのかしら、この人たちは。一匹見つけると三十匹いるっていうのは、何だったかしら。嫌ね、物忘れが激しくて困るわ。ああでも安心して、貴方の姿は絶対に忘れないから。そうね、それだけ覚えていれば十分だわ。

「……悪魔め……っ!」

この人たちって、鏡見たりしないのかしらね。ほら、自分の行いはいつか自分に返って来るって言うでしょう?

「まあ、こんな下品な顔じゃ鏡なんて見れないかもしれないわね。あの子を見習って欲しいわ」

あの子はね、とってもかわいいの。小さい頃はわたしとよく似ていると言われたものだけど、わたしなんかよりずっとずっと可愛らしかった。でも、こんな奴と比べるなって怒られてしまうかもしれないわね。私の足の下で歪んでいく顔はやっぱり不細工で、見るに耐えないもの。爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ。いえ、だめね。そんなもったいない真似出来ないわ。一瞬でもそんなことを考えたわたしを怒っていいのよ。でもあなたは優しいから、きっと許してくれるわよね。だいすきな、だいすきないとしいこ。

「ごめんね、遅くなっちゃった。あ、でもほら、髪色があなたとお揃いになったの。……まだちょっと、足りないかな?」

一滴も零さないように両手で丁寧に掬うと、それをそのまま頭からかける。ううん、ちゃんと染まったかしら? ここ、鏡がないものだから分からないのよね。でもきっと大丈夫よね。ほら、こんなにあかいもの。
彼の頬に手を伸ばし、そっと撫でる。白い、白い肌。やっぱりあなたは、とても綺麗だわ。まるで、二人で抱きしめあったあの日みたい。そのまま引き寄せると、あの頃のように笑ってくれた気がした。

「行き着く先は、地獄かもしれない。でも大丈夫。お姉ちゃんがずっといっしょにいるから、寂しくないわ。これからもずっと、一緒」

わたしたちはずっと、一緒。生まれた瞬間から、終わるその瞬間まで。喜びも、悲しみも、罪も、何もかも、半分こ。そう、これから先も。

「だいじょうぶ、お姉ちゃんはずっと一緒にいる。ずっとずっと、そばにいる。だから、こわくないよ」
「ぼくも、おねえちゃんのそばにいる。そうしたら、ずっとさみしくないね」

本当に狂っていたのはどちらの方だったのか、今はもう誰も知らない。