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cage.

「貴方に恨みはありません。大人しく差し出して下さい」

――――その綺麗な「    」を。

近頃、不可解な殺人事件が多発している。被害者の共通点はなく、老若男女問わず被害に合っている。遺体は必ずどこかが欠けており、どれだけ探しても一向に見つかりはしなかった。悪質な事件として、警察は注意を呼びかけると共に犯人の逮捕に全力を注いでいる。

「それはまた、物騒な話だね」

久しぶりに訪ねてきた親友の話を親身に聞きながら、キースは悲痛そうに呟いた。

「お前の事だから、まだ知らないだろうと思ってな。外に出る時はくれぐれも用心してくれ」
「わざわざ感謝するよ。でも最後に外へ出たのはいつだったかな」
「この引きこもりめ……青白すぎて気味が悪いぞ。飯はちゃんと食ってるのか? 睡眠は? 適度な運動も大事だぞ」
「まるで僕の母親のような口振りだね、エドガー」

くすりと笑うと、男、エドガー・ベックフォードは顔を真っ赤に染めて「馬鹿な事を言うな!」と叫ぶ。どうやら、いい年をした男相手に使う言葉ではなかったらしい。性格や口調は男そのものだというのに、可愛らしい顔立ちと身長の低さから昔はよく女に間違われていたから、尚更だったのだろう。

「すまない、すまない。君は心配してくれただけだったのにね」
「……まだ顔が笑ってるぞ」
「おや」

それは困ったね、とキースが飄々と返せば、彼は苦虫を噛み潰したような顔になる。からかいすぎたか、と話題を戻した。

「見た目は軟弱に見えるかもしれないけど、問題はないよ。うちの優秀なメイドが栄養バランスの整った食事を毎食作ってくれるからね」
「そういえば彼女の姿が見えないな」
「そうだね、今頃はおいしい紅茶とお菓子を用意してくれているところじゃないかな」
「キース、お前未だに彼女しか雇ってないのか。広い屋敷だ、一人では手が回らない事もあるだろうに」
「僕は人嫌いなんだよ、君も知っているだろう?」

キースが今は亡き父親から譲り受けた立派な家は、彼と住み込みのメイドだけが暮らしている。おまけに滅多に外出しないほどの人嫌いなため、度々訪れるのは昔馴染みであるエドガーくらいのものだ。

「色々と勿体ない奴だよな、お前って。天才は変人を地でいきすぎだ」
「お褒め頂きありがとう」
「褒めてねぇよ」

鋭い突っ込みを聞くのも久しぶりで、つい和んでいると不意に甲高い声が加わる。

「ご主人さまぁ、用意できましたぁー。とぉーっても美味しいお茶ですよぉ。ご主人さまのためにアイラ、いっしょうけんめー選んだんですぅ」
「ありがとう。でもねアイラ、ノックをしなさいと幾度となく教えただろう?」
「えへ、ごめんなさぁい。今後気をつけますぅ」
「このやり取りも何度目だろうね」

ごめんなさぁい、と間延びした口調で再度謝りつつも、反省する気配もない女性の名はアイラ。紺色の髪を短く切り揃え、ふっりふりのメイド服を着ている彼女は一見すれば落ち着いた雰囲気の美人なのだが、口を開けば印象が百八十度変わる人物である。

「エドガーさまもお久しぶりですぅ。今日はお仕事おやすみなんですかぁー?」
「ひ、久しぶり。ああ、ようやく取れた休暇だ」
「警察官ってたいへんなお仕事ですねぇー。でもでもぉ、市民のためにがんばるお姿にアイラ、感動ですぅ」
「ありがとう……貴方はその、変わらず元気だな」
「元気だけが取り柄ですからぁー。だってぇご主人さまったら辛気臭いんですものぉ。アイラがお屋敷を明るくするんですぅ」
「あー、こいつが辛気臭いってのは同意だな」
「ふふ、二人して僕の悪口かい? アイラ、手が止まっているよ」
「はぁーい」

彼女は不服そうに頷いて、言動からは想像出来ない手際よさで紅茶を淹れていく。

「うん、良い香りだね」
「でしょでしょぉー? ご主人さまぁ、もっと褒めてくださぁい」
「甘い系統でなければ完璧だったかな。僕は渋い方が好きだと言っただろう?」
「あれぇ、そうでしたっけぇ。えへ」

やれやれと、キースは溜息をつく。この女性、やれば出来るはずなのだが、どうにも爪が甘いのが欠点である。加えて、始めるまでも長い。他の屋敷でなら、即首にされていてもおかしくないだろう。承知の上で雇っているキースが彼女を解雇する事はないけれども。

「まあいいじゃないか、甘い茶でも」
「おや、君も甘いものは苦手だったと記憶してるんだけどね。いつの間にフェミニストになったんだい?」
「えーそうなんですかぁ? エドガーさま、おやさしーいっ」
「い、いや……そういうわけでは」

何度見ても中々に面白い光景だな、キースはティーカップに手を伸ばしながら思う。エドガーにとってアイラは扱いづらい未知の生物らしく、顔にはだらだらと冷や汗が流れている。そんな反応が余計に彼女を楽しませるのだから、彼も災難だと言えるだろう。助けを求めるようにこちらに視線を向けられたところで、割って入る気には到底ならないが。

「うん、美味しい」
「でしょでしょぉ? じゃあエドガー様、ゆっくりしていってくださいねぇ。ご主人さまったら、他にお友達いないんですものぉ」
「ああ、キースは取っ付きにくいところがあるからな。社交性さえあれば、もっともててただろうに。男の憧れ、ハーレムだって夢じゃなかったぞ」
「そんなのご主人さまじゃないですぅ。ご主人さまはちょっと根暗なのが可愛いんですよぉ」
「ははっ、確かに」
「……君達って実は気が合うんじゃないかい?」

二人揃ってにっこりと笑われ、二対一では勝ち目がないな、とキースは素直に降参した。

「ではではぁ、アイラは失礼しますぅ。ご主人さまぁ、何かありましたらいつでもお呼びくださいねぇ」

機嫌が良さそうに言い残して、客間を後にする。腰で結ばれている赤いリボンが、彼女の動きに合わせて揺れていた。

「彼女はその……なんというか」
「やかましいのがようやく居なくなった、と?」
「そ、そんな事は言ってない。ただどうして彼女を?」
「あれが僕の家の前で生き倒れていたんだよ。おかしな男から逃げているうちに力尽きたんだそうだ。身寄りはないし帰る場所もないと言うから、まあ丁度いいかと雇ったんだよ。最初はもっと大人しくて、あんな性格ではなかったんだけどね」
「そうだったのか……」

彼女の生い立ちに同情したのだろう、エドガーは目を伏せて重苦しく呟く。正義感の強い男だから、おかしな男がいるという部分にも責任を感じているに違いない。

「なあ……、クラリッサって覚えてるか?」
「クラリッサ?」
「ほら、昔よく三人で遊んだだろ。クラリッサ・キャンベルだ」
「ああ、それで思い出した。君にくっついてはスカートを履かせようとしたり髪を結おうとしていた活発な子だね」
「そ、それは忘れろ!」

恥ずかしい過去なのか――まあ当然だろうなと思う――エドガーは声を荒げる。だが本人も大声を出す気はなかったようで、ばつが悪そうに手で口を覆った。

「彼女が、亡くなったんだ」
「それはまたどうして……まだ若いのに」
「俺達は、例の事件の被害者と見ている」

その一言でしん、と静まりかえり、二人の間には張り詰めた空気が流れる。

「そうか、それで僕のところに……。という事は、彼女もどこかが足りなかったんだね」
「足、が……。両足とも鋭利な刃物で切り取られていたんだ……。血の、海の中に彼女が」

現場を目撃したのだろう、先程の激情が嘘のように今の彼は真っ青だ。クラリッサとは長い間連絡を取っていなかったはずだが、かつての知り合いの無惨な姿を見て何も感じない男ではない。両手を組み、額に当てている姿は、以前見た時より随分と細くなっていた。

「……気の毒に」
「ああ……本当に。お前も気をつけてくれよ。勿論、アイラさんも」
「ありがとう。君も、気をつけて」

甘いはずのお茶が、どこか苦く感じられた。

◇◇◇

「感付かれましたか」
「いいや。あれは頭も要領も良くない。一生かかったところで正解には辿り着かないだろうさ」

薄暗い部屋の窓辺に佇む男に、背後から声がかけられる。男は振り返りもせず答えると、カーテンを閉めて完全に光を遮断した。そのまま本棚へと移動し、左へスライドさせる。すると、小さな鍵穴があいた床が露わになった。鍵を差し込み、右に二回、左に三回まわす。カチッ、と音がしたのを聞いて床を持ち上げれば、地下室への階段が出現する仕組みだ。ゆっくりと下りていく男を、背後で控えていた女性も追った。

「あぁ、シャーロットちゃん寂しくなかったぁ? 僕はシャーロットちゃんに会いたくて会いたくて仕方なかったよぉー」

甘えるような声を出しながら、すりすりと頬擦りする。

「ああほらぁ、イヴリンちゃんったらすねないのぉー。僕はイヴリンちゃんも大好きだよっ。もぉ、可愛いから今日はトリートメントしてあげちゃうね。カミラちゃんはお肌整えまちょうねー。こらステファニーちゃんは昨日してあげたでしょぉ? こんなに艶があるのに贅沢だぞっ。ねえみんな、新入りのシャーロットちゃんをいじめてないよねぇ? 僕はみんなだーいすきだから仲良くしてほしいなぁっ。争いなんてプリティーでチャーミングなみんなには似合わないよぉっ」

鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌で、巨大なガラスのショーケースを磨く。指紋の一つも残さず、男――キースの顔が写り込むほど丁寧にしっかりと。
頭部に、髪に、眼球に、鼻に、耳に、唇に、首に、腕に、手に、足に、あるいは胃に、肝臓に、膵臓に、脾臓に、心底愛おしそうに語りかけながら。

「血色の良い鮮やかな赤色、滑らかな曲線、力強く伸びる三本の枝、慣れ親しんだホルマリンの良い香り……うーん、芸術だね。かじったらどんな味がするのかなぁ。プラムみたいな味かなぁー。アイラはどう思う?」
「心臓は食べ物ではありません、ご主人様。お望みでしたら明日の朝食はレバーにデザートとしてプラムをつけますが」
「ん、ニラたっぷりね」
「畏まりました」

アイラは眉を少しも動かす事なく、淡々と答える。彼女とは反対に、キースは「でもね」と不機嫌そうに頬を膨らませた。

「突っ込むのはそこじゃぁない。僕は収集するのが好きなのであって、食べる趣味はないんだよ。みんなが僕の中で永遠に生き続ける、ってのはまあ興味を惹かれはするけど、そうしたら二度と目にする事が出来なくなってしまうじゃないか。イヴリンちゃんのさらさらヘアーも、カミラちゃんのすべすべのお肌も、アリシアちゃんの透き通ったお目めにだってさわれなくなっちゃうんだよ。僕、そういう趣味の奴とは絶対に相容れない自信があるね」
「そうですか。申し訳ありません」
「おまえはもう少し主人について勉強しなさい。ほら」

彼女の顔はろくに見ないまま、手にしていたガラスの筒を手渡す。受け取ったアイラは相変わらずの無表情で、その名を紡いだ。

「ヘンリエッタちゃんです」
「うん、そうヘンリエッタちゃん。キュートでしょ? まずじっくり眺めて、一緒に朝を迎えれば素晴らしさが分かるはずだよ」
「善処致します」
「おまえはどうにも面白味がなくていけないからね。ねー、シャーロットちゃんもそう思いまちゅよねぇ?」

メイド服を着た女性と心臓が入ったガラスの筒の組み合わせは違和感しかなかったが、キースが気にかける様子はない。お気に入りの足を撫でながら、時折口づけを落とす。

「白すぎず黒すぎない健康的な焼け加減、適度な肉付き、そこから生まれる魅力的なライン。剃り残しがあるのがまたいいね、ぐっとくるね」
「一般の男性は萎える原因らしいですが」
「そいつらは分かってないなぁー。全身お洒落に決めて、恋人との夜のためにお手入れも忘れない。それなのに一部だけ剃り残してしまう……どじっ子いい、とてもいい」

恍惚とした表情で語るキースを、アイラはやや冷めた目で見つめる。落とさないよう、胸にはしっかりと筒を抱えながら。

「アイラ、おまえが死んだら特別に全身ホルマリン漬けにしてやるからね。毎日かわいがってあげるから、安心して死んでいいよ」
「光栄です、ご主人様」
「僕もいい拾い物をしたものだ。おまえのおかげで新鮮なものが手に入るようになったからね。裏ルートではどうにも当たり外れが大きくていただけない。……ああそういえば、クラリッサの件もおまえかい?」
「はい。シャーロットちゃんがそうです」
「この子か……」

剃り残しについて熱く語った足が幼なじみの女性のものだと知って、キースは悲しげに目を伏せる――ではなく、輝かせた。

「素晴らしい! あのおてんば娘からこんなに魅力溢れる足が育つなんて! 人生とは何が起こるか分からないから楽しいな!」
「喜んで頂けて幸いです」
「うんうん。ああでも確か、クラリッサは柔らかな栗毛だったな。ああ、そっちも欲しかった」
「申し訳ありません」
「おまえは融通が効かないのが駄目だね。たまには僕の期待以上の働きをしたってばちは当たらないよ。おまえの命を拾ってやったのは誰だい?」
「ご主人様です。私の命も、意志も、全てあなたのもの」

淀みなく答えた彼女に、キースは満足そうに口角を釣り上げる。
エドガーに話した、アイラが家の前で生き倒れていたというのは間違ってはいない。だが、理由は大きく異なっている。暗殺一家に生まれた彼女は、任務に失敗して家との縁を切られたあげくターゲットに追われていたのだ。生死の境を彷徨っていた彼女を家に招き入れたのは、死んだら細長い指と形の良い爪をもらおうと考えたからである。にも関わらず治療を施したのは、気まぐれとほんの少しの情だった。どうせ何をしたところで助かりはしないだろうからと思っての事だったのだが、彼女は驚異的な回復力で復帰し、以来ずっとキースの望む事を叶え続けている。まるで人形のように忠実に、ただ主人の命令だけを聞いて。

「明日には必ず調達致します」
「ん、待ってるよ。さ、シャーロットちゃぁん、今日は僕とねまちょうねぇ。子守歌うたってあげまちゅからねー」

頭部が、髪が、眼球が、鼻が、耳が、唇が、首が、腕が、手が、足が、あるいは胃が、肝臓が、膵臓が、脾臓が、心臓が、彼を取り囲む。体に返して欲しいと声にならない叫びを上げながら。どうかもう許して欲しいと何度も何度も請いながら。

「失礼ながらご主人様、音が外れました」
「こういうのは気持ちなんだよっ。おまえは本当に空気が読めないんだから」
「空気は吸うものです、ご主人様。読むスキルは私にはありません。鍛錬した方がいいですか」
「いや……必要ない。無駄すぎる」
「畏まりました」

だが、誰の願いも聞き入れられる事はない。どれほどの年月が過ぎても、どれほど仲間が増えても。

「貴方に恨みはありません。大人しく差し出して下さい」

そして今日もまた、儚い命が閉じ込められていく。